本主日の説教(Today's Sermon)

 

 

 

2022年 1 月 23日 顕現後第3主日説教
司祭  田光信幸

ネヘミヤ記 8 章 2-10 節
コリントの信徒への手紙一 12 章 12-27 節
ルカによる福音書 4 章 14-21 節

 新型コロナウィルス感染症の長期に亘る何度かの感染予防の訴えの中で、教会の礼拝も非公開の状態となりました。
そのような状況にあっても、私たちは聖霊のみ力を信じ、霊的な交わりの絆を強めなければなりません。そのためにみ言葉の学びと祈りの連結の中で、困難の時を乗り越えていきましょう。

今日の旧約日課のネヘミヤ記に記されている祭司エズラは、バビロニア補囚から解放され、指導者ネヘミヤとともに、エルサレム再建と信仰復興に力を注いだ祭司です。信仰の復興、主の律法に帰ることこそ、荒廃した祖国再建の最善の方法であることを示し、
エルサレムの神殿と城壁を再建しました。その時、人びとと共に感謝の礼拝を献げたときの言葉が記されています。

この祭司エズラの言葉の中に、礼拝を献げる姿勢や礼拝とは何かが教えられています。 今⽇は、我らの主にささげられた聖なる⽇だ。悲しんではならない。主を喜び祝うことこそ、わたしたちの⼒の源だ。この言葉に、いま離ればなれの状態にあっても、聖餐式を共にしようとする思いに重ねて共感と感動を覚えます。

主に献げられ、共に(霊的に)食し、神の恵みの喜びを分かち合う、この感動こそ、私たちを励まし活かす力の源です。礼拝と教会の意味をこれほどに明らかに示すものはないでしょう。神さまが自分のために何をしてくださったかではなく、わたしが主に献げられた!、主に用いられる!、その感動を分かち合うことが礼拝だ!、そう思います。

パウロの言葉に あなたがたはキリストの体であり、また、⼀⼈⼀⼈はその部分ですとありました。 一人一人が、キリストの体の一部分である!この思いが、私たちが兄弟姉妹としての繋がりをもつ最大の絆です。イエスさまが私たちと出会われる、それが教会であり、礼拝であり、交わりです。

イエスさまは、その出会いがもたらす働きを、イザヤの言葉をもって明らかにされます。貧しい⼈、捕らわれている⼈、⾒えない⼈、圧迫されている⼈に、喜びと解放と回復と自由の恵みを伝える、それがイエスさまが人びとに出会う姿です。「この聖書の⾔葉は、今⽇、あなたがたが⽿にしたとき、実現した」耳にするとは、確信する、受け容れる、希望として持つ、そして体感するということです。
イエスさまの思いを、言葉を、目指す歩みに、共鳴し、共感し、共有する。これがイエスさまとの出会いに与えられる信仰の恵みです。

聖書のみ言葉や礼拝や交わりによって、神のみ心が、一人一人のこの世の暗闇を歩む方向に光として射す、そのような神の愛の力である〝霊〟の⼒の感触が伝わります。イエスさまのみ言葉を聞いてホッとする。イエスさまの在ますことを感じて聖餐のパンとぶどう酒(を霊的にいただくこと)に主の温もりを感じる、イエスさまの心の力に導かれる思いに、支えと励ましをいただく、それが信仰に生かされた「存在することすなわち生きることへの勇気」「存在することが赦されることの力」の証しとなります。

存在すること、生きること、命を感じること、それが最大限に許されていることを教える力が信仰であり、実感させる出来事が聖霊の働きです。わたしたちの生活に、感激、感動を与えてくれるもの、それが聖霊のみ力です。教会は、わたしたち一人一人に「存在への勇気」を示す“霊”の力を伝え、行動の原点である心の拠り所となるべき聖なる、神との出会いを守るところです。この交わりに、わたしたちの思いと信仰と祈りがあることを心深く刻んでいきましょう