日本聖公会 東京教区

真 光 教 会

Shinko church

 
 
真光教会について

・聖公会 について


  私たちの教会は英国で生まれた聖公会(アングリカン・コミュニオン)に属する

 教会です。聖公会は世界で3番目に多い信徒数を持つ教派です。

 ローマカトリックとプロテスタントの中間に位置づけられ、中道、中庸、橋渡しの教

 会とも呼ばれています。

 日本全国には約2万7千人の信徒がおり東京には33の教会、2つの礼拝堂を持って

 います。

 聖公会が興した活動には立教大学、聖路加国際病院などがあります。

・真光教会の歴史


  真光教会歴史はC.M.ウィリアムズが、1874(明治7)年来深川西元町に教会堂

 を建て、1875年に献堂式を行ったのに始まります。

 これが東京におけるアメリカ聖公会の最初の会堂で、聖三一教会と呼ばれました。

  1889(明治22)年頃ふたつに分かれひとつは築地の立教会堂と合併して聖三一教会(現在の東京聖三一教会)となり、ひとつは深川にとどまって真光教会と呼ばれまし

 た。

 1895年杉浦義道が牧師となり、当時貧しい人の多かった本所、深川の伝道に従事。

 更に1907年には本所区菊川町に労働者矯風会を起こし、生活困窮者、刑余者、朝鮮

 人などの友となりました。

  1923(大正12)年関東大震災で教会堂を焼失。一時滝乃川学園礼拝堂を借り礼拝を 

 行っていました。

  1933(昭和8)年本所林町(現墨田区菊川)に仮聖堂、1935(昭和10)年に鉄筋コ

 ンクリート造りの礼拝堂を建立し復活しましたが1945(昭和20)年3月東京大空襲

 により焼失、その後、目白聖公会、本郷岩崎邸内で(西村敬太郎司祭が仮寓)主日

 礼拝を守りました。

  1953(昭和28)年8月北区稲付西町1丁目(現在北区西が丘1丁目に地番変更)に

 土地、建物を買い取り礼拝堂としました。

  その後1973(昭和48)年現在の町田市南つくし野に用地購入し、1974年に当地

 で宣教を開始しました。

年表

1874(明治7)    12月 深川に聖三一教會建立

          深川区西元町8 (現在の江東区常盤1丁目) 旧新大橋の深川寄りのたもとに建立


1875(明治8)    春 ウィリアムズ主教により献堂式。

          東京教区最古の教会で、アメリカ・ミッションの本拠地


1882(明治15)  金井登 東京聖三一神学校を第一回生として卒業、深川聖三一教会専任伝道者と

          なる


1883(明治16) 3月16日 金井登、田井正一 深川聖三一教会にてウィリアムズ主教より執事按手

           日本人初の聖職按手


1889(明治22) 1882年竣工した立教学校(立教大学の前身)に集まる会衆が分離して聖三一教会を

          組織、深川聖三一教会は眞光教會と改称


1890(明治23) 杉浦義道 東京聖三一神学校を卒業、翌年執事按手、真光教会司牧補佐者となる


1894(明治27) 杉浦義道、森川町にサマリタン医院を創設。信徒福原道太郎・山中熊也両医師の協力

          により労働者に対する医療伝道を開始


1895(明治28) 杉浦義道 長老按手、真光教会初代牧師となる 信徒数 68名

         (信徒数) 1891年=60名 1895年=68名 1896年=126名 1900年=150名 1905年=168名 

                    1910年=190名 1915年=229名  1924年=135名  との記述あり


1909(明治42)  本所林町(現在の墨田区菊川1丁目)に労働者矯風会館、簡易宿泊所、教会会館を

           建設。敷地 250坪


1923(大正12) 関東大震災により深川の全施設を焼失その後滝野川学園聖三一礼拝堂で主日礼拝を守る。

          9月1日  杉浦司祭、北関東地方部に転出、多川幾造師が管理司祭となるが、事実上

          杉浦司祭が引き続き司牧、小林彦五郎・伴君保両師が礼拝奉仕

          本所区林町(現墨田区菊川1丁目)に仮聖堂


1932(昭和6)  杉浦司祭逝去

          11月7日 貫民之助師管理司祭に


1933(昭和8)     仮聖堂建立(2階礼拝堂、1階矯正会食堂、裏に簡易宿泊所)


1935(昭和10)   鉄筋コンクリート造りの礼拝堂(会館付き)建立  (本所区菊川町1丁目15)


          7月15日 西村敬太郎司祭、第二代牧師に就任


1945(昭和20) 3月10日 下町大空襲で全ての施設を焼失

                  戦後は、目白聖公会、本郷湯島旧岩崎邸内馬小屋等で主日礼拝


1953(昭和28)  8月 北区稲付西町1丁目4番地(1966年北区西が丘1丁目4番地1号と地番変更)に土地建物

          を買い取り、礼拝所とする


1969(昭和44)  西村司祭定年退職、嘱託司祭として管理牧師竹之内瑞男司祭を助ける


1972(昭和47) 9月 野田昭次司祭、牧師に就任

          常置委員会で真光教会の活動を多摩地区に移すことが議決され、1973年4月22日の復活日

          をもって赤羽での宣教活動を停止


1973(昭和48) 3月 つくし野(現在は住居表示変更により南つくし野)教会用地購入


1974(昭和49) 6月9日 三位一体主日 竣工式 宣教開始、初代牧師 野田昭次司祭 


1982(昭和57) 9月 田光信幸司祭、第二代牧師


1991(平成3)  5月 聖堂建築、上棟式

          9月16日 礼拝堂聖別式


1993(平成5)  9月 木下量煕司祭、第三代牧師


2004(平成16) 4月 嘱託牧師に吉村庄司司祭、管理牧師に鈴木裕二司祭が就任


2006(平成18) 4月 鈴木裕二司祭、第四代牧師