2002年1月

アフガン難民キャンプのいま

 
 2001年春に、日亜友好会(NPO団体)のボランティアとしてパキスタン内にあるアフガニスタン難民キャンプの調査に参加された川嵜さんは、現在、日本とパキスタンを往復し、難民支援や通訳などの活動を行っています。アフガン難民キャンプの今の様子についての大変貴重なレポートです。(全国青年ネット事務局/相原)


 9月11日の同時多発テロ事件以降、パキスタンのアフガン難民キャンプでは変化が起こっている。アフガン難民は主として3世代に区分される。ソ連侵攻と共に逃れ出てきた第一世代、その後激化する内戦からアフガニスタンを後にした第二世代、そして第一・第二世代の子供たち、つまり難民キャンプで生まれ育ち祖国アフガニスタンを知らない第三世代だ。今、アメリカの同時多発テロ事件、そしてそれに続く空爆から逃れて、新たに難民となった人々が日々パキスタンにやって来ている。いわば第四世代ともいえる彼らは、今までのアフガン難民以上に、憎しみ・怒り・絶望など、大きな傷を心に抱えている。
 大地に突き立てた棒に、ボロボロの布を引っかけただけのテント。吹きさらしで、防寒具はおろか地面を覆う敷物すらない。それが彼ら、第四世代の人々の住居だ。彼らの多くは国境で賄賂を支払い、パキスタンに密入国してくるため、難民キャンプに辿り着くころには全ての財産を使い果たしている。当然、不法入国・不法滞在となるため、難民登録もできず、同時にあらゆる機関から支給される援助物資を受け取ることができない。また、彼らの多くは密入国が当局に知られるのを恐れ、既存の難民キャンプに隠れ住んでいるため、NGOは勿論 UNHCRさえも彼らの生活実態はおろか、存在すら把握できていないのだ。彼らは既存の難民キャンプに以前から住む知人や同族を頼り、国境を越えてやってくるのだが、期待していたような援助はなく、食料や水さえも同族から僅かに分けてもらい日々食いつないでいる状態だ。
 空爆による被害は絶大なものである。一方的に、ただ上空から逃れようのない、反撃しようのない形で爆撃するのは、もはや戦争ですらない。テロとは無関係の一般市民が、多数犠牲になっているのはご承知のことと思う。10歳にも満たない子供達が、本物の銃を握りしめて「アメリカに死を!」と叫ぶ姿を何度も見かけた。彼らの瞳は、父を母を兄弟を友人を同胞を、仲間を殺された怒りに燃えている。憎しみからは憎しみしか生まれない。空爆や他国に後押しされた戦争からは、第二・第三のテロリストを生むだけだ。
 空爆が終わっても、表面上戦争が解決しても、人々の生活状態は変わらない。マスコミがアフガニスタンを取り上げなくなって、日々のニュースから難民キャンプや空爆の映像が消えても、日本と同じアジアの一角に生きる手段すら取り上げられた人々が、過酷な生活に耐えて生きていることを忘れないでいただきたい。
(大阪教区石橋聖トマス教会/川嵜美智子)


2002年2月

平和宣言、そしてピースツリーへ

 二〇〇一年九月十一日、この日テレビから流れてきた映像は見る者の魂に大きな衝撃を与え、心に深い傷を残した。ある青年とのやり取りの中で、共に祈ることの必要を心の深いところで感じさせられた。青年、子供など数人と、当日来れなかったクリスチャンではない多くの人々とも心を合わせて祈る時を、事件の数日後に持つことが出来た。
 この事件は今世界が様々な所で直面している危機に私達の心を向けさせた。そしてそ のことに心を痛め、祈り、出来る所から行動していくというプロセス自体が癒しにつながっていくことを教会に関わる人々と分ち合った。「平和宣言一〇・二一」、私達の教会が作ったこの宣言には教会に集う一人一人の平和への願い、信仰告白が書かれている。自分達の言葉で祈り、証することを大切にしたかった。作成に青年達が積極的に関わってくれた。内外の聖公会、様々な教派や平和活動団体等にも送付した。その宣言文の最後は「平和のために、すべての戦争に反対し、武力によらない解決方法を求めて行動します」と結ばれている。暴力に反対し、踏みにじられている人々の叫びに耳を傾け続けることを通して主の平和を求めていく在り方を、宗教や立場を超えて色んな人々と協力してやっていこうという決意があらわれている。
 昨年の降臨節には教会前に、平和への願いを込めたメッセージカードやオーナメントを飾り付けたクリスマスツリー「ピース・ツリー」が設けられ、一月六日顕現日まで設置された。高さ二・一メートルのツリーに飾り付けられたカードには「早く平和な世界に戻って」「アフガンの子供達が幸せになりますように」等と小学生や親子連れから寄せられた百以上のメッセージがずらり。府内外や外国からもリースやオーナメントが届いた。平和な世界の実現を町の人々と願うことが出来た。 この企画は、私がインターネット上の市民ネットワーク「CHANCE!―平和を創る人々のネットワークー」に参加したことがきっかけで、そこで知り合った人達がピース・ツリー作りを発案した。 
 教会では様々な人々が賜物を出して下さった。ツリーをプレゼントしてくれる人 、設置や飾り付け、オーナメント作り等を指導してくれる人等など。日本各地、時には韓国からわざわざオーナメントを届けて下さる方もあり、訪れてくれた人々とも交わりが出来た。それぞれの心の中にある平和への願いがピース・ツリーを通して分かち合われ、つなぎあわされた。教会を訪問された方の「このような場が世界中に広がればいいのに」との言葉が胸に残った。この動きにステパノの青年も加わり、またクリ スチャンではない青年達が、熱心に動いておられるのに接し多くの感動が与えられた。ピース・ツリーは京都新聞や毎日新聞でも取り上げられ、多くの方々が知るところとなった。顕現日、この企画に関わった青年達八人が日本中からステパノに集まり、分ち合い励ましあった。平和への願いが大河となって流れ出しますように。
(京都聖ステパノ教会/小林聡)

