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◇主教メッセージ◇

1995年主イエス変容の日
「平和を願って、これを追い求めよ」(ペトロ 3:11)


1. 世界平和の実現を目指す教会の使命

 20世紀もあと数年で終わろうとしています。20世紀を顧みますと、前半は二つの大戦が起こりました。
 「戦後」と呼ばれる後半の50年も、世界の至る所で局地的な国家間、民族間、宗教間、人種間の抗争が絶えず繰り返され、現在も終わっていません。

 近年パレスチナや南アフリカなどで、永年にわたる激しい対立が和解に向かうきざしが見え始めたところもあります。
 しかし、20世紀は絶え間ない戦争と分裂で平和の見通しが暗い時代だったと言えます。

 神の平和実現のため熱心な祈りと勇気をもって仕えることこそ21世紀をむかえる私たちの教会のもっとも重要な課題であります。

2. 「主は平和を宣言されます。

…正義は御前を行き
主の進まれる道を備えます」(詩85:9および14)
 20世紀の日本国は、とくにその前半は帝国主義及び軍国主義国家として平和を擁護するよりもそれを破壊する勢力に加担していたことは否定出来ません。
その意味で私たちは、まず過去において自分たちの教会が国家との関係において行ってきたことを謙遜に、かつ、率直に見直さなければなりません。

 神の平和の実現の課題に取り組むためには、その前提として神の正義の光のもとで私たちの過去の行為を究明しなければなりません。
かってヨ−ロッパの帝国主義諸国が同じ過ちを犯し、教会もそれに妥協していたではないかという前例を引合いに出して、日本とその教会の過ちを免罪にするわけにはいきません。

 これは日本の教会が主体的に率先して、信仰の良心をもって誠実に実践することなのです。

 私たちキリスト者がこれを実践するのは、ただ国際的な、とくにアジア諸国からの日本に対する不信感を取りのぞくためではありません。
 戦後50年を迎えた私たち日本人キリスト者は今何をすることが神のみ心に沿うことになるかという視点からの実践です。
詩85篇で言われているように、神の平和宣言に先立ち平和の主の進まれる道が神の正義によって備えられなければなりません。

3. 戦争の被害者と加害者

 6月23日は沖縄の慰霊の日でした。
今年は戦後50年ということで日本聖公会は総会決議でこの行事に参加しました。
沖縄を訪問するたびに、私はアベルを殺害したカインに神が告げた言葉を思い出します。
「何ということをしたのか。お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる...」(創世記4:10)
 沖縄の戦闘で日米双方の戦死者総数は230,000人余りと言われます。
そのうち米軍は14,000人余り、残りはすべて日本側です。
その約半数の犠牲者は一般住民でした。
それ以外に強制連行されてきたいわゆる当時の『朝鮮人軍夫』や『慰安婦』など1万人あまりの犠牲者がいます。

戦争でもっとも苦しむ犠牲者は無力な人々です。
高齢者、女性、子供の犠牲、また無実な者の犠牲はいつまでも沖縄の土の中からアベルの血のように何かを語りかけます。

 この叫びは平和が実現するまで神が私たちに語りかけるでしょう。

 広島と長崎では、原爆により多くの非戦闘員が犠牲になりました。

 広島の原爆犠牲者慰霊碑は川に囲まれた平和記念公園の中にあります。
その島に渡る橋の外側に「韓国人犠牲者記念碑」が建っています。
平和公園の慰霊碑すべては何かを叫んでいますが、それ以上に公園の外の記念碑は、韓国・朝鮮人犠牲者の血が土の中からより激しく叫んでいるようです。

 私たちがアジア諸国を訪問するとき、至る所で日本の侵略で犠牲となった多くのアジア諸国の犠牲者の叫びが聞こえます。

 世界の平和実現に取り組むためには、日本人だけが原爆や爆撃の被害者であるという観念を乗り越えて、世界中の土の中からの無力な犠牲者の血の叫びに耳を傾けなければなりません。
 そして戦争の最大の犠牲者は無実な弱者である事実を認識しなければなりません。

