私が、修道院に移ってから、最初に連れていって戴いたのは、「誓願式」(終生誓願の一つ前の誓願式)でした。本院から車で三時間余り行った所に在るマナアックの修道院(分院)でした。ここは、日本で言えば、中学三年か高校一年の年頃の少年たちが、将来の修道士・司祭を目指して訓練を受ける所ですが、幸いにもそこでの最初の誓願式に同行させて戴きました。
式の後、一人の修道士(修錬士長)に院内を案内して戴いた際に説明して戴いた、それも心引かれる九枚のレリーフがありました。それは、ドミニコ修道会の創設者である、聖ドミニコが伝えた、九通りの「祈りの姿勢(ポーズ)」をレリーフにしたものでした。跪く、立つ、顔を天に向ける等々、九通りの祈りのポーズが、美しいレリーフになっているものを紹介して戴きました。この九通りの、ドミニコが伝えた祈りの姿勢は、後々リトリート(静想会)の際に、あるシスターから実際に教えて戴きましたが、あたかも太極拳かヨガでもしているかの印象を持ちました。
実は、その中の一つ、何故か私自身の目を引いた、一つのポーズがありました。それは、両手を十字架のように広げているものでした。それを見た瞬間、私の脳裏に浮かんだ言葉は、「ギブ・アップ」(GIVE UP・お手上げ)でした。どうしても、それが気に掛かったので 帰るや否や早速英和辞典で「ギブ・アップ」を引いてみました。単に「ギブ・アップ」であれば、「降参」「参った」「諦め」といった意味が並んでいますが、更にこの言葉を分解して「ギブ」(GIVE)と「アップ」(UP)を引いてみると、ひじょうに興味深いものに突き当たりました。
「ギブ」には、「授ける」「伝える」「寄せる」「引き渡す」「期す」「捧げる」「応ずる」等といった意味があり、また、「アップ」には、「上」「近付く」「勢いよく」「結び付く」「残らず」「全部」等という意味があり、実に豊富でした。そして、更なることには、たまたまその夜読んだ聖書(詩編)の箇所が、一四三編六節でした。そこに書かれている言葉は、「あなたに向かって両手を広げ、渇いた大地のようなわたしの魂をあなたに向けます」というものでした。偶然と言ってしまえばそれまでですが、あたかも雷でも撃たれたのように、「まさにこれだ!」といった思いでした。ドミニコが後世に残された祈りの姿勢の一つが、当初私自身の目には、単に「お手上げ」としか映りませんでしたが、実は、ドミニコが大切にし続けた「祈り」とは、「神様に全てを捧げる」「神様に在りのままを捧げる」「差し出す」「さらけ出す」とも言えるような、ひじょうに深遠な「霊性」に端を発しているということを改めて思い知らされるところから、一年にわたる修道院での生活が始まりました。