今年も教区フェスティバルのご案内をする時期になりました。今年は、9月15日(月・敬老の日)に立教女学院で行います。

恒例となった教区の年中行事ですが、これまでその年にふさわしいテーマと内容で行ってきました。今年のテーマは、《「主の平和」って・・・》です。実行委員が集まってテーマを相談した頃、イラクを巡る世界の情勢が緊迫しているときでした。一昨年のニューヨークにおける「9・11事件」以来、世界は大国の強大な力で動かされるようになり、報復、攻撃、そして戦争、といった言葉が、新聞紙面を大きく占めるようになりました。そしてまた、「事件」を契機に、世界中が平和について議論し、平和の実現を願って行動し、熱心に祈るようになったのも事実です。そのような情勢の中で開催する今年の教区フェスティバルでは、平和をテーマにすることを実行委員会は決めました。

今年は東京教区成立八〇周年の年に当たります。これまでの教区の歴史は必ずしも平穏ではなく、痛みを伴う混乱もありました。そして今も新たな傷を負いながら歩みを続けています。教区フェスティバルでは、これまでの痛みや傷を振り返りながら、これから平和を求める共同体として新たな一歩を踏み出そうではありませんか。

わたしたちは毎主日の礼拝(聖餐式)の中で、「主の平和」と声を掛け合って平和の挨拶をしています。復活したイエスが弟子たちの前に現れ、「あなたがたに平和があるように」と言われたことを思い起こしながら、お互いの平和を願い、あるいは平和であることを喜び、感謝し、あるいはまた平和であることを確かめ合うときになっています。

弟子たちに対して呼びかけられたイエスのみ言葉は、今のわたしたちに対する問いかけでもあるのではないでしょうか。「あなたがたは平和であるように、努力しているか」という問いかけです。二〇〇〇年も前から平和になるようにと言われながら、そのみ言葉を無視するかのように世界の歴史は、平和からは程遠い争いと混乱の連続でした。そして今の社会の現実を見ると、昨年はアフガニスタン、今年はイラクというように、多くの人が命を落とし、傷つけられ、平和でない事実が明らかです。戦争だけでなく、暴力、貧困、飢餓、差別、病気、等々の現実がわたしたちを取り囲んでいます。

また、わたしたちの日常生活に目を向ければ、いじめや虐待、家庭内暴力、不登校やひきこもり等、心穏やかに日々の生活を送ることのできない人たちがいます。また、難病・重病と闘い、不安な日々を過ごす人たちも多くいます。このようにわたしたちの隣人が、心の平和を失っているという現実があります。

それでは、わたしたちはこの現実の中で無力なのでしょうか。イエスが言われた平和を実現するために、何もすることは出来ないのでしょうか。戦争を終らせることは出来なくても、一人ででも、隣人の心の平和のための道具になることは出来るのではないでしょうか。一人一人は無力かもしれませんが、一人ではできなくても、大勢が集って、知恵と力を合わせれば、あるいは戦争を止めさせることが出来るのかもしれません。わたしたちはすべての人が平和になるように、神様の助けを祈り求めながら、神様とともに行動することが求められていると思います。そのような意味で、わたしたちが交わす「主の平和」の挨拶は、本当の挨拶になっているのでしょうか。今年の教区フェスティバルが、わたしたちの一人一人が現実に目を向け、平和の道具となることを真剣に考えるよい機会であることを願っています。

それでは、平和の挨拶を交わしましょう!

『主の平和!』

(実行委員長 司祭 鈴木裕二)

<もどる>