本日は休日にもかかわらず、教区会のためお集まりいただきありがとうございます。教区の過去一年を振り返り、また今年の方針を確認するため、聖職・信徒代議員のみなさんが率直かつ理性的に討論し、結論をだしていただくためにご協力をお願いいたします。
I 教会を取り巻く社会の宣教状況
二〇世紀の最後の一〇年間を「福音伝道の一〇年」と称して、世界の聖公会があらためて世界に目を向けて、自分たちに課せられた伝道の使命を確認し、それぞれの地域で独自の方針を立ててそれを実施するように一〇年前の一九九八年ランベス会議で勧告されております。この数年来、とくに日本においては、宗教の社会的責任があらためて問われています。また、世界的には、二一世紀に向けてキリスト教は平和の確立に貢献してきたかどうか、歴史的な反省をふまえて検討することが求められています。世界の聖公会で自分たちの歴史の真実を謙虚にかつ冷静に見直そうと言う動きが著しくなっております。昨年8月には比叡山で世界の諸宗教の指導者が集まって、平和のためにともに祈り、ともに討論が行われました。さらに国会でも臓器移植に関する問題が取り上げられました。これは人間のいのちと死という宗教に深くかかわる課題でありますので、宗教界に多くの方面から意見を求められています。神と人、人と人、人と自然との平和的関係の回復というキリスト教信仰の根本課題は二一世紀を迎える教会が取り組まなければならない使命であります。
自然やいのちの問題をますます深刻にしている背景には、経済や政治の力にあまりにも頼り過ぎている現代人の傾向があります。イエスは、富んでいるもの、満ち足りたものの、権力を持つもの不幸を指摘していますが、一九七〇年代、八〇年代の日本は、教会を含めてこのイエスのこの指摘を軽視して、世俗的な力による問題の解決に偏り過ぎたようであります。私たちは、常に神からの助けのみに望みをおき、神の助けを待ち望む、貧しき者の霊性を見直し、これを宣教の基礎に置かなければなりません。「最も小さいもの」こそが、私たちが求める神の国に属する者であるというみ言葉に耳を傾けなければなりません。東京教区の宣教方針はこの確認に基づいています。このような状況に私たちの「福音伝道一〇年」がおかれています。
II教区のプロジェクトについて
「最も小さいものに出会い、奉仕する」という教区の宣教方針は、教区会で承認されるさまざまなプロジェクトが中心となって実践されております。その方針に即した方向で特定の目標を立てて、期間を定めてその目標の達成のためプログラムを作成し、実施していくのがプロジェクトです。プロジェクト制は教区制改革の重要な柱でした。取り組めば取り組むほどわたしたちのまわりの社会の「最も小さな者」が苦しめられているという問題の広さと深さに気づきますが、問題全般に手を広げて、拡散しないように、定められた目標に向かうことがプロジェクトの特徴であります。したがって、活動の方策によってはプロジェクトになじまないものもあるはずです。プロジェクトは内容だけではなく、制度そのものの慎重な評価が必要になっているように思われます。誤解のないように付言しますが、私はプロジェクト制に否定的な考えを持っているわけではありません。むしろ、プロジェクト制の持つ精神構造が聖公会には弱すぎることを痛感しております。プロジェクトをプロジェクトたらしめる努力がさらに必要であると感じています。安易にもとの常設委員会に戻ることは取り組むべき問題を観念化するのではないかという危惧をいだいております。現在の実施中のプロジェクト、またこの教区会でも提案されているプロジェクトは、その内容から言えばすべて教区の宣教方針から見て当然取り組まなければならない務めであります。しかし、現状ではプロジェクトには専従者がほとんどいません。自分自身の本来の職務を持つ教役者と信徒の自発的な善意の奉仕によって実施されています。したがってプロジェクトに献身する時間的、人的資源には限界があります。またその資金も限られています。皆さんに留意して頂きたいのは、一部の人たちが、とくに教区事務所の職員、主事たちが、プロジェクトの担当者だけでは担いきれない仕事を引き受けている現状です。より多くの方々がそれぞれのプロジェクトにそれぞれ自分の能力に応じて参加していただくことをお勧めしたいと思います。同時に、プロジェクトの設定には教区および担当者の能力に応じた適正な規模と数の目処を立てる必要があるように思われます。
III スチュワードシップについて
私たちに与えられているわたしたちの能力、時間などの所有する資源を、神から委ねられた賜物として「神から与えられた恵みを無駄にすることなく」(コリント二6・1)管理し、有効に使うことが教会・教区の宣教活動の推進のために必要です。それはスチュワードシップと言われています。
このスチュワードシッププロジェクト自体は今回で終了いたしますが、この運動は各教会、教役者・信徒に広く浸透することを期待します。「スチュワードシップ」は英語のまま使われておりますが、キリスト者として生活の規範を示す新約聖書の重要な言葉であります。罪人である人間は神の被造物をあたかも自分自身の所有物として思いのままに使ってきました。それをあらためて、「すべてのものは主の賜物」と告白し、それを主に捧げて用いるようにする営みがスチュワードシップです。日本語の聖書では、「管理人」と訳されていますが、文語では「家令」と言われていました。主が再び来られるときまで「主の家」である教会を忠実に管理する僕の働きです。
聖餐式で、パンを取って、捧げ、感謝して聖別し、パンを分配して、神の恵みとしていただく行為の中に集約されています。人間がすべてのものを自分の欲望のままに乱用し、破壊して、自然界も人間の心も傷つけられ、破壊と闘争の絶えない状況の中で、神の愛と平和が支配する神の国を証しする宣教奉仕の務めであることを確認したいと思います。
