Session 4

  東京ビハーラの会 田久保 園子さん (2) 11月23日 午後

一浄土仏教を世界に広められた鈴木大拙博士のお葬式に、ヨーロッパから来られた神学者がされたスピーチの中に、「死ぬ前に死んだ人は、死ぬ時には死なない」という聖書の言葉を引用されたという話しを聞いた。その言葉がずっと私の心にひっかかっている。浄土真宗の救いとまさに一致している。聖書のどこに書かれているか教えて頂きたい。(ヨハネ一一・二五―二六)

念仏するかどうかではなくて、念仏しようとした瞬間に、信心を得た時にその往生成仏が決まるという。まさに死ぬ前に死んだ人は死ぬ時は死なない。

仏教ではもともと生と死を別けません。裏腹にある生死を繰返し変化しているだけで、変化の過程に誕生のずっと前から、大きい生命の一部分が輪回というか、さまざまな条件によって、直接の原因は両親が結婚してくれたということですが、どこかの変化の地点を受胎と名付け、誕生と呼ぶ。その後もどんどん変化を続ける。二五才位までを成長とよび、それを過ぎると老化と、形を変えるほどの変化を死と名付ける。しかし、自然のまなざしからみると、ただ変化が起きているだけである。無常という言葉がありますが、すべてのものが変化する諸行無常であります。


質疑応答から


▽がん患者が死を迎えるまでにたどる経過について

 四つのプロセス(怒り、否認、取引、受容)を経て死を迎えるというのが多くの患者のパターンであるというのがキューブラ・ロスの定説になっていますが、パターン通りにはいかないというのが実感です。私がなんとかしなければ―と思っていた時代には焦りもあったが、今はどちらでも良いというのが正直な気持ちです。次の生命にきちんと引き継いで行くことができれば素晴らしいと思います

▽告知の問題について

 がんセンターの患者さんは、みな告知されています。病気を隠したり、嘘の病名を告げたりすることは、患者さん自身に良いか悪いかではなくて、人類全体のためにきちんと伝えたいと思います。後に残された遺族に会う機会が多いのですが、一番胸をつかれるのは、うやむやにされた家族と、きちんと生きること死ぬことについて会話をした家族との違いです。変わりつつはありますが、告知の問題は病名を告げることだと誤解されています。
日本の大半は告知しないパーセンテージの方が多いです。生命のことに関して嘘を認めることは、他のことはどんな嘘でも言えることにつながると思います。例えば江藤淳さんの例ですが、奥さんの肺がんを告知せず、脳への転移を脳内出血と嘘を言ったことを、ほめ称えるマスコミや世間がありました。優しく看病し、女性はそのように看取られることを望むだろうという記事を読んだのですが、私はノーです。いわゆるインテリという方には宗教的なものを無視する方が多いようです。宗教の本質があなたの思っているものと全く違っているとすればどうするか―弱い心の人がすがるものだと思っていないか―生きること、死ぬことをどう考えているか聞いてみたい。
告知は拡がっていますが、病名を告げるだけです。説明をすれば二〇〇〇円の手当がつくから、とにかく言うだけです。がん患者の会でも四〜五年前までは告知の問題ばかりだったのですが、もう一応解決をみたと思います。本当の話をしなければ、どこまでも嘘を言うことが良いことだという社会が続いてしまう。どこかで断ち切ろうという働きがありました。患者本人には知らせないで、家族には告知されるケースが一番一般的ではありますが、最初に嘘で始まると後に残された者の不信の念の拡がりは大きいと思います。一番大切な生命について嘘をつくことは他のことはどんな嘘でもついてよいということにつながるわけです。本当のことを言い続けようという根拠はそこにあります。死で全てが終わるという価値観、形あるものしか信じないというのでは人類全体のレベルダウンにつながる―悲しい文化が続くと感じます。
私は患者さんに残された短い人生を有意義に過ごしてもらうことを目的にしていません。目の前にいる方であろうと、電話で深刻な話しを聞く時であろうと、私という人間が相手の人間を救うことはできないことです。救うのはまさに限りない生命の方がすでに救ってくださっておるということを気づこうが気づくまいと、それはその人のものです。

目的遂行型はシャットアウトされるのです。
キリスト教徒の場合、ローマの信徒の手紙の「聖霊がとりなしてくださる」神様が祈って下さるという信仰…よみがえりの希望を持っているのではないでしょうか。

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