スピリチュアリティーを、日本語では普通、「霊性」とか「霊的」と訳すことが一般的ですが、文字が与える印象や、語感には、何となく多くの人々に、ある種の固さを与えるところがあるようにも思えます。そのような理由から、折に触れてお話をさせて戴く時、敢えて「スピリチャリティー」と、英単語をそのまま使って、話をさせて戴いております。この文章の中でも、そのような理由から、敢えて「スピリチュアリティー」という英語をそのまま使わせて戴くことを、初めにお断りいたします。
「スピリチュアリティー」(霊性)に関する書物は、日本語・英語を問わず、数多く出版されていますが、その出発点は何時でも、聖書、或いは、祈祷書であります。さて、冒頭にも簡単に書き記しましたが、一九九五年の春から約一年間、フィリピンの元首都でしたケソン市にある聖ドミニコ大修道院(本院・SANTO
DOMINGO CONVENT )で、幸いにも研修をさせて戴く機会が与えられました。
話が、横道に逸れるようですが、ビング・クロスビーとイングリッド・バーグマン主演の古い映画で「セント・メリーの鐘」という作品がありました。その中で、イングリッド・バーグマン扮する修道院長(霊母)の台詞に次のようなものがありました。「修道院(修道生活)というのは、この世からの逃避の場所ではない!修道院(修道生活)というのは、希望を見出す所です」。この台詞は、単に映画の中での、と言う以上に、私自身にとっても、大きな示唆を与えてくれるものでした。
一口に「修道院」(修道会)と言っても、様々なタイプがあります。多くの日本の方々もそうであるかも知れませんが、他の方々はともかく、私自身、小さい頃から長い間、修道院、或いは、修道生活というものは、この世から離れて、心静かに、唯々お祈りに専念するというだけにしか思っていませんでした。そして、それはひじょうに消極的とも言える、この世から遥かに掛け離れたところにある、私たち世俗に住む者たちとは、大きな隔たりを持っている所であり、また、そういう生活であるという先入観を、長い間、ずっと持ち続けていました。
しかし、実際にそこで生活をし、修道士たちとの交わりを持ちますと、とてもそのような言葉では言い尽くせない程に、深く、広く、そして、大きなものがあることに、否応無く感じさせられます。左記に挙げました、「消極的」「この世から遥かに掛け離れた」というイメージは、次第次第に崩されてまいりました。
さて、少しずつ話をフィリピンでの事に進めていきたいと思います。
日本を発ってから暫く、先方の最終的な受入れが伝えられる迄の間、聖公会の大学であるトリニティー・カレッジで英会話の訓練をしながら過ごしました。そんな矢先、私の何よりも大嫌いなネズミが出、更には、修道院に移ってから間もない頃、再びそこでも同じ事件が起こり、私にとっては極めて悲惨な(?)状態からのフィリピンでの生活が始まりました。そんな矢先、ある衝撃的なと言うのか、力を注ぎ込まれた出来事が起こりました。
それは、真夜中の一時か、二時頃だったと思います。気候の影響もあり、寝苦しい最中のことでした。日本を離れる時には、威勢良くと言いましょうか、張り切って出かけたものの、いざ来てしまうと、「考えが甘かったかな?」「もっと短期間にしておけば良かったかな?」「こんな(?)所に、しかも他教派になど来てしまって…」「日本語が、全く使えないなんて…」等々、重苦しい気分と不安とに押し潰されるのではと思い始め、次第次第にそれこそ苦しくなり、「やはり駄目かも知れない」「自分にはとてもでは無いが、ここでの生活は無理かも知れない」「勢い込み過ぎたのではないだろうか?」、そんな考えばかりが心を占め始め、それこそ不安と恐怖と迷いとで、脂汗が滲み出、思わず体が震え出す位の緊張感が、胸の内に広がり始めていったのでした。正直なところ、恥も外聞も無く、「心身共に異様を来す前に、一層帰ってしまったほうが…」とまで、深刻に考え始めました。「荷物だって大した数は無いし、未だ全部開け切った訳でも無いし…」と、そんなことばかりが、正直なところ頭の中を駆け巡っていました。
そして、「あと数時間の我慢だ。そうすれば明るくなるし、空港も開くし。とにかく、今晩だけ、あと数時間…」等と、今にして思えば、恥ずかしくなるようなことを、真剣に考えていたのでした。その直後でした、「夢だったのかな?」と、一度は思いつつも、そうではありませんでした。ふと耳元で、ある声が聞こえたのです。「私が一緒にいる!」「私のところへ来なさい!」と。以後、先程までの脂汗が、まるで嘘のようスッと引いていき、後は得も言えぬような安らぎが、心の中に広がってきました。同時に、「頑張れる!」「やり抜く!」という、まるでついさっき迄とは別人のような、強い気持ちに満たされ始めていきました。暫くの期間、「やはり、あれは夢だったのだろうか?」「幻だったのだろうか?」と疑ったこともありました。しかし、一つだけはっきりと言えることは、「あれは、起きている時に、確かに、はっきりと語り掛けられた声であった!」と。
そのことを期に、一年にわたっての、修道院での本格的な生活が始まったのでした。