「第5回日韓聖公会青年交流キャンプ」

(99年8月5−10日沖縄)

に参加しました・・・中村暖子

暖子さん (日本聖公会京都教区教務所発行『つのぶえ』1999.10.20号より)

◆「リゾート地、沖縄」へ行った。
第五回日韓聖公会交流キャンプに参加しました。行ってみて驚きました。町並みの真ん中に普天間基地、ヘリコプターの超低空飛行、一般道路を超大型の軍用トラックが我が物顔で走っている光景。このプレッシャー、ストレス、私の住んでいる町では、とても考えられません。いま、基地の移転計画があって、美しい海を埋め立てるそうです。何故か不快…。
次に「愛楽園」を訪ねました。今では、薬も開発されて病気は完治しているのにハンセン氏病と言うだけでの差別…。でも、この方たちは、明るく、楽しく、優しく、暖かく生きてらっしゃる。でも、そのように生きてることが、闘いのようにも感じる。何故か苛立ち…。
「リゾート地、沖縄」には解決しなければならない問題がまだまだあります。これらは私たちの問題です。
辞書で「リゾート」を引くと、動詞で「再分類する」という意味もあった。

全員集合

「日韓交流キャンプ」(日本聖公会大阪教区報1999年9月19日発行第341号より) 中村暖子

 私はこの日韓交流キャンプに初めて参加しました。

 キャンプ自体はひさしぶりだし、英語を使ってコミニュケーションをとるということを聞いていたので、とても不安でした。

 日本の人とはすぐに仲良くなれて、安心したのですが、韓国人とは英語だけが頼りの会話で、私の伝えたいことの半分も相手に伝わってなかった気が始めのうちはしました。

 日本語なまりの英語と韓国なまりの英語は通じにくいというところが、一番苦しかったです。

 それに、韓国人は日本語をしゃべれる人が多かったけれど、日本側は、韓国語をしゃべれる人がおらず、恥ずかしく思いました。

 キャンプまでの期間に、韓国についてや韓国語の基礎を勉強しておけばよかったと思いました。

 参加して、とてもよかったと思ったことは、ふつうの旅行では、絶対に見に行けないところに行けたことです。

 米軍基地を見学したとき、沖縄はまだまだアメリカのものから抜け出せないでいると実感しました。

 米軍基地に反対する気持ちが私の中では強いけれど、基地の中で仕事をもらい、働いている日本人が多くいることを忘れてはいけないと言われました。

 基地があるから生活できているのだと思うと、反対とばかり言っておれないと思いました。

 あと、戦争が沖縄の人にどれだけの傷を与えたのかを、実感しました。

 日本は沖縄(琉球王国)をつぶして、そして、日本だ!と押しつけておいて、戦争が始まったら、本土上陸の足止めのために利用した。

 そのことが、沖縄の人にとって、かなりのショックを与えたということを、私はひしひしと感じました。

 沖縄の人はアメリカ人を憎み、かつ日本人も憎んでいるのだろうと思いました。

 でもこのキャンプで出会った沖縄の人たちは、とてもいい人ばかりで、特に愛楽園の人はみんな心から優しい人ばかりでした。

 その優しさの陰に、たくさんの苦しみがあったことを私はちゃんと理解しようと思いました。

 私は今回のキャンプに参加して、とてもよかったです。

 沖縄の歴史を学ぶことができて、米軍のこと、アメラジアン(アメリカ兵とアジア人の間に生まれた子どもたち)のこと、愛楽園での話と歴史、みんな私が今まで思っていた以上につらいこと、だらけでした。

 そのことを知ることができたことも、私には大きな収穫です。


仲間と首里城で
さようなら



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