IV 教役者の人事と財政
スチュワードシップの目指す重要なねらいは、私たちの資源の合理的また適正な使用です。その意味で教役者も信徒も教区と教会が与っている財的資源の健全な管理と運営に維持に関心を持たなければなりません。今回の教区会にも分担金についての議題が提出されていますが、分担金が多すぎるという理由よりも、分担金算出の合理性と公正を期するために検討することは大事なことです。
昨年9月の拡大宣教委員会で聖職の人数の減少を指摘して、その対策を協議しましたが、その席での反応のひとつはやはり数を補充することに努力すべきであると言うことでした。複数の教会に一人の牧師を派遣したり、教会グループに牧師を派遣するような司牧体制を受け入れる準備はまだ整っていないのが現実であるように思います。十分な準備が整わないうちに専任の牧師のいない牧師館が出現するのは司牧と伝道にマイナスになる恐れがあります。いずれはそのような状態が来ることは明らかですが、その事態に備えて司牧体制の改革を検討をしなければなりません。それまでは当分人数の補充に努力するつもりです。今年度も東北教区から司祭を招いたり、教会勤務の聖職候補生が増加して昨年よりもやや人数が増加いたしました。聖職を他教区から呼ぶということは、東京教区以上に聖職の不足に悩んでいる現状を考えると後ろめたさを感じないわけでありませんが、いずれは日本聖公会全体が教区制自体の統合と整理を必要とすることは必至ですが、そのような時が到来したときは東京教区は経済的にも人的にも犠牲を求められることになるはずです。そのような事態にも備えなければなりません。
他方、教区内のすべての教会に牧師を派遣することになると、(今年はまだ管理牧師の教会もありますが)、人件費が増大することになります。今年は、現職の教役者の増加が退職者の数より多くなったことは喜ばしいことです。しかし、教役者数が過剰になったわけではなく、一教会一牧師という法規的にいえば本来あるべき状態に近づいたということであります。(財政委員会の報告で明らかになると思いますが)、その結果として人件費が激増いたしました。牧師の減少を人数の増加で補おうとすれば、人件費が多くなり、各教会の負担も増加するというジレンマが生じますが、少なくとも今年は人件費確保のため、各教会の努力をお願いしたいたいと思います。人件費削減という財政的理由で教役者の数を制限するという事態は避けるべきであると願っております。
今年4月1日付けの人事についてはすでに公表したとおりですが、三人の聖職が定年退職されます。今井烝治司祭は定年後も聖公会神学院校長として任期を勤められると聞いております。
澤邦介司祭はナザレ修道院で嘱託のチャプレンに委嘱いたしました。高畠靖司祭は真鶴にお住まいになる予定なので、教区内の奉仕に委嘱することは出来ませんが、随時奉仕をお願いしたいと思っております。三人の司祭の永年のご奉仕を教区に代わって感謝申し上げたいと思います。
英国に留学されていた中村邦介司祭は、所期の研究を終えられてこのたび帰国されました。その研究成果を十分教区の宣教に役立てていただきたいと期待いたします。4月より立教女学院チャプレンに派遣することになりました。また東北教区から井口諭司祭が転入されて、聖ミカエル教会に勤務されることになっております。また今年は三人の聖職候補生が教会勤務に任命されます。中川英樹聖職候補生は月島聖公会の牧師館に居住し、前田良彦司祭の指導で勤務を始めます。また石坂みゑ子聖職候補生は神愛教会の牧師館に居住し、下条裕章司祭の指導のもと神愛教会の聖職候補生として任命いたします。日高実則聖職候補生は竹内謙太郎司祭の指導のもと主教座聖堂付き聖職候補生として、宣教主事補、障害者担当に任命し、主教座聖堂牧師館三階で居住する予定です。主日その他の適当な時に時に説教や証し、あるいは障害者に対する助言などの任務を引き受けていただき、またそのために必要があれば巡回訪問させる予定です。日高聖職候補生自身も視力の障害をもっておられますが、これからは自ら障害者でありつつ、他の障害者に仕える責任を委ねられます。日高聖職候補生に主の励ましと導き、またご本人自身の健闘を祈ります。いずれ通知をする予定ですが、各教会・礼拝堂、あるいは団体やグループで積極的に奉仕の機会を提供していただき、障害者についての理解を深めていただきたいと願っております。日高聖職候補生による新しい奉仕の職務を積極的に受け入れていただきたいと思います。
V 一九九八ランべス会議について
最後に、今年は一〇年に一度開かれる世界の聖公会の主教会議であるランベス会議が7月から8月にかけてカンタベリーで開かれます。ランベス会議のテーマを見ると、いま世界の聖公会はどのような課題に取り組もうとしているかを理解することができます。今回取り上げるテーマは、第一には「完全な人間性」の探求です。神によって造られた同じ人間の間での貧富の差の拡大、対立と闘争、女性男性の性差の問題、いのちを操作する技術の進歩、人間と自然の関係など、現代は人間として生きることの問題と取り組みます。
第二には、福音伝道の使命の再確認です。見通しの暗い世界にあって、「よきおとずれ」を伝える召命にいかに応答するかを討議します。
第三には教会も世界も多様化している現状を認識して、その問題と積極的な意義を討議します。
第四には、多様化の世界で分裂を避けて教会も世界も「ひとつになる」という一致と平和の福音の課題をどのように達成するかということ学びます。いずれ年内にはは報告と決議が出版される予定でありますので、教会のグループでの学習のテーマとして頂きたいと思います。
以上をもちまして、開会のご挨拶に代えさせていただきます。ご清聴ありがとうございました。