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私が子供だった頃
―信徒の証言―

東京諸聖徒教会 山浦 美彌子


 1931年8月21日。
私はこの世に生を受けました。
その何カ月もたたない時、満州事変が起き、五歳の時、昭和12年7月、支那事変が始まった。
また昭和16年12月8日の真珠湾攻撃で不幸の始まりとなった。
私は五五年間、胸に秘めていた事があり、今語っておかないと私の思いを私だけで終わらせたくないので記します。

 私が九歳の時です。
第二次世界大戦が始まる一年前から戦争が始まるかも知れないことを知っていました。
幼い私が何故…。
それは昭和一五年一〇月初旬、宣教師の先生方が母国に帰国なさるのでお別れに行きました。

その時、父に
  「Tさん、アメリカやイギリスと日本は戦争をすると思いますか」
父は
   「神様の御心のままに」
と言いました。その時、
  「それは神様の御心ではありません。人間の成せる業です」
と仰り
  「不幸にして戦争が始まっても、私はあなた達御家族のために祈って居りますよ」
と言ってお別れしました。

それから一年後、戦争となったのです。

 昭和二〇年七月二一日午前2時頃、のどかな田園都市の大垣にもB29の焼夷弾攻撃を受け町の中は火の海になりました。
父は母に
  「二人の子供を連れて逃げなさい」
と言い、私には
 「君は長女だからお父さんとこの家を守ろうね」
と言いましたが、焼夷弾で真っ赤に染まった空とB29の爆音に私は恐ろしくて父の言葉を拒み、母と一緒に逃げました。
行くところ行くところ焼夷弾が落ち、いつ死ぬかも知れない恐ろしさは今も忘れられません。
学校では
  「鬼畜米英をやっつけろ」
と教えられましたが、空襲の恐ろしさの中でも、宣教師の先生のお別れの時の言葉を思い出し、焼夷弾が落ちてくるのが恐いだけで米英人を鬼畜とは思いませんでした。

こうして戦争を体験してきましたが、死ぬときこそは平和な地球で良かったと神様のみもとに行きたいと思います。

世界の皆様、私共は地球の家族です。
丸い地球を三角にしないでください。
お互いに助け合い、励まし合いあおうではありませんか!
地には平和。


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