パトリックニュース187号

聖パトリック教会1957年伝道開始
2007年10月21日発行 第187号

4年目もよろしくお願いします(その6)

牧師 司祭 ミカエル 加藤俊彦


  聖パトリック教会の草創期のことを物語る資料として、ネルソン氏が記した文書が残されています。そこに以下のよ

うな記述が載っています。
  「2,3年前(1956〜57年頃)ライフ誌に『極東の原罪都市the Sin City of the Far East』と題して立川の

記事が掲載された。これはアメリカのクリスチャンとして羞恥心なくして見られない有様を描いたものだった。いつの日

か、アメリカ人が基地を操っていられなくなる日がくるだろう。基地にいる聖公会会衆の願いは、アメリカ人は立川へ

ドカドカ原罪を持ち込んだ人たちだけではなく、それよりも、この街に聖パトリックという教会の定礎建立に一役買

った人たちが沢山いたことを記憶してほしいのである。」<ネルソン氏資料(日本語訳)(ネルソン氏のスクラップブックよ

り)2004.01.16.吉村武・訳>


立川駅北口周辺には当時アメリカ兵を相手にする歓楽街が広がっていました。この記事はそのことを指しているも

のと思われます。

  立川には戦前、日本陸軍の飛行場があり、敗戦に伴いGHQにより接収され、飛行場はアメリカ空軍基地へと変

わりました。戦後の立川はまさに戦勝国アメリカ、特に基地内で働いていた米軍関係者と、敗戦国日本、特に周辺

に居住していた人たちとが現実の日常生活の中で交差していた地といえます。それはすなわち、戦争を境にし

て必然的にもたらされた日米の人びとの様々な思い、例えば敗戦による屈辱や無念さ、解放感や喜び、あるい

は戦勝によるおごりや優越感、いたわりや回心の思いが凝縮されていた街といえると思います。

  聖パトリック教会の創立は、1957年12月1日立川商工会議所においてアメリカ聖公会宣教師であり東京教区補佐主

教であったヴァイアル師及び木村信一司祭により主日礼拝が執り行われたことを、その起点としています。戦後

12年を経てのことです。当時、なぜ立川の地に新しい教会が生まれたのでしょうか。はっきりと、その本音

を記した資料はないようです。しかし、ネルソン氏が残した文書や当時の立川の状況を考えると、その動機が見え

てくるように思います。それは、日米関係の改善のためであり、戦争が日米の人たちに残した様々な傷痕、そ

れらを修復し、和解の業を進めていくためと言えると思います。そして、そのために、友好の絆、平和の証

し、愛の器として、目に見える形である教会を建てる必要があったと言えるのではないでしょうか。民族や習

慣や言語、また思想や心情や勝敗という様々な違いを越え、イエス・キリストを中心にして共に集い、祈り、働く共

同体作りへの思いこそ、聖パトリック教会の礎であり、誇りであり、大切に守り続けていくべき伝統なのだと思い

ます。聖パトリック教会は、あの時代に、そしてこの場所に、神様が建てるべくして建てたと言えます。

  教会が語る「記念」とは、過去の出来事を思い出し残しておくことではなく、思い起こした過去の出来事が

現在の事柄として今、ここに現実となっていることを意味しています。50年前に聖パトリック教会が、癒しと和

解と平和のシンボルとして、そしてそのために協働の所産として造られた思いは、今でも、そしてこれからも、

わたしたちの教会の中で現実化されていってこそ、記念し続けていく意義があると言えます。

トップへ
トップへ
戻る
戻る