3 「司祭」という言葉の起源 −初代から中世

 なぜそれなら新約聖書には司祭という言葉が出てこないのに、後世になって司祭という言葉が出てきたのでしょうか。

教会の聖餐式は最初から 「パンさき」とか「ユーカリスティア」と呼ばれていましたが、このユーカリスティアは、主イエスが最後の晩餐で制定されたものとして忠実に守られてきました。

それでは誰がその聖餐式を司式したのでしょうか。

 教会が次第に組織化されてきます。長老職が立てられ、長老職の上に監督職ができてきます。

監督とは、使徒の教えを受け継いで会衆を教導し、教会を監督する任務を課せられています。

教会は歴史的には、最初は信徒の集まりがあり、皆で集まって交わりを行っていたのが、組織化されてくるとその中から会衆を教え、世話をするための専任の人も必要になってきます。

会衆の中から「令聞ある人」を選んで、会衆がその生活を支えて、会衆を指導し、礼拝を司り、世話をしてもらおうということになります。

霊的な指導とか、使徒の知恵を受け継いで宣教を組織化し、会衆を監督し、一致の中心になるような人が長老に選ばれ、監督(主教)と呼ばれるようになったものと思います。

そういう監督こそ、主イエスが制定し、「私の記念としてこれを行え」と弟子にお命じになった、主の苦難と死と復活の記念のサクラメントを執行するのにふさわしい方だと考えるようになっていったのです。

 これは司祭についての議論で明確にしなければならないのですが、最初に司祭がいて聖餐式を司式する権限を保持していたのではなく、最初から司式者だったわけではありません。

聖餐式というサクラメントが最初からあって、誰がその司式者にふさわしいかということで、それは監督ではないかということで監督(主教)が執行するようになったのです。

そして教会が次第に発展してきますと、あちこちに会衆が成立し、そこへ主教の代理として長老(プレスビュテロス)を送るようになりました。

そういう人たちも主教の代行として司式をするようになりました。

次第に聖餐式が感謝と賛美の祭りであるとともに、キリストの死を記念し、犠牲を捧げるという考え方が現われて参ります。

そういうところから主教や長老を、犠牲を捧げる者とみなし、それは「司祭」と呼ぶのにふさわしいとみなす神学が出てきました。

そして「司祭」(ラテン語の「サチェルドス」)という言葉が定着してきたのです。

恐らくそれは三世紀になってからのことだと思います。

これが聖なる職務であり、「聖職」と呼ばれるようになりました。

ごく初期には、執事が主教を助けて聖餐式の執行を手伝い、病気などで教会に集まれない人たちを訪ねてご聖体を持って運びました。

そのようなアシスタントの役割を、単に食卓の分配というだけではなく、サクラメントと関連して、アシスタントの役割をになう執事職が出てきたと思います。

次第に監督(主教)・長老(司祭)・執事という三重の聖職位が出てきたわけです。

三聖職位というものは、このように最初からではなく、教会の歴史の中で発展してきたものなのです。