まじわり131号

【巻頭言】(加藤司祭)

 人が神様によりエデンの園に住まわせられたとき、「人と妻は二人とも裸であったが、恥ずかしがりはしなかった。」

(創世記2章25節)と聖書には書かれています。二人の間には隠すものがありませんでした。

 その後、蛇が登場し、アダムとエバの二人に誘惑をかけてきます。その誘いの内容は、神が人に善悪の知識の木の

実を食べてはならないと命じたことに対して、食べても決して死ぬことはないというものでした。また、その実を食べると

神のように善悪を知るものとなるというものでした。つまり、蛇は人が神の命令に聞き従わず、それを無視しても死ぬこ

とはなく、むしろ神のようになることができると誘いをかけました。
 
 蛇はサタンとか悪魔を象徴する誘惑者です。神は神と人、人と人との一致を求めますが、悪魔は神と人、人と人との

分離・分裂を願っています。神と人、人と人とが一致していれば、悪魔は自分の存在意義がなくなってしまいます。であ

るが故に、悪魔は必死になって、手を変え品を変え、極めて巧妙に人に誘いをかけ、神と人、人と人との間を裂こうと

努力します。そのための方法として、悪魔は決して人に悪いことをするようにとは誘ってきません。悪魔はそれらのつな

がりを絶つためにうってつけの手法として、人に対して「あなたが神です」、「あなたが神なのだから、何でもあなたの好

きなように考え、行動して良い」、「あなたが絶対者なのだから、あなたが決める物事の良し悪しの判断がすべて正し

い」と誘惑してきます。そうすることによって、人が、自分以外に神はなく、自分が神であり、故に自分の考えが正しく、

他の人の考えは間違っていると思うようになってくれれば、神と人、人と人との分離・分裂を願う悪魔にとっては思う壺と

考えています。悪魔が誘惑に際して「善悪の知識の木の実を食べても決して死ぬことはない。」と断言し得たのは、人

が悪魔の誘いに乗り、自分が神であると勘違いし、自分が善悪の判断の担い手でもあるかのように錯覚しさえすれ

ば、人びとの間に分離と分裂が起こること、すなわち関係の存在である人を死に招くことができることをはっきりと分か

ってのことです。

 蛇の誘惑に乗ったアダムとエバは禁断の木の実を食べてしまいました。その結果、二人の目が開け、自分たちが裸

であることを知り、いちじくの葉をつづり合わせて腰を覆うものとしました。また、アダムとエバは神が園の中を歩く音を

聞くと木の間に隠れました。ここで、人と人との間にいちじくの葉という隠すものが、また神と人との間に木という隠れる

ものが入り込むことになりました。つまり、それまでは互いの間に阻むものがなかった訳ですが、誘惑に乗ってしまった

ことにより、つながりを断ち切る障壁が生まれてしまいました。

 その後、神はアダムに「取って食べるなと命じた木から食べたのか。」と指摘します。すると「エバが木から取って与え

たので食べました。」と答えます。すると神はエバに「何ということをしたのか。」と問います。すると「蛇がだましたので食

べました。」と答えます。神との間に気まずい関係が生じたことに対して、アダムもエバも自らの責任を転嫁し、言いつ

けを守らなかったことを他者のせいにし、なすりつけ合うという行動に出ました。「私は悪くない」「彼が、あるいは彼女が

悪い」「あの人のせいでこうなった」と、わたしたちの日常生活でもよく耳にする言葉です。こうして悪魔は、神と人、人と

人との間を断ち切り、分裂を引き起こすことに成功しました。

 自分が神だと思う人は、めったにいないと思います。しかし、自分の考えは正しいと思うこと、すなわちあの人の考え

は間違っていると思うことは、結構あるように思います。あるいは、これは良いことだ、あれは悪いことだと判断すること

を、わたしたちは人生の中でしばしば行っていると思います。そのような正邪や善悪を人が判断し、レッテルを貼ること

によって、人びとの間に分離や分裂が起こることは、キリスト教や宗教の歴史がはっきりと証明しています。そのような

判断は、神にしか下せないことであり、人には決して出来ません。だからこそ、人はその判断を神に尋ねるしかありま

せん。しかし、だからと言って、そこで神がはっきりと答えてくれる訳でもありません。そのような中で、人は常に正しいこ

とを選択し、良いことを判断しながら生きていかなければなりません。そこで、人は常にそのように生きていく際に、正し

くないかもしれない、あるいは間違っているかもしれないということを念頭に置きながら選択や判断をする必要がありま

す。そのようにして初めて、周りの人たちの反応や意見に耳を傾けることが出来、対話が成立する関係を築くことが出

来ます。このような姿勢を指して謙虚と言うことが出来ます。

 この物語は堕罪物語とも言い、悪魔により人が罪に陥れられたことを語る話です。罪とは自分勝手、自己中心と言う

ことが出来るように、神を無視し、自分を神の位置に置くことです。神と人、人と人との分離・分裂を願って止まない悪

魔は、今でも、わたしたちを罪へと誘い、いごこちの良い神の座席へと導き、孤立、すなわち死へと送り込もうと臨んで

きます。この悪魔の働きは強烈で巧みなもので、人はこの誘惑に打ち勝つことができません。この後、イエス・キリスト

が出てくるまでの旧約聖書の話は、悪魔の存在は直接的には出てきませんが、歴史の中でいかに人間が神に背き、

分裂の道を歩んでいったかということを記していきます。(つづく)

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