「聖霊に満たされる」<使徒言行録>
今や林を歩くと、もう新緑の時はすぎ、緑の濃さがましてきた。栗林では翁の頭のような白い花が垂れ下がり、ピンクの卯の花が満開である。池では「いずれ、アヤメかカキツバタ」状態。「立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿はユリの花」と、草花とのお付き合いにうれしくなり、思わず歩みを止め、彼らの息吹を胸いっぱいに吸い込みたくなる。聖書では「霊」という言葉は旧約ヘブライ語では「ルーアッハ」新約ではギリシア語で「プニューマ」であるがどちらも「風とか息」という意味をもつ。神の息吹を受けアダマ(土塊)がアダム人間になったと創世記は記す。聖霊降臨日のヨハネ福音書で、イエスは意気消沈して暗い部屋に鍵をかけてひきこもっていた弟子たちに「平安あれ」と祝福し、さらに近寄り息を吹きかけて「あなた方が本当に赦されたと思うなら、人を赦す人になりなさい」と使命をお与えになったのである。(司祭 パウロ 佐々木道人)