聖路加国際大学 聖ルカ礼拝堂

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2020年7月26日(2020/07/22)

「天の国はからし種に似ている。人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」(マタイ福音書13:31以下)
ここ数週間の福音書はマタイ福音書による種と種蒔きについての譬えが語られています。先主日では「毒麦」の譬えが語られました。種まく人はイエスご自身 僕(しもべ)たちとはイエスの弟子たち。畑に蒔かれた種は「良い種」のはずでした。そこに「毒麦」が混ざっていることに気づいた弟子たちは、早々と「抜き去ろう」とします。自分を「良い麦」と考えるしもべたちは「毒麦」を判定して抜き去ろうとしています。しかし、イエスは「刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。」と語って、神の忍耐と寛容を示されます。そして誰一人「刈り入れのとき」を決定する権利は持っていないこと。その決定は神ご自身のうちにあること。それを僭越にも犯す彼らの態度は問題でしょう。人間は誰も神にとって代わり、時を決定し、支配することはできません。この「毒麦」の譬えは、わたしたちの信仰は、純粋培養による弱弱しく成長することではなく、自分たちにとって「異質」な現実と共に育つことが求められていること、しかもそのような成長が神の忍耐と寛容のもとで待たれていることが語られたのでした。そして今日の主日 天の国の譬えの一つとして「からし種」の譬えが語られます。その種は「どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる。」と。「育つのを待たれている」畑に蒔かれた種は、一見それらがどれほど見栄えがしなく、小さく弱弱しい存在であっても昔の預言者エゼキエルなどが預言している通り(31:6,13)、やがて大きく成長することが約束されています。それは神がなさることで、人間の思いや知恵がなし得ることではない。神の忍耐と寛容が育てて下さる。それゆえ、その神秘を理解し、発見する者は「畑に隠されている宝を見つけた人」また、「高価な真珠を一つ見つけた人」のようにそれまでの後生大事にしていた「持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」神が隠し置かれた「宝」また「宝」に気づき発見する人はそれまでの自分たちの知識や経験または常識といった「持ち物」を、ペトロやヤコブが船や網を捨ててイエスに従ったように歩む、という姿勢が語られています。(司祭 バルナバ 関 正勝)

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