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時間、才能、持ち物



スチュワーシップは「神の恵みに対する応答に生きること」が本質なのだと言うことを説明しました。
しかし、ただ学ぶだけで実践がともなわなければ何にもなりません。
そこで、スチュワードシップを実践するために、何をどのようにささげたらよいのかを具体的に考え、実行することが求められています。

何をささげるかということについては、
時間、才能、持ち物(あるいは金銭)
という三項目が取り上げられるのが普通です。

わたしたちに与えられている時間、才能、持ち物を神に受け入れられるように用いることが、スチュワードシップの実践です。

しかし、時間や才能や持ち物をささげることそれ自体がスチュワードシップであるかのように誤解されないように注意しなければなりません。
スチュワードシップは献金の呼びかけや奉仕のために走り回ることではなく、神の恵みに対する応答として、言い換えればクリスチャンとして自覚的に生きることであって、その結果がささげる行為となって現れるのです。

時間をささげることは、まず時間がいかに大きな恵みであるかを自覚することから出発しなければいけません。

ことに、「現在」は神の時間であって、つねに隣人の必要のためにささげることのできる可能性を持っており、「現在」という恵みが与えられていることを自覚してそれを用いることがクリスチャンとしての時間のスチュワードシップだということができます。
A New Climate for Stewardship ,
Wallace E. Fisher The Parthenon Press,
Nashville, Tennessee ;1976
隣人のために時間をささげることにしばしば妨げとなるのは、自分自身の未来への不安です。
そのとき、
「明日のことまで思い悩むな。
 明日のことは明日自らが思い悩む。
 その日の苦労はその日だけで十分である。」
と言われた主イエスの言葉によって、神が現在を支えてくださるように、未知な未来もお支えくださることを確信し、今日の責任をはたすために「現在」を用い、希望をもって明日に向きあうことができるのです。

才能についても、才能が神からいただいた恵みであることの自覚が出発点となります。
人によっては、だれからも認められるような特別な才能、たとえば優れた音楽の才能が与えられていることがあります。
しかし、ささげることができるのはいわゆる天才的な才能ばかりではありません。

使徒パウロが自分の弱さまでも神の恵みであることを発見し、宣教のために役立てることができるのを喜んだように、失敗、不幸、苦難などの経験さえも、隣人のためにささげることのできる賜物であることを発見することができるかもしれません。

一方、他人の才能を認めることは必要なことかもしれませんが、「あのひとは優れた音楽の才能を持っている人だ」というように、その人の人格より先に才能に注目することは、教会のために才能を持った人たちが操られ利用され、人格が傷つけるられる危険につながります。

したがって、とくに教職や信徒のリーダーは、才能をささげるようにうながす以前に、まず神に仕えるようにうながすことが大切です。

食物や衣服は生きるために必要であり、その必要が満たされているときその恵みを感謝するとともに、必要が満たされない隣人のために、持てるものをさしだすことが持ち物をささげることのはじまりであったことでしょう。

しかし、聖書の時代でもすでに貨幣経済が発達していて、金銭をささげることによって、より効果的に援助を必要とする人々を助けることができたので、献金という形でささげるのが一般的になっていました。
今日では、経済活動がますますさかんになり、ほとんどあらゆるサービスが商品化され、それだけ貨幣の働きが拡大したと考えられます。
したがって、献金の必要が増す一方、各人にとっても金銭をいのちのように大切にしなければならなくなりました。
その結果、金銭をささげることに対しての迷いが増し、神の恵みに対する純粋の感謝の思いから献金をささげることが困難になってきたのではないかと思われます。

しかし、貨幣経済によって、直接に手助けをすることのできない人々に対しても、献金を送ることによって有効な援助ができるようになったわけです。

したがって、献金の呼びかけにおいては、そのささげ物がどのように用いられるかを納得できるように説明し、とくに教会組織や政府機関によってなされる援助などの場合、人対人の関係が失われることのないよう配慮することが必要です。

また献金をささげる側も、それがどのように用いられるかを確認することが求められています。
すなわち、「献金をささげるときはいつも、ささげ物は人格の延長だということを認識しつつ、ささげた後にそれがみ旨にかなうように用いられるよう祈るとともに、その使途について確認し発言することが必要である」といわれます。

Receiving and Giving - The Basis, Issues and Implications of Christian Stewardship- Central Board of Finance of the Church of England ed. The General Synod of the Church of England. October ; 1990

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