パトリックニュース191号

聖パトリック教会1957年伝道開始
2008年2月17日発行 第191号

4年目もよろしくお願いします(その9)

牧師 司祭 ミカエル 加藤俊彦

わたしは小さい頃、よく熱を出しては喘息で苦しんでいました。ヒューヒュー、ゼーゼーと音を立てて肩で呼

吸し本当に苦しかったことを今でも覚えています。たいがい喘息は夜起きるので、母親がヴェポラップという

市販薬を胸と背中に塗り、スースーする内に安らかになり、知らぬ間に寝入っていました。そして翌日には近

所のかかりつけの小児科医へと歩いて向かいました。兄も同様であったので、その医者とは「ひこちゃん」と

言われるほどに顔なじみでした。たびたび診療に行っていたわたしは、そのうち診てもらうことがおてのもの

になりました。まずは胸と背中に聴診器を当てられること、次がポコポコと両手で胸と背中をたたかれるこ

と、そして舌にヘラのようなものを押し付けられて喉の奥を見られること、そして喉を外から両手で触られる

こと、最後がやっとこのような器具で鼻の穴をのぞかれることを、お互いに阿吽の呼吸の中で行っていまし

た。しかし、ここからがわたしの運命の分かれ道でした。つまり、次に医者がどのように動くかによって待ち

受ける処置が予測でき、これから痛い目に会うかもしれないという不安があったからです。医者の次なる行動

としてカルテに何かを書き出せば、治療終了で安泰でした。医者が椅子から立ち上がり奥の棚に歩き出せば、

それはブドウ糖の太い注射をうたれることの兆しで、針を射される程度はまだ我慢の余地がありました。しか

し、椅子に座ったまま丸い円の柄のついた長い金属棒を手にし綿を千切り始めれば、それはルゴールという、

とても苦い薬を喉の奥に塗られることの印で、嗚咽と苦さを伴う、これがわたしにとっては最悪の結末でし

た。そのときの心の葛藤は決して顔には出しませんでしたが、ドキドキものでした。

受診に行くのには嬉しさもありました。それは診察後の帰り道に、決まって近くの牛乳屋さんに寄り、普段で

は食べられない、ガラス瓶に動物の絵が描いてあるフルーツヨーグルトを買って貰えたからでした。しかし、

白いヨーグルトしかなかったときの落胆した思いを経験していたので、やはりその店に行くときもドキドキで

した。

このような経験は、小学校で健診などがあるときに役立ちました。まず、予防注射がある日など、皆は緊張の

面持ちで、泣き出す人もいましたが、わたしは並みはずれた太さの注射に慣れていたので平気の平左で、あえ

て針を刺し抜く場面までずっと直視し続けることによって、自分の強さを誇示したものでした。あるいは、喉

の奥を見せるときも、医者が手にしたヘラなど使わせることなく喉を開き見せることができたので、そのヘラ

一本を次の人のために使うことができるようにさせたと優越感に浸ったものでした。あるいは、病院で診察を

受けるまで、そして薬をもらうまで、長椅子に足をぶらぶらさせてじっとおとなしく待合室で待たされていた

経験は、病院とは長く待たされるところであることを学習しました。

40年以上も前の子どもの頃のことを、今でも事細かにはっきりと覚えているのは、なぜなのだろうかと不思

議に思います。忘れてしまったこともたくさんある中で、どうしてこのことを覚えているのかと考えると、き

っと出来事そのものではなく、その出来事に遭遇したときの気持ち、つまり苦しかった、安らいだ、不安であ

った、ドキドキした、嬉しかったなどなどの気持ちが、今でも心の奥底に残っているからなのだと思います。

今、日曜学校やエンジェル音楽教室や聖公会八王子幼稚園で、子どもたちと出会う機会がある中、きっとこの

子どもたちも人知れず色々な気持ちを心に刻む貴重な経験を積み重ねているに違いありません。そして大人に

なるに連れて、気持ちに蓋をすることを学んでいくことになると思います。しかし、子どもたちには是非自分

の気持ちを探し出せる人になって欲しいと思います。自分の気持ちが分かるから、人の気持ちも分かり得るの

ですから。これが成長することの意味なのかな。

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