Session 2

  Meditation 井原司祭 11月23日 午前

聖書を読む前の祈り

わたしたちを教えるために聖書を記させられた主よ、どうかこれを聞き、これを読み、心を込めて学び、深く味わって魂の養いとさせてください。また、み言葉によって強められ、耐え忍ぶことを習い、み子によって授けてくださった限りない命の望みを抱き、常にこれを保つことができますように、み子イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン


最初に一言お詫びをしておかなければなりません。昨日の主教さんのお話の時に、つい調子にのって「主教さんの傷はなんですか」と聞いて、隣にいた田鶴さんに叱られてしまったのですが、親しい交わりの中で、失礼だとは思いますが、お答え頂ければと申し上げました。「主教になってdefensiveになったことだ」と主教さんらしいというか、率直なお答えを頂きました。お答えを頂いたにもかかわらず、私が何も言わないのは大変失礼なので、ここで皆さんにお詫びを申し上げると同時に、私の傷は何か、一九八八年の例の在日韓国人神学生に対する差別発言を巡って、皆さんから、特に主教、今井先生、田光先生からいろんな示唆をいただきながら皆さんに支えていただきながら、それに取り組んで来て以来ずっと、私の中に大きく巣くってきた傷、主教はdefensiveになったとおっしゃいましたが、私はもう一つ傷が深いというつもりはないのですが、逃避的といいますか逃げ腰、何か公けの所でお話をすることをできたら避けたいと感じていたことを思い返しています。そのことを皆さんに率直に告白して、聖書の指導はできかねますが私に課せられた務めを果たしたいと思います。
今回の聖職養成委員会の宿泊研修会の課題にそって何がいいか―たどり着いた結論は主イエスが十字架の上で最期をおむかえになった時に、口にされたと聖書が記している十字架上の七つの言葉ではないかと思っています。
私は死を直前にした患者さんに何か話をしてくださいと言われて、この言葉が患者さんにとって力になったという例を取り上げたいと思います。回りくどい前置きになりましたが、なるべく短くお話して皆さんの黙想の手がかりとしたいと思います。


これは、聖ルカ病院に在勤していた時の話です。ある日、ナースステーションからチャプレンに会ってもらいたい患者さんがいるということで電話をもらいました。すぐに病室に向い、ドアをノックしました。こんな格好をしていますから、牧師ということはすぐ判ったと思います。既に顔に黄疸が出ている六〇歳の肝臓がんの男性でした。「先生、救けてください。」「どうなさったのですか。」「私は今怖いのです。夜になると病室の角に死霊が現われて、『こっちにおいで、こっちにおいで』と手招きをする。私はベッドの柵をぐっと握り締めて、『嫌だ、そっちに行けない』と言うんです。まんじりともしないで夜が明けてくると、バルコニーから身を投げて自殺したいという衝動に駆られるんです。何とか助けてください…。」こんなふうに言われました。そして「何か話をしてください。」と。「夜、不安に襲われて、死霊の招きに一生懸命抗っておられる。そして、明るくなると自殺したいという自殺願望に駆られる。そのお気持は判るような気がします。」私はこんなふうに答えました。この方がどういう方であるか何も判らないので何を話したらよいかためらいました。「あなたの歩んで来られた道をお話してくださいますか」と尋ねました。病気の重篤な人に酷だという気もしましたがお願いしました。彼は意外と元気そうにそれ迄のご自分の歩みを語ってくれました。
彼は一八才までハワイで過ごし、太平洋戦争が始まる直前に故郷の中国地方の県に帰国。その土地の旧制の中学から建築関係の専門学校に進学。日本語に変な抑揚をつけて話すので仲間の学生から疎外されました。ところが戦争が終わって、彼にとって事態が一変する。英語が堪能で、建築関係の知識を持つ人物として大変重用され、建築会社の社長に見込まれてそのお嬢さんと結婚しました。軍需の仕事が無くなり、義父の会社を手伝った後、大手の建築会社の海外渉外担当の営業部長という要職についた。海外にいて身体の具合が良くないので、早く帰って精密検査を受けたいとずっと思っていて、漸く帰ってきて、診察を受けたらこの態だということでした。
彼が歩んできた道を聞かせていただいて「大変な波瀾万丈の生涯、歩みだったんですね」と。その日はお疲れもあってそのまま失礼したが、病室を出ると、奥さんが後を追いかけてこられて「主人は今まで自分の青年時代のことは何も話してくれませんでした。今日先生に話したのが初めてです。私も判ったことがたくさんありました」と言われました。
二日後、ドアを覗くと目ざとく見つけて喜びの表情を満面にたたえていた。さらに二日後、至急私に会いたいというので病室に行きました。「何か話してください」という。ハワイ在中に教会に行ったことがあるかと聞いたら、イエスという方のことは記憶にあるということでした。私は瞬間的にいろいろ想いを巡らせて、イエスがこの地上を去られる時に、十字架上で語られた七つの言葉について話すことに決めました。


