月報「コイノニア」
2000年2月号 No.198


二人はすぐに網を捨てて従った

牧師 司祭 イザヤ 浦地洪一

イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。 (マルコ福音書1−16〜18)

 法華経の譬諭品に「三車火宅の譬え」という説話があります。仏教の教えから受け売りをします。
 ある町に年老いた長者が住んでいました。この長者の家は広大であったが、門が一つしかありませんでした。ある日、長者が外出している時に、突然、家の周りから火事が起こりました。火は、みるみるうちに家中に燃え広がっていきました。その時、ある人が長者に告げました。「あなたの子供たちが家の中で夢中で遊んでいますよ」。長者は驚いて、火の燃えさかる家へ駆け込んでいって、子供たちに家の外へ出るよう、言葉を尽くして懸命に勧めました。
 しかし、「火とはどういうものか」、「家とはどういうものか」、「死ぬとは、どういうものか」を知らない子供たちは、今、周囲に起こっている事実に、驚きもしなければ、恐ろしいとも思わず、ただ、自分の遊びに夢中になって親の言葉に従おうとはしません。その時、父の長者に良い知恵が浮かび、子供たちに呼びかけました。「ここに珍しい玩具があります。羊車と鹿車と牛車いう車が、門の外にある。今取らねば、きっと後悔するよ。すぐこの火の家から出て来て、好きなものを取って遊びなさい」。
 子供たちは、玩具の車の話に飛びついてきて喜び互いに押し合い除け合いながら、競って火の家の外に走り出てきた。そして「約束の車を下さい」と父に口々にせがんだ。それを聞いた父は、それぞれの子供に車を与えた。羊車、鹿車、牛車ではなく、それは金、銀、瑠璃、瑪瑙など宝物で飾られた「大白牛車」を同じように子供たちに分け与えました。
 今、足下にまで火が迫っているのに、自分の遊びに夢中になっている子供たちに私たちの姿を見ます。耳もとで、火だ、家が燃えている、死ぬぞと、どれほど言われても、言われていることの意味がわからず、自分の遊びに夢中になっている。私たちも、目に見える目先の欲望や野心を満足させることに夢中になって、言われていることが耳に入らない。火とは何か、燃えるとは何か、死ぬとは何か、そのうちに暇ができたらゆっくり考えようぐらいに思っているのかも知れません。
 イエスさまの十二人の弟子の中のペトロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネが、初めてイエスさまに出会ったことが、記されています。ガリラヤ湖のほとりで魚を取る漁師をしていました。まず、ペトロとアンデレに、イエスさまが「わたしに、ついて来なさい」と言われると、彼らは、舟も網も魚もすべてをそこに置いて、すぐにイエスさまに従っていきました。「この人は信じられる人かどうか」、「これからの生活はどうなるのか」、「将来の見通しはどうなるのか」などと問い正したり、議論したりすることはありませんでした。すぐに立ち上がって従い、イエスさまについていきました。
 わたしたちは、「信じることができれば、従うことができる」と思っていますが、実はそうではなく、聖書によると、まず「従う」こと、欲望も野心も、財産も地位も捨てて、そのまま立ち上がって「従う」ことが大切で、従うことによって「信じる」ことができるのだと繰り返し述べられています。
 「火宅」のように、門は一つしかありません。その門は狭く、そこから飛び出せる人は少ないのです。地球が、世界が、国が、家庭が、炎に包まれています。あなた自身が火に囲まれています。早くこの門から出て来なさいと呼びかけられている声が聞こえませんか。


礼拝堂聖別式に
 500名参加

礼拝堂竣工聖別式行わる 去る1月10日(成人の日)、私たちの京都聖マリア教会礼拝堂の竣工聖別式が行われました。前日は雨、天候が心配でしたが、当日の朝にはすっかり上がって時々まぶしい日差しが差し込みました。教会員一同は九時に集合。それぞれの持ち場について、お出でくださる方々を待ちました。時間までには続々と集まられ、受付は大忙し。10時30分、教区主教が牧杖で玄関の扉を打つ音が響き、聖別式が始まりました。京都伝道区の聖職の方々が補式、洗礼盤、聖書台、聖卓と順に聖別され、聖餐式が行われました。礼拝堂に入りきれない人々のために、会館集会室、幼稚園ホールにもテレビ画面で映像を送って中継し、分餐が行われました。第2部は、西谷玲子さんの司会で、挨拶、報告、感謝状贈呈、祝辞があり、礼拝後は、新しい礼拝堂を皆さんに隅々まで見ていただき、軽食をいただきました。第3部のトランペットとオルガンのコンサートでは、美しい音が礼拝堂に響き渡りました。約五百名が出席されました。神さまと多くの方々から祝福を受け、喜びに満たされた一日でした。準備から後片付けまでお世話くださった方々、ご苦労さまでした。

