聖霊降臨後第3主日 日曜学校教話  2002.6.9

聖マタイによる福音書 第9章9〜13節
 

 きょうの聖書(せいしょ)は、12使徒(しと)のひとりであるマタイが、イエスさまから召(め)しだされたときの状況(じょうきょう)が記(き)されたものです。
 マタイは徴税人(ちょうぜいにん)といって、ローマ政府(せいふ)から任命(にんめい)された税金(ぜいきん)のとりたてうけおい人でした。
 当時(とうじ)のイスラエルは、ローマの占領下(せんりょうか)で、その結果(けっか)ユダヤ人は自分(じぶん)の国(くに)の領主(りょうしゅ)と、ローマ帝国(ていこく)にたいして、二重(にじゅう)の税金をおさめなければならなかったのです。
 徴税人たちは、そういったユダヤ人の生活(せいかつ)がくるしいなかで、きめられた額(がく)いじょうの税金をちりたて、そのうわまえをはねるといった悪(わる)いことをしていたのです。ですから徴税人は、ユダヤのひとたちにとって、殺人犯(さつじんはん)や泥棒(どろぼう)とおなじような罪人(つみびと)として扱われ(あつかわれ)、また、けいべつされ、きらわれものとして神殿(しんでん)の礼拝(れいはい)には参加(さんか9がゆるされない、非常(ひじょう)な差別(さべつ)をうけていたのです。
 マタイは、このような徴税人である自分の仕事(しごと)に疑問(ぎもん)を抱き(いだき)、毎日(まいにち)ゆううつな日々(ひび)をおくっていたのではないかと想像(そうぞう)されます。
 ところがある日、思(おも)いがけなくイエスさまから親しく(したしく)“わたしに従って(したがって)きなさい”とお招(まね)きの声(こえ)がかかったのです。
 彼(かれ)の感激(かんげき)は大変(たいへん)なものでした。マタイはイエスさまが、ほかの人々のしめす、あのけいべつや冷(つめ)たさがなく、そのまなだしのなかに愛(あい)を見(み)たからです。
 イエスに従うことは、いままでの徴税人として多(おお)くの収入(しゅうにゅう)をえていたのをなげうつことですが、マタイは決然(けつぜん)としてイエスにつき従ったのです。
 私(わたし)たちも、マタイのように古い(ふるい)生活(せいかつ)を改め(あらため)、イエスさまの教え(おしえ)を守る(まもる)、謙虚(けんきょ)な、あたらしい生活にはいれるようにしましょう。

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