第一の言葉 「父よ、彼らをお許し下さい。自分が何をしているか知らないのです。」(ルカ二三・三四)

  • 死刑執行の兵卒だけでなく、まさに全ての人々のための執り成しの祈りをしてくださったのだ。

第二の言葉 「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」(ルカ二三・.四三)

  • 「イエスよ、あなたのみ国においでになるときには、私を思い出してください」と言った謙遜な犯罪人の言葉に対するイエスの言葉。

第三の言葉 「婦人よ、ご覧なさい。あなたの子です」「見なさい。あなたの母です。」(ヨハネ一九.・二六)

  • 聖衣をめぐって余禄に与ろうとする兵士たちの様子を見下しながら、母の労苦の結果が退屈凌ぎに使われている。それは主イエスにとっても辛い思いであり、母マリアの心情を思ってのみ言葉。

第四の言葉 「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ。」 (マタイ二七.・四六)

  • イエスがマリアを呼んでいるとも、絶望の叫びを挙げているともとれるが、幼い頃から教えられている詩篇二二篇の冒頭の言葉。

第五の言葉 「渇く」 (ヨハネ一九・.二八)

  • 磔刑の肉体的な苦しみ、ご自分が成し遂げようとされた全ての人々の救い、霊を求めての渇きを口にされました。

第六の言葉 「成し遂げられた」 (ヨハネ一九・.三〇)

  • 神から示された目的は完成しました。

第七の言葉 「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます。」 (ルカ二三・.四六)

  • イスラエルの子供たちの就寝前の祈りの言葉でもあります。

主イエスの十字架上の七つの言葉について話をして神様が共にいて、あなたの歩む道筋を照らしてくださるようにというお祈りをしました。すると彼は「有難うございました。これで安心して逝けます。」と落ち着いていました。その時、ある意味で私の方がショックでした。イエスが実際に口にされた言葉が、様々な状況の中にある人々に、直接その力が伝わって行くのではないか。力付けもし、励まし、慰めもすることを、逆に私が患者さんから教えられたように思います。一つのこと例として受け止めて頂ければと思います。


それから四時間後、この方はこの世を去られました。話しをした時には奥さん、お子さん、お孫さんも病室にいらして静まりかえって皆で聞いていてくださった。主イエスのみ言葉は、贖いの業は全人類のためであってキリスト教徒は、占有、独占していると思っているが、渇いた霊が求めているのであれば、全ての人々に贖いのみ業の結実として語られたものと受け止めてよいのではないか…と思います。
この方の後日談は何も判らないのですが、当時聖ルカには四つの内科病棟があり、臨死の患者さんの状況について共通の理解を持つことが必要だということで、毎週木曜日にターミナルケアーのカンファレンスを開いていました。その席で看護婦から、この患者さんの態度が一八〇度かわって落ち着かれたけれども、「どんな話しをされたのか」と聞かれました。私は「私の訪問をどう受け止められたか聞いているか」尋ねたところ、「私の言っていることを信じてくれた人がいた」と患者さんが言われたということを知りました。
本当に死霊があらわれ、昼間は自殺願望に駆られるなど幻想、幻覚だと決めつけられがちだが、患者さんの内面ではいろんなことが起こっています。起こることを知らないだけで、また知ろうとしないで、そんなことは起こり得ないと排除しているのではないか…。私は患者さんの傍らに座って、患者さんの語る話を聞くことが大切だということを教えられました。
ルカによる福音書第八章一八節に「どう聞くべきかに注意しなさい」という言葉があります。私たちは聞く時に、自分の方の価値観を前提にして、受け止められるものだけを受け止め、受け止め切れないものは、私にかかわりのないものとして捨て去ってしまうということがありはしないか―自分が聞く能力範囲をこえていれば聞かないことになってしまう―能力範囲をどう広げていくかが課題なのではないかと思います。
黙想ということですから、いろんな場面が設定されます。聖書の中の何処をとっても良いと思いますが、そのみ言葉の中に自分を置いて、どう答えることができるのか、自由に思い巡らしてほしいと思います。


もう一つ付け加えたいことがあります。

私がアメリカの神学校に留学していた一九六四、五年にエリザベス・キュブラー・ロスの「死ぬ瞬間(On Death and Dying)」が出版されました。「Living Lesson(生きた教訓)」として新聞、「ライフ(LIFE)」に写真入りで特集記こととしてして出ていたことを思い出します。
その本が一九七一年に川口正吉さんによって邦訳されました。彼は二〇才のお嬢さんを白血病で亡くした後このロスの本に出会う…『自分の専門は臨床心理ではないが、どうしてもっと早くこの本を知らなかったのかを悔いた』と、あとがきに書いておられます。

このような言葉を手がかりとして神様が私たちを媒体として何を語ろうとし、どう聞くか、そんなことをこの時間に思い巡らしていただければと思います。

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