ある日、若い人たち(終生誓願を志している人たち)の訓練・教育を担当しておられる修道士に、次のように訊ねたことがありました。
「スピリチュアリティー(霊性)に付いて、どのように思いますか。スピリチュアリティー(霊性)の中身とは、どのようなものだと思われますか?」と。「因に、日本では一般的には、きちんと礼拝に出席し、聖餐に与り、聖書を熱心に読み、朝に夕に、或いは、寝る前にと、熱心にお祈りをすることや、そういう人のことを指して、霊的であるとか、霊的な人という言い方をよくされているが…」とも加えてみました。すると、それに対する答えは、次のようなものでした。「確かに、熱心に、しかも継続的に聖書を読むとか、礼拝・黙想をする、祈りを絶やさないことはとても大事なことではある。しかし、それらは寧ろルーティンワーク(日常の仕事・決まり切った仕事)と言うべきであって、スピリチュアリティー(霊性)を支えるものでこそあれ、スピリチュアリティー(霊性)そのものとは言い難いように思う」。
即ち、右に記した信仰の業は、クリスチャンとして在り続けようとする限り当然為すべきことと言えますが、このような答えを聞いた私自身、正直なところ驚くと同時に、些か大袈裟な言い方をするなら、まるでハンマーでガツンと殴られたかのような印象すら受けました。 では、キリスト教信仰に於て、常に大切にされ続け、また、力となっているスピリチュアリティー(霊性)、その中身とは一体何なのだろうか。それは自分自身で生活を通して掴み取るしかないのでしょうが、管区長と副修道院長のお二人は、私に向かって、「とにかく、この一年の修道院での生活の中で、自分なりにしっかりしたものを見付け、掴み取って、そして日本に帰りなさい」という勧めと励ましを与えて下さいました。
自室に戻ってから、英語をはじめ、ラテン語の引いてみたり、改めて、何冊かの本にも当たってみました。「スピリチュアリティー」を日本語に訳せば、「霊魂」「魂」といった言葉との関連で、言葉としてはおぼろ気ながら分かりはするものの、もっと深い中身は、正直なところそう簡単には、中々見えては来ませんでした。
ラテン語に於ても、「スピリトゥス」という語には、「呼吸」「熱望」「勇気」「尽力する」「競合する」等々の意味がありますが、言葉としては何となく小さなヒントのそのまたヒントらしきものは手にしたような気はしましたが、未だ決して十分とは言えないまま、暫くの時間を過ごさざるを得ませんでした。
そんな矢先、偶然、且つ幸いにも、聖トマス大学での「THEOLOGY OF CHRISTIAN SPIRITUALITY」(霊性神学)の授業の中で次のような話を伺う機会がありました。
「『SISTER ACT』(日本での題名は『天使にラブソングを』)という修道院を舞台にした映画があるが、その主題歌の冒頭に「I WILL FOLLOW HIM ! 」(私は、彼(キリスト)に従って行く)という歌詞がある。そもそも「キリストに従う」という言葉遣いは、教会では古くからなされ続けているが、問題は、その従い方であり、そこにスピリチュアリティー(霊性)の核心に触れる大事な意味合いがある」といったものでした。