おわりに  ― 喜びのある奉仕へ ―
 いろいろと述べてきました。「そんなに大変なことなら自分はやらない」と、どうぞおっしゃらないで下さい。
 言葉にすると大袈裟ですが、考えてみれば当たり前のこと、またすでに自然に行われていることを、述べてきました。
 朗読についてはやはり得意・不得意はあるものです。声の響きやすい方、一方発声の辛い方もある筈です。
 しかし恵まれた朗読のセンスや美声の持ち主が、常に礼拝での良い聖書朗読者とは限りません。
 自分の美声や技量に溺れてしまう危険もあります。
 基本的には技術的なことではなく、誠実に準備して丁寧に読む、そこに尽きるのでしょう。
 ですからこの「聖書朗読セミナー」のような会もいいのですが、ある人が指導者になって、人の朗読の欠点だけを指摘するようなことは絶対良くないと思います。目立つ欠点の指摘は簡単です。
 しかしそれ以上に、良い点を見つけあい、生かしあいながら、喜びのある奉仕へと互いに成長していくこと、そこにこそ教会の奉仕と信仰の深みへの招きがあると思います。
 それぞれの教会の考え方や事情があります。
 以上述べてきたことは一つの資料に過ぎません。教会の皆様の中で、また教役者と共に、よく相談しあいながらこの聖書朗読の奉仕がより豊かなものとされていきますよう、お祈りいたします。