「マリアは言った。『わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。』」ルカによる福音書1:38
この少女の言葉は、よく「従順さの鑑」のように言われるのですが、現実をよく想像してみると、そういう言葉では足りないのではないかと思います。誰の子か分からない子を妊娠し生むのは、下手をすると死刑につながるほど重く、それを上手く逃れられたとしても、後々までその女性は後ろ指を指されるような人生を送ることになるのですから。イエスさま自身も活動がみんなに認められ始めた時には、よく知っている人たちから、「あの人はマリアの私生児じゃないか」と悪口を言われているほどなのです。(マルコ6:3)マリアさんのイエスさまへの一番大きな影響は、「お言葉どおり」という言葉に表れているように、「神さまに信頼すること」なのではないかと思います。それは、イエスさまにとって一番大きな危機とも言える場面で見受けられます。十字架にかけられる前にイエスさまがゲッセマネでお祈りされた時に、「しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように」(マルコ14:36)という祈りに至られたのは、まさに、マリアさんの「お言葉どおりに」という信頼の言葉に呼応しているように思えるのです。(司祭 シモン・ペテロ 上田憲明)