新礼拝堂の落成にあたって

礼拝堂建築実行委員長
 ヨシュア 谷 嘉明

 私達が永い間待ち望んでいた京都聖マリア教会の新礼拝堂が竣工しました。大変うれしいことです。皆さんと一緒に慶びたいと思います。3年前に旧礼拝堂を取り壊してポッカリとできた空き地をみて、あのときは本当に私達の手で礼拝堂なんて建てられるのだろうかと、不安と心配でいっぱいだったことが正直な気持ちです。しかし、募金活動を開始してから、次第に気持ちが一つになっていくのを実感したことでした。それからが大変でした。なかなか話が進まない。「礼拝堂の理念」から話し合いが始まるのですから・・。余りにのろのろしているように見えたらしく、「マリアはいったい何をしているのか?本気で建てる気があるのか?」とお叱りを受けたりし、いい加減うんざりさせられました。信徒総会でもなかなかすんなりとは運ばず、教区の常置委員会に建築許可の議案を提出するのが二年がかりとなりました。やっと設計が一粒社ヴォーリズ建築事務所に決まり、設計図面のチェックも念入りに行いました。やっと最終図面ができたのが一年前。それから施工業者の選定です。7社から5社に絞り込み、相見積もりを取り寄せて、それを検討し、最も安かったコーナン建設になりました。安かろう悪かろうでは困るので、ヴォーリズとコーナンが建てた尼崎市の立花教会に建築実行委員会有志が見学に行きました。私達の教会には、いろんなタレントがおられ、一級建築士、構造設計に強い人、音響に強い人など、さまざまの才能に恵まれた人々が実行委員会として入っていただきました。トップライトの問題も議論を沸かしました。いつも教会に奉仕してくださっている方が私宛に共感と激励の葉書を送ってくださったこともありました。会衆席の椅子は相当痛んでいましたので、捨てて新品を入れようという意見もありましたが、私は礼拝堂を偲ばせるものであり、今は亡き先達も喜ばれるのではないかと思い、私は最初から残すつもりでした。ステンドグラス、祭壇も保存され、壁面のモザイク画の掘り出しは全く浦地先生の功績でして、夏の暑いさなか、少しずつ掘り出されて遂に成功しました。あれは浦地先生の意地と執念のおかげです。
 6月に入って、私自身、心臓の病いに倒れ、7月23日から一ヶ月あまり入院してしまい、それ以後も学会出張やら何やらで建築実行委員会の皆さんには大変ご迷惑をおかけして申し訳なく思っています。十二月十七日、引き渡しを受けましたが、とにかく素晴らしいの一語につきます。何か夢を見ているのではないかと思うほどです。これはヴォーリズとコーナンの大奮闘のおかげです。特にラストスパートはものすごいものがありました。両社には心から御礼申し上げます。
 過日の礼拝堂聖別式は、500に達するほどの大勢の出席者を迎え、厳粛に行われました。外部からの出席者のかなりの方々が礼拝堂に入れずに会館ホールに廻っていただきました。そのような状況で、マリア教会の信徒の一部が礼拝堂内に入っておられ、最初のルールが完全には守られなかったことだけはきわめて残念でした。案内係の人数が少なくて配置も適正でなかったのではないかと考えられ、今後に問題を残しました。
 礼拝堂の音響効果は見事でした。時間をかけて充分な話し合いをした甲斐がありました。
 会計面では、まだまだ資金が不足しています。予約された建築献金は確実に、忠実に献金されることをお願いいたします。またすでに完納されている方も、現実に礼拝堂を目の前にして、もう少し上乗せして献金していただきますと有り難いのです。納骨堂の方も出来るだけ多くの方に予約していただきたいと思います。まだまだ借金は残っていますので、今後もいろいろと収益事業を考えて行かねばなりません。変わらぬご支援を心からお願いいたします。

