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聖パトリック教会1957年伝道開始
2006年11月19日発行 第177号
牧師 司祭 ミカエル 加藤俊彦
1990年の管区共通司祭試験を1科目落第し、翌年再試験を控えた中、1991年4月に牛込聖バルナバ教会と
目白聖公会から聖マーガレット教会に異動となりました。当時、バルナバ教会が礼拝堂を新築中で、同時に聖
公会センターが敷地内に移転するためのビル建築工事が行われていたため、私は江戸川橋の神田川脇の4畳半
一間(トイレ付風呂なし)のアパートに居住して半年位が経っていました。畳部屋の一辺に箪笥が並び押入れ
の上段を机代わりにしてテレビやトースター、食器や鍋釜に囲まれ、真ん中に万年床が敷かれた環境は、まさ
に手を伸ばせば何でもとどくという便利なものでした。それだけに引越し荷物は2トン車1台で十分でした。
異動先で待ち受けていたのは4DKの2階建て一軒家の副牧師館で、2階にダイニングキッチンが設えられて
おり、独り身の私としては住居スペースが2階部分のみですみました。
引越し後、真新しい家に移るといろいろと部屋の装飾を楽しみたくなり、ダイニングのインテリヤとして恵比
寿ビールの瓶を窓際にズラッと並べました。しばらくして、教会委員の一人の方が近づいてきて「教会の牧師
館の窓際にビール瓶をならべるなんて!」とお叱りを受けました。どうして分かったのかと不思議に思い外か
ら眺めてみると、確かに2階の窓の曇りガラスごしにいくつも並ぶ瓶の影が見えていました。早速撤去すると
ともに、改めて牧師さんというのは見られている存在なのだということを意識し直しました。同時に、自分が
普通ではないチョット変な感覚を持っていることに喜びも感じました。
聖マーガレット教会は在籍者が千人位、1主日の礼拝出席者が百人ほど、日曜学校出席者が50人位いる東京
教区最大の教会でした。ここで2年半を過ごすことになりましたが、その間6〜7人
の20代前半の若者と過ごしたことが最も印象深く心に残っています。彼らは朝9時半の日曜学校からスタ
ッフとしての手伝いをし、11時からの聖餐式に出席し、昼食を食べ夜遅くまで教会でしゃべっているのが主
日の日課でした。午後は特に何をするのでもなく、とにかくただただ一緒にい続けていました。彼らは教会に
いることで皆何かに救いを求めていたように思いました。そしてその思いがお互いの間で言葉を超えて共感で
きる仲間のように見えました。いつの日からか、彼らのたまり場は副牧師館の2階になりました。午後5時の
晩祷が終わり家に帰ると、布団の中で寝ていたりダイニングで話し合っていたり冷蔵庫を覗いて物色していた
りする彼らがいました。私もその輪の中に入り、また近くのスーパーに皆で行き夕食の材料を買って作り食べ
ました。夜になっての帰り際は皆別れるのが残念そうでした。実はその中に私の今の伴侶がいました。このよ
うな若者の行動を当時の牧師も教会の人たちも温かく見守っていてくださいました。
1993年9月に、私は清瀬聖母教会に異動することになりますが、その後その若者たちは就職やら何やらで余
り教会に行かなくなってしまったようです。その中の一人の青年は翌年急逝していまいました。この出来事は
私たちにとって耳を疑わせるような非常に衝撃的なものでした。そして牧師の牧会の姿勢が、また牧師の異動
というものが、教会に混乱や信徒にショックを与え、命をも危ぶませるような事柄であることを強く思わせら
れました。救いを求めて教会にやってくる人たちがいて、その魂を配慮する牧師がいて、その関係が切れたと
きに起こりうることとして私の記憶に焼き付けられました。しかしその後、私は再び同じようなことを繰り返
してしまうことになりました。
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