三、 『朝・夕の礼拝』の場合
 これまで聖餐式を中心に述べてきましたが、「朝の礼拝」「夕の礼拝」(早・晩祷)においても聖書朗読は大切です。大切というよりも聖公会の「朝・夕の礼拝」は聖書朗読を中心としていると言えます。
 聖公会の「朝・夕の礼拝」の背景には、修道院を中心に発展してきた「聖務日課」といわれるものがあります。
 一日に七つから八つの礼拝が行われたのです。聖書朗読はもちろん含まれていますが、むしろ詩編や賛歌が多様に歌われることにより、芸術的に豊かではありますが、やはり繁雑になっていました。聖餐式の場合と同様、大主教クランマーは、伝統も重んじつつ、旧・新約聖書の継続朗読を中心に、礼拝の形を改革します。
 私のごく限られた経験の中ですが、カンタベリー大聖堂の「夕の礼拝」(唱詠晩祷・コーラル・イーブンソング)に参加したことがあります。聖歌隊によって詩編や賛歌が歌われて大変美しい礼拝でしたが、一番印象に残ったのは聖書日課の朗読でした。
 ふつう私たちは、司式者が重要で聖職の務め、聖書朗読は誰かがちょっと手伝いで読む位に思いがちです。司式が主で朗読が従です。ところがその礼拝は、礼拝全体は聖歌隊によって進められていきます。司式というようなものは聖歌隊の中の先唱者が担っており、どの人か分からなかったくらいです。
 一方聖書朗読は、先導者がついた聖職者がおごそかに後方の席から中央に進み出てきて、素晴らしい声で、耳にも本当に美しい英語で朗読しました。聖公会の「朝・夕の礼拝」では詩編や賛美の歌、祈りの中にあって、聖書朗読が中心的位置を占めているのだなということを、視覚的にも教えられた気がしました。
 だから聖書朗読も聖職者がやる方がいいと言いたいのではありません。じっくりと聖書が読まれ、聞かれることを中心に「朝・夕の礼拝」を見直してみると、なにか新鮮な感じがしてきます。