4. ベトナム戦没者記念碑:「無意味な死」の意味

 アメリカの首都ワシントンは美しい整然とした印象的な都市です。
とくに印象的なのは観光名所となっているモ−ルです。
そこにはアメリカ合衆国の建国の理想と栄光を記念する雄大な白い大理石の建築物が数多くみられます。

 有名なリンカ−ン記念碑のすぐ前に黒い花崗岩で地面を這うようにして造られている「ベトナム戦没者記念碑」があります。

 ベトナム戦争はアメリカの歴史の挫折の出来事だったといえます。
ここで戦った兵士たちは、あるものからは無実の民衆を殺傷した殺人者と非難され、あるものからは共産主義者に敗北した弱兵と軽蔑されました。

ある意味ではモ−ルの雰囲気には似合わない記念碑です。
しかし不思議に魅力的な場所です。家族や友人がたくさん集まって、刻まれた名前を撫でたり、故人が愛した花や縫いぐるみなどが置いてあります。
ここでも土の中からの叫びが聞こえます。

すべての戦争は無意味な人間の行為です。
戦争犠牲者は人間的に言えば無意味な死を遂げたのです。

日本では15年戦争を侵略戦争と認め、侵略した国々に謝罪しなければならないということに抵抗があります。
同胞の戦死者の死がすべて無意味だったことになるからです。
しかし、それが無意味な死であったからこそ、土の中からその血が叫ぶのです。

私たちはこの叫びに耳を傾けなければなりません。
それは和解と平和に関する叫びです。
彼らは平和の実現を今生きて21世紀を迎えようとしている私たちすべての人々に向かって叫んでいるのです。

「(かれらの)血が土の中から叫んでいる」
       と告げられるのは神ご自身なのです。

今は無意味な死と思われる彼らの犠牲は、世界平和の実現のための先駆者としての犠牲となるのです。

5. 「主の平和」

 ある人は戦争とか闘争は人間もって生まれた本能なので、人間社会から戦争を根絶することは出来ないと主張します。

聖書はそのように教えません。

 戦争は罪で捩じ曲げられた人間の心によって起こされるもので、神が良いものとして創造された本来の人間は平和を求めているのです。

旧約聖書の平和(シャロ−ム)は戦争が中止している状態ではなく、神によって造られたすべての被造物が本来のあり方を回復した状態です。

人間の本来の心はすべて平和を求めているのです。

神から与えられたもっとも貴重な賜物である「(生命)いのち」をお互いに大事にすることが神に姿に似せて造られた人間の本心なのです。

罪人としての私たちがいだく闘争心や憎悪の気持ちを超えて、さらに心の奥底にあるこの平和への共通の願いをお互いに確かめ合わなければなりません。
これは本来、神の賜物ですから、祈りにより神の助けなしには出来ないことです。
「罪人の制御出来ない心を治められる方はあなたのほかにありません」 (復活節第6特祷)
今日8月6日は広島原爆記念日であると共に、主イエスの変容の日です。

神の平和と和解をこの世に実現するために十字架の苦難の道への出立に当たって、その主イエスこそ神のみ心にかなった愛する子であることを確認するのです。

 弟子たちは
「これはわたしの子。選ばれた者。これに聞け」
 という神の声を聞きます。

私たちもこの声を聞きながら、終戦50周年に原爆投下の記念日に、また20世紀最後の10年の中間の年にあたり、東京教区の諸教会・礼拝堂の兄弟姉妹とともに平和の課題に取り組めるように今日の礼拝で祈りましょう。
「どうか、平和の主ご自身が、いついかなる場合にも、あなたがたに平和をお与え下さるように。主があなたがた一同と共におられるように」
(テサロニケ3:16)

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