キリスト者の生活
信仰
2109  分かちあえる
わかちあえる
Youth Assembly 1998
(Imてびん、大西温、河野道太、西原愛、根田榮子、
パク・ソンヒ、宮崎光、宮崎道)
WAKACHIAERU
宮崎 道 (1968-)
 青年たちの集いの中で生まれた聖歌です。1998年夏、中部教区・東京教区共催の「青年の集い〜共に創る祈りの食卓」が、長野県野辺山で開催されました。
 韓国から参加していた青年(パク・ソンヒ)は、そのキャンプで感じた思いを、こう語りました。「神は分かちあえるものを分かちあえるほど十分に、すでに与えておられます。でもそれを見ることができないでいる、わたしたちの目を開いてください」。この祈りとも言える彼の思いへの共感から、グループのどこからともなく「分かちあーえる」という詩と旋律が口ずさまれました。併せて、五つのパンで五千人以上の大群衆を満たされた主の奇跡物語から、「どんな小さなことでも分かちあえる」という言葉が組み合わされて、この詩が完成しました。そして、参加者の一人であった宮崎道(2087参照)が、最終的に曲をまとめました。
 その夜の聖餐式では、この歌を始めにゆっくりと繰り返し歌い、礼拝の終わりに再びこの歌を、今度はアップテンポで何度も、元気よく、激しく歌いました。その時、「分かちあえる」は、この青年の集いのテーマソングとなったのです。
 『試用版』に載せてある譜は、教会の礼拝で用いるために、作曲者自身によって編曲されたものです。
 黙想的に静かにゆったりと歌っても、アップテンポで快活に歌っても、またピアノ、ギター、オルガンなど、どのような楽器でも、礼拝の状況に合わせて用いることができる曲です。陪餐前や陪餐中の歌としてもふさわしく使えるでしょう。伴奏によって、「くりかえす時」と「終わる時」が容易に聞き分けられるので、何回か繰り返し歌っていてもエンディングはきれいにまとまります。
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