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スチュワードシップとは



スチュワードシップとは、ひとことで言えば「神の恵みに対する応答」ですが、このような言葉の説明よりむしろ、一つの事例が理解の助けとなります。
ダビデ王の時代に、ダビデの息子ソロモンによって神殿建設が進められることになりました。
そのためにダビデは莫大な量の金、銀、青銅、鉄、木材などを寄進し、また民にも寄進を呼びかけました。
その結果、おびただしい量の資材がささげられました。
そこで、ダビデは民の前で主をたたえて言いました。
「このような寄進ができるとしても、わたしなど果たして何者でしょう、わたしの民など何者でしょう。
すべてはあなたからいただいたもの、わたしたちは御手から受け取って、差し出したにすぎません。
」(歴代誌上29章14)。
この言葉は、祈祷書の聖餐式式文の中で奉献の箇所に用いられていることからもわかるように、神の恵みへの応答としてささげる態度の表明です。
つまり、わたしたちの持てるものすべては神からいただいた恵みであり、その恵みに対する応答として、ふさわしい時に神に差し出すのがささげ物である、と考えるのです。
また、神から受けた恵みである持ち物を責任をもって管理し、必要なときにそれを差し出すことによって、神と人との望ましい関係が保たれるわけです。
主イエスはしばしば、主人と雇い人のたとえでこのことを語られました。
たとえば、
タラントのたとえ(マタイ15章14〜30、ルカ19章11〜28)
不正な管理人のたとえ(ルカ16章1〜9)
取るに足りない僕のたとえ(ルカ17章7〜10)
仲間を赦さない家来のたとえ(マタイ18章23〜35)
ぶどう園と農夫のたとえ
(マタイ21章33〜44、マルコ12章1〜12、ルカ20章9〜19)
などです。

これらのたとえで示されているように、わたしたちには、委ねられている神の財産を責任をもって管理することが求められています。
そこで、管理する人を表すスチュワードという言葉が用いられるようになりました。

このように、スチュワードシップは神から委ねられた恵みを責任をもって管理し、恵みに応えることのできる管理人となることの表明であり、それがわたしたちひとりひとりに求められている生き方であるとともに、教会のあり方をも示しています。

つぎのようなスチュワードシップの定義も、理解の助けになると思います。

スチュワードシップとは、キリストを通して与えられた恵みとわざに対して、教会と人がなすべき応答である。
この応答として、われわれは喜びと感謝をもって神に礼拝をささげ、この世が被造物であることを認識し、地球の資源を人の必要を満たすために神が与えられた恵みとして扱い、われわれの命も力も持ち物も神からの賜物として喜び楽しむとともに神のわざのために用い、福音の擁護者となる道を求め、キリストのこの世への宣教のわざに加わる。
Receiving and Giving - The Basis, Issues and Implications of Christian Stewardship- Central Board of Finance of the Church of England ed. The General Synod of the Church of England. October ; 1990

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