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聖パトリック教会1957年伝道開始
2007年7月15日発行 第185号
牧師 司祭 ミカエル 加藤俊彦
前号に引き続いて礼拝堂の構造についてのお話を続けます。
―礼拝堂全体―
堂内の細かい部分を除いて、礼拝堂は基本的にシンメトリー(左右同形)に設計されています。(東京に聖
バルナバ教会があり、そこの礼拝堂は敷地全体の有効利用を考え、シンメトリーには作られていません。しか
し、その視点をもって設計されています。それは敷地の入口から入ると、まず右側に曲線、左側に直線の壁が
あり、堂内に入っても右側に曲線、左側に直線の壁があり、その経路を辿って入って行くことによってアンバ
ランスな感覚を持たせた中で、シンメトリーではない堂内に座ることにより、平衡感覚を持たせるように造ら
れています。)
人は必ず自己中心的に生きるものです。それは自己を絶対化し、また自分を神とする生き方です。すなわち
自分以外に神の存在を認めない、つまり神を信じない生き方です。自らを絶対とする人がたくさんいた時にど
のように皆で一緒に秩序を保って平和に生きていけるのでしょうか。そこにあるのは分裂や分離、いさかいや
戦いです。絶対なる神の存在を信じること以外に、自らを相対化する道はなく、自己本意に生きることから逃
れる道はなく、皆で平和に生きる道は開かれません。神を信じることは、主イエスによって示された己が身を
献げる愛によって生きることです。自分のために生きることは、逃れられない性ですが、そのためだけではな
く主イエスが示された愛によって生きてこそ、皆で一緒に生きるという本来の人間の姿になることが出来ま
す。つまり自分のために生きることと他者のために生きることとの均衡を保って生きていきましょうというこ
とです。聖堂全体が左右対称に造られているのは、この教えを表わしていると解釈できます。
―聖卓―
サクラメント(聖餐式、聖洗式、按手式など)とは、私たちに対する目に見えない神様の恵みや働きを、目
に見える形で現わした物、またそれを用いた礼拝のことを指しています。従ってサクラメントに参加している
会衆に、その物が見えなければなりません。聖餐式ではパンとブドウ酒、洗礼では水、按手式では主教によっ
て頭に手を置かれている行為などです。そこで、司式者の所作や聖卓の上で行われる行為、またサクラメント
そのものを、礼拝堂のどこにいても見ることが出来るよう聖卓を一段高いところに起いたりします。同時に会
衆の椅子の配置を考慮することなどにより、どの席に座っても壇上が見えるようになります。
―何故皆で集まって一緒に礼拝するのか―
皆が一緒に集まるということは、そこに様々な人が含まれているということです。性別や年齢や出身地を超
え、障害のあるなしに関わらず、価値観や考え方が違っても、また既に逝去されてしまった人をも含め、異な
る人々が一つの信仰を軸にして、時間と場所を申し合わせて一緒に集い、信じていることを現わす営み、それ
が教会の礼拝です。つまり、「多種多様な人が集まり一緒に一つのことを行ったとしても、キリストを軸にす
れば、ばらばらにならず、誰一人自己中心的になる人がいず、隣りの人の声を聞くことができ、一つになるこ
とが出来る」、また「それこそが主イエスを通して現された人類に対する神様の意志である」、また「そのこ
とが互いに愛し合う平和な状態ということである」という信仰内容を、礼拝を通して、世の中の人に現わして
いる訳です。だから、皆が一緒に集まって礼拝をし、またそのために用いる建物である礼拝堂を建てる訳で
す。個人の救いのためだけであるならば、一緒に集まって礼拝する必要はありませんし、多様な人々のことを
配慮した建物を建てなくともよい訳です。
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