パトリックニュース最新号(Patrick News)

聖パトリック教会1957年伝道開始
2018年7月15日発行 第306号

神の国に入る
牧師 司祭 バルナバ 菅原裕治


資産をたくさん持っていた男が立ち去った後、イエス様は、弟子たちに対して、「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか」と続けます(10:23)。ここの「財産」という言葉は、お金や宝物を意味し、10章23節の「資産」とは異なる言葉です。少し深読みすれば、固定資産であれ、流動資産であれ、それら豊かに持っている人は、神の国に入るのは難しい、イエス様はそう語っていることになります。


物語は、「弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた」と弟子たちの反応を記します(10:24)。「聞いて驚いた」とありますが、「聞く」という動詞はありません。原文では「彼の言葉(複数)に驚いた」です。ここにある「驚く」という動詞は、1章27節で、カファルナウムの会堂で、最初の悪霊追放の奇跡を目撃した人々の反応を表現したときと同じ言葉です。弟子たちは、他の場面での「驚き」「恐れ」と同じように、判断と行動の分岐点に立たされているのです。またこの時点でなおイエス様の驚いたということは、弟子たちが、イエス様の教えをまだ十分に理解していなかったことの証しともいえます。


そのような弟子たちに対して、イエス様は、「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか」と言葉を続けます(10:24)。「子たちよ」にある「子」は、「神の子」の「息子」という言葉とも、「大人」に対する「子ども」という意味の言葉とも異なります。子孫的あるいは法律的なつながりがあることを意味する言葉です。イエス様は、信仰の道を伝える師匠として、弟子に対して、親しさと厳しさをもって「子らよ」と呼びかけて語ったのでした。


またこの部分は、「神の国に入ること」が主語と言えますので、一般論として神の国に入ることの困難さを語っているように思えます。しかし、「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」(10:25)と金持ちに対する注意が続きますので、何とも判断しにくいところです。


ここにある「らくだが針の穴を通る」という表現は、聖書の中でも有名です。ここはまた、新約聖書の写本の異読に関する学びの一例としても有名です。聖書時代のギリシア語では、ラクダは、「カメーロス」(kamelos)です。他方、「綱」を意味する言葉は「カミーロス」(kamilos)です。ギリシア語では「ラクダ」と「綱」は一文字違いです。そして、「ラクダが針の穴を通る」という表現よりも、「(糸ではなく)綱が針の穴を通る」という表現の方が、全体に合います。そのため、この一文字を書き換えて、「綱が針の穴を通る方が」と書き直した写本が、少しだけあります。この方が譬えが分かりやすいからです。しかし、幸いなことに、圧倒的多数の人が、そのまま「ラクダ」と書き写していました。もし、人間によりわかりやすい方が真理だと思う人が多ければ、聖書の言葉は変わっていたかもしれません。


さて、「ラクダが針を」という表現を聞いて、弟子たちは、ますます驚きます。この「驚く」という言葉は、24節の言葉とは異なりますが、1章22節で、先に触れたカファルナウムの会堂での最初の驚きに用いられた言葉と同じです。その意味では、物語の最初の方と同じ驚きの反応を弟子たちは示したということです。そして彼らは互いに「それでは、だれが救われるのだろうか」と言い合うのです。この発言は、「誰も救われないだろう」という答えを前提とした問いともいえます。この反応から考えますと、24節の「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか」というイエス様の言葉は、一般論として神の国に入ることの難しさを語っていた、すくなくとも弟子たちはそう受け止めたということになります。


そのような弟子たちの反応を予期していたのか、イエス様は弟子たちを見つめて語ります。この「見つめる」という表現は、21節で、イエス様には従えないと悲しむ金持ちの男を、イエス様が慈しんで「見つめた」ときと同じ言葉が用いられています。イエス様が弟子たちに語ったのは、「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ」という言葉でした。それは、神の国に入るということは、人間が何かを達成した努力の結果ではなく、神様の愛と恵みによる賜物である、イエス様は、そう教えているのだと思います。


人間的な価値観で高く評価されるような、財産や社会的地位、優れた才能、あるいはそれらの獲得に向けた努力、それらは神の国に入る条件ではありません。神の国に入る条件があるとするならば、それは神様にすべてをゆだねる信仰に他ならないのです。弟子たちが理解すべきはその一点でした。そして行うべきことはその一点から生まれる愛の行為でした。弟子たちはそのことを理解したのでしょうか。物語は続きます。