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聖パトリック教会1957年伝道開始
2006年12月17日発行 第178号
牧師 司祭 ミカエル 加藤俊彦
今までパトリックニュースの中で私の生涯を綴ってきましたが、ひとたび視点を変えて親の目から私の生涯を
見ると、きっとヒヤヒヤドキドキの連続であったのかもしれません。親は小さい頃に体も弱くすぐ喘息になり
熱を出していた私を心配していたことと思います。幼稚園、小学校、中学・高校・大学の受験の際には私以上
に受かるか落ちるかにやきもきしていたことであろうと思います。中学時代には身長も親を超え、声変わりも
し、親との対話も少なくなり次第に私が親から離れていくことを実感していったことと思います。高校時代に
は煙草の匂いもさせるようになり、異性とのつきあいも想像させ、かといってそれを問い詰める話も出来ず困
っていたことと思います。あるいは知的障害者施設やハンセン病施設、また三里塚や在日朝鮮韓国人の住むと
ころに行き、思想的になり社会批判を繰り返し、そのような友人と過ごす中で終電真近に帰宅を繰り返す私に
心を痛めていたことと思います。あるいは教会にちっとも行かない私に悩んでいたことと思います。聖職を目
指すようになったことも聖公会の聖職・信徒の家系にあっただけに喜びの反面、聖職者になれるかどうか本当
に心配していたと思います。聖職者になってからも妻を伝統的な牧師夫人とはしていないような生活ぶりにき
っと複雑な思いに駆られていることと思います。学童期までは親は私をその手の内で育て安心できていたにも
かかわらず、思春期になると私の成長や変化を目の当たりにする中で、戸惑い、考えあぐね、そして手元から
離れていくことに淋しさを感じる日々を過ごしていたことと思います。
しかし変わっていくのは私だけではありません。父親は7年前に他界し今どこで何をしているやら分からない
存在になってしまいました。昔のように父親とキャッチボールや将棋をすることもできません。会えることな
ら一度でも会ってみたいと思いますが、一度会えばまた次に会いたくなる欲求にかられることだと思います。
母親も背中が曲がり以前と比べて小さくなってしまった姿を私はなかなか直視できません。走ることも難しく
転ばないようにと慎重に生活している母親の姿には、またタイヤのついたバックを引っ張りながら買い物に行
く姿には、小さいときから私の胸の内で強烈にイメージしている元気で気丈な母親の姿を見ることができませ
ん。今までと違ってしまった姿に悲しさを感じついていけずに戸惑い、この現実をどのように捉えて良いのか
困惑しています。
私の成長に親は心配や淋しさを覚え、一方親の老いや死に私は戸惑いや悲しさを覚え、お互いに出来ればあ
のときのままでいて欲しいと追憶し、変化を受け入れることの難しさを人生において経験してきたのだと思い
ます。きっと、父親は自らが死へと至る変化に深く考えるところがあり、また母親は今自らの老いや死を予測
できる変化に複雑な思いを抱いているのだと思います。変わり行くことは、どんなに理屈をつけて理解し納得
させようとしても喜びよりも辛さをより多くもたらすのだと思います。しかし、変わり行くことは生きている
限り、その歩みを止めることができず、変わり行くことこそが生きている証でもあります。つまり生きるとい
うことは人生において心配や戸惑いや淋しさを、喜びや楽しさよりも多く生み出す辛い営みなのだと思いま
す。
きっとだからこそ人びとは十字架に引きつけられ、闇夜の中の暗い馬小屋で生まれた幼子に魅せられるのでし
ょう。十字架や幼子に光が見えるから引きつけられるのではなく、磔になっているイエス様に、また飼い葉桶
のイエス様に、私たちの辛さが投影され、受け止められ、そのことによって慰めを得るから魅せられるのだと
思います。
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