実行委員会が企画した
トランペットとオルガンの
コンサートも大好評でした。


一月一日
礼拝堂定礎式終わる

 1月1日、元旦礼拝に引き続いて、礼拝堂玄関において、浦地司祭司式のもと定礎式が行われました。この定礎石の下には、左記のものをステンレスの箱に入れ記念として納められました。
 1990年版新共同訳聖書、1990年版日本聖公会祈祷書、日本聖公会聖歌集、1998年8月発行信徒名簿、受聖餐者総会資料「教会のあゆみ」(1996年〜1999年)、2000年度教会委員および教区会信徒代議員選挙投票用紙、週報(1999年1月〜12月3.5インチフロッピー)、1999年イースター集合写真、幼稚園ホールにおける礼拝風景、1999年12月26日朝日新聞京都版朝刊、1999年12月26日京都新聞朝刊、礼拝堂建築募金趣意書、礼拝堂建築概要、礼拝堂設備概要、設計担当者名簿、工事施行担当者、下請請負業者名簿、礼拝堂一階平面図、礼拝堂二階平面図、礼拝堂屋根伏図。


新教会委員の
  抱負とひとこと

昨年12月25日、2000年の教会委員・信徒代議員の選挙開票が行なわれました。司祭から任命された2名の開票委員による開票の結果、12名の教会委員が選出されました。
今年は、2000年。新年最初に新礼拝堂聖別式を挙行し、実際にその礼拝堂を使っての礼拝がスタートしました。まだまだ続く建築募金を始め、もっと新しいこともいろいろと画策していかねばなりません。また、教区内の人事異動についても、大きな転換期を迎えることになります。何もかもが聖マリア教会にとって節目にあたる年です。この新しい年に選ばれた新教会委員にひとことお願いしました。

礼拝(宣教)・
芦生キャンプ場管理 
  パウロ 久保田栄三

 委員としての抱負、というよりも愚痴になりますが、もう五、六年も前の私の抱負のなかで「一人の方がこう言っておられます。教会委員も世代交代で若い人々に一人でも多くと願っていました、しかし・・・もう一人の人も、教会の中心層が活発に活動できるよう、教会委員選挙内規を検討したいと思います・・」ということを紹介したことがあります。それから二年ほどたって委員をしなくなって数年、またもや選出され、ちょっと戸惑っています。礼拝堂も新しくなり、会社を定年になり少しぼけかけてきたような私よりも、有能な若い方々が多くおられます。
 二千年、新しくなった礼拝堂、考えてみるときではないでしょうか・・・。

婦人会・日曜学校・
GFS・幼稚園連絡
  ルデア 菅原さと子

 2000年度の教会委員会のメンバーの一人として、婦人会、GFSの連絡係りであり、また、建築委員会の一委員、そして日曜学校や幼稚園での子供達と関わるお仕事を与えられ嬉しく思っています。各々の部門でかかわる信徒の方々との交わりを持ちながら、できるだけご奉仕出来ますようにと願います。SSでは、あしかけ3年目のお仕事となりました。教会における子供がおかれている場は、とても大切なものであり、掛け替えのないものと確信しています。新しいお礼拝堂で一心に祈る子供たちの純真な姿に、思わず大人が引き込まれてしまいます。11人のSSの先生たちと共に協力して、教会信徒の子供達や当幼稚園を卒園した園児を教会に招きいれる為に、努力は惜しんでられないと思います。子供達と共に祈る事によって、子供達と接しご奉仕下さるスタッフの勉強も欠かせません。更に教会全体のレベルで、マリア教会の将来を担う子供達として信徒ひとりひとりが、考えていただかなくてはならない事だと思っています。どうぞ、皆様のご協力を宜しくお願いいたします。

礼拝(宣教)・
教区神学生奨学後援会 
   ヨシュア 立石昭三

 又教会委員に選ばれました。もう五年はしていますし、今年は病院を撤収する年、私の定年の年で、委員は辞退すべきですが、それを届けるのを忘れてました。今年限りは自己責任ですし、勤めます。でも来年は、もっと生きのよい、若い方を選んでください。 ロートル、立石昭三。


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