聖路加国際大学 聖ルカ礼拝堂

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2020年7月5日(2020/07/03)

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。」(マタイ11:28,29)
イエスの宣教には、その初めから大きな壁が立ちはだかっていました。その壁はユダヤ教の指導者たち、サドカイ派、律法学者そしてとくに経験と学識を誇るファリサイ派の人々が堅固なものとして存在していました。彼らはその豊かな経験と知識によって人々の生活を隅々まで管理し、拘束していました。彼らはまさにヨブが苦しめられた「神を自分の手に所有している者」(ヨブ記12:6)と自負するユダヤ教の指導者たちと同じ者たちに他なりませんでした。今日の福音書の背景には、人々の日常生活に対するこのような宗教的な拘束(律法)と束縛(自由の)があったのであり、宗教的エリ?トによる支配に苦しめられている現実が語られている、といえましょう。人々が「疲れた者、重荷を負う者」と表現されているのはこの現実に他なりませんでした。「だれでもわたしのもとに来なさい。」と語られるイエスの言葉は、人々にどんなにか大きな慰めと励ましを語っていることでしょうか?もちろんイエスは当時の律法、そして現代の価値観からの自由放任によって「休ませてあげよう。」と語られているのではないでしょう。「わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。」と語られるイエスは、イエスと共にイエスにつながれた軛を負って歩むこと。その軛は、イエスの「柔和と謙遜」が現す父である神のわたしたちと世界に対する愛に他ならない。そのイエスがわたしたちの「重荷を負い、疲れやすい」日々に同伴してくださり、神の愛がわたしたちの重い足を支えて歩んでくださっていることを語られます。 (司祭 バルナバ 関 正勝)

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