2002年3月

北関東教区「青年の集い」

 これまで、私の所属する志木聖母教会には、若い世代の信徒はほとんどいませんでした。それが昨年、2人の青年が洗礼堅信を受け、私たちの兄弟姉妹として加わりました。12月のことです。主にある兄弟姉妹たちとの話の中で、必然と「青年会」活動への思いが芽生えてきました。そのことを、管理牧師である教区主教に相談すると、喜んで賛成してくださり、そこに「有志による青年会」が発足したのです。
 さっそく私たちは「青年の集い」を開くことを決め、降誕日が過ぎて落ち着いた12月29日に行うことにしました。とはいえ、集いまでの日程は厳しく、青年の集いを開催する趣旨のチラシを作成し、近隣の教会に出向いて、出会った青年たちにチラシを配り、集いへの参加をすすめるという方法をとりました。
 会当日は、心配していた参加者の問題もよそに、10名の青年が集まってくれました。同じ教区に属していても、なかなか出会うことの少ない各教会の青年たち。初めて会う人、久しぶりに会う人、メールのやり取りで知ってはいたけれど、顔を合わせるのは初めての人。イエスさまを通して、いろいろな出会いが生まれました。予定していた2時間の会も、あっという間に過ぎてしまいました。
 それから2週間後、早くも2回目の「青年の集い」を開くことになりました。今回は、場所を浦和の教会に移しての開催です。このときは新年会でした。夜の7時から終電間際の時間まで語り合いました。そこでの語り合いは、今まで私の教会生活で味わうことのなかった「若さ」を実感したひとときでした。
 また、この青年会活動と並行して、インターネット上でのメール配信をする「北関東青年ネットワーク」を開設しました。宣教や信仰の助けとして、また青年活動への
示唆として教区内外の方たちへ情報を配信しています。
 3回目の準備、今後の活動の構想も進められています。しかし、まだまだ歩みだしたばかりの青年会です。青年会という神さまからの備えてくださった新しい革袋に、どんなぶどう酒を入れることができるのでしょうか、私たちの活動を見守りください。
 (北関東教区志木聖母教会信徒/トマス川澄幸宏)

2002年4月

SCM現場研修

 2002年3月9日(土)〜17日(日)、大阪の生野と釜ヶ崎にて第24回SCM現場研修「差別の社会構造と私たち」が行われた。
 初日は参加者全員が、生野研修の拠点となった在日韓国キリスト教会館に集って交流を深め、これから始まる一週間を思い、改めて気持ちを引き締めた。二日目からは釜ヶ崎研修生が「旅路の里」へと移動し、生野・釜ヶ崎に分かれての研修がスタートした。生野研修生は、日中は在日韓国・朝鮮人の人が経営する工場などで働き、夜は講演を聞き分かち合いの時を持った。釜ヶ崎研修生は、全員で支援団体の方のお話を聞いたり、炊き出し・夜まわりに参加したりする一方、多くの時間を各自でプランを立て自由に行動した。そしてこちらでも、毎晩分かち合いの時を持った。最終日には、また生野に集合し、それぞれの報告をして一週間を振り返った。
 それでは、私は釜ヶ崎研修生として参加したので、釜ヶ崎での感想をここで少し述べたい。私は、まず今の日本の社会構造において、野宿せざるを得ない状況に陥る人が出ることは必然であろうという事実に絶望感を覚えた。そして、そうだとすれば尚、行政・民間が力を合わせて受け皿を整えることが早急に求められると感じた。
 そのためには野宿労働者に対する「差別意識」をなくすことがまず第一である。差別意識とは、野宿している人を異質なものとして捉え、いわゆる一般の人たちより下に見る見方であり、そのことに大きな問題があるのだと思う。そういう意識があるから、一人一人を人間として対等に扱うという、当たり前のことができなくなってしまうのだろう。「違い」はもちろんある。例えば日雇い労働者と自分は、生活時間帯も価値観も全く違うだろう。でもその違いは、言うまでもないが人間としての上下や優劣などではなく、あくまでも単なる「違い」なのだ。そんなことを、考えた。
 現場研修での一週間は、ほんのきっかけにすぎない。全てはこれからにかかっている。きっと今頃、みんな自分の場所に戻って、ある人は直接的に、ある人は間接的に、それぞれの形で関わりを進めているのだろう。
 (大阪教区芦屋聖マルコ教会/錦織恵里)