月報「コイノニア」
2001年6月号 No.214


隠れたペルソナ、聖霊

司祭ヨハネ

 わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。・・・
 言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。     (ヨハネによる福音書第16章7―8、12―15節)

 5月28日〜30日、聖霊降臨日直前の週に、神愛修女会で京都教区教役者の「黙想会」がありました。武藤主教が来られた数年前から、毎年二回、大斎節と降臨節に行われてきましたが、今年は大斎節の代わりにこの時期になりました。今回のテーマはこの期節にふさわしく「聖霊の働き」でした。朝六時の点鐘に始まり、一日数回の礼拝に修女さんたちと共に参加し、食事の時は霊的読書の声に耳を傾け、黙想指導者の講話に沿って三日間沈黙を守って黙想します。熊野古道の入り口、小高い山の中腹にある修道院で、キャソックを着けて過ごす静かな日々は、私にとってこの上なく貴重な時です。
今回の黙想の間、ヴラヂーミル・ロースキィの『キリスト教東方の神秘思想』を読み返しました。ここで言う「神秘思想」は西方の神秘思想や神秘主義とは違います。
東方教会では三位一体論を「神学」と呼び、創造論、キリスト論、教会論、典礼論など西方で神学に入れているものを「オイコノミア」と呼んで区別します。「神学(テオロギア)」は文字通り神御自身に関わる知識であり、人間的認識によって到達しえない「神秘思想」である。神は父と子と聖霊たる三位一体であるという啓示こそ神秘思想そのものであり、「神の本性にあずからせていただく」(二ペトロ1・4)とある通り一致の経験へと招く神秘思想である。われわれは、測り尽くせない神秘を表現している真理や思想を身をもって生きなければならない。神秘を人間の悟性様式に適応させるのではなく、逆にわれわれが神秘的体験にふさわしい者となるように変容しなければならない。東方神学においてこのように神学と神秘思想とが一体とされていることにあらためて深い感銘を受けました。そして、神学館で担当している教理学が、「神秘を人間の悟性様式に適応させる」ことになっていないか、反省させられました。
神の本質(不可知の本性)と神のエネルギー(現実活動態)とは区別される。神のエネルギーは神の外的顕現と被造物との関連において知られ、オイコノミア(神的現実活動)となる。創造と摂理や、子と聖霊の時間的派遣などにおけるペルソナ(位格)の顕現はオイコノミアに属する。隠されたものの顕現・表示を像(エイコーン)と呼ぶなら、子は父の像であり、聖霊は子の像である。我々は霊によって子を知り、子において父を見るからである。しかし聖霊というペルソナは決して顕現することがない。聖霊だけが他のペルソナのうちに像をもたない。霊はペルソナとして顕現せず、その顕現においてさえ自ら隠れている。それゆえ、霊は知られざる神秘的なペルソナとして、否定の相のもとに賛美される・・・。
「目からうろこが落ちる」ような黙想体験でした。
(図は17世紀コストロマ派イコン「栄光の救い主」)


がんばってます!
張り切ってます!

礼拝音楽委員会

新生クワイアー

 礼拝音楽委員会は、ちょうど一年前に発足しました。メンバーは委員長・續木創さん、下田屋一朗司祭、林悦子さん、末松玲子さん、森田朋宏さん、そして私の六名です。主に主日の聖餐式の聖歌の選曲、聖歌隊の指導、教会コンサート(SDG)の企画・マネージメント等を通してご奉仕させていただいています。
 特筆すべきは聖歌隊。これまで、クリスマス、イースター、聖霊降臨日の三大礼拝はもちろん、洗礼・堅信式や聖婚式にも奉仕させていただきました。その都度、広い範囲で声をかけさせていただき、これまでよりも若い世代(中高生)にも参加してもらえるようになりました。
 また、林さんのご指導によるハンドベルも大人気で、イースターにはクワイアーとの合同演奏も実現しました。その当日はリンガー(ハンドベル奏者をこう呼ぶそうです)を含め、40名近くになり、ついに祭壇に乗り切れないほどになりました。
 回を重ねるごとに着実に実力も付けていっているようで、下田屋司祭を始め、教会内外の数多い音楽関係者からもお褒めの言葉をいただくようになり、大変喜んでおります。
 キリスト教と音楽は切っても切れない仲。今後ともより素敵な音楽づくりを追究していきたいと思っています。皆さまのご協力をお願いいたします。 ロダ 吉村由理

6月17日、
ナタナエル菅原一樹さん
森津なぎささんの
聖婚式にも21名が奉仕


マリアの実習神学生

 本年も当教会にウイリアムス神学館から実習神学生がみえてはや2ヶ月になります。アルバン阿部芳克神学生は北海道教区から昨年ウイリアムス神学館に入学され、現在二年生。以前神学生として当教会に実習勤務されていた飯野さんと同教会のご出身です。飯野さんが実習勤務しておられる時は、まだ北海道に在住中で、飯野さんのご家族の面倒を親身になって見ておられ、インターネットを通してマリアにも何度も家族からのメールや画像などを送り届けてくださった方です。その阿部神学生が縁あって当教会に実習勤務ということになりました。二ヶ月間勤務していただいての感想をお願いしました。

アルバン 阿部芳克

主の御名を賛美致します。
京都聖マリア教会の兄弟姉妹の皆様に心からご挨拶を申し上げます。
皆様のご指導とご寛容を頂きながら学ぶ幸いを、心から感謝しています。今年度一年間どうぞよろしくお願い致します。実習生としてお世話になり始めましてから間もなく2ヶ月になろうとしています。これまでのことを少し振り返ってみたいと思います。私は実習が始まってすぐに、眼の覚める思いをしました。それは、主日聖餐式、早朝聖餐式、英語聖餐式、唱詠晩祷、朝夕の礼拝、更に祝日にも聖餐式が執行され、豊かな礼拝の実現を目の当たりにしたことです。教会の揺るがない土台に触れさせて頂いた思いがして、改めて感動しました。私も神様と人に仕える生き方ができるようになりたいとの願いを強くしました。そしてもう一つ私が驚いた事は、京都聖マリア教会では、実にたくさんの活動チャンネルが活発に働いている事です。この2ヶ月の間に私が加えて頂いた様々なお働きを、主日礼拝、早朝聖餐式、教会委員会、婦人会、日曜学校、ジュニアチャーチ……と数えてみましたら13もありました。更にその他にも幼稚園、聖歌隊の働き、ボーイスカウト等々と考えますと、一体どれほどあるのだろうかと驚いてしまいます。この事の意味する所の一つは、多くの兄弟姉妹の喜びに溢れたご奉仕と共に、心の通うお交わりがそこにあるのだと思います。実は私にとりまして、土曜の午後からの「お掃除」は楽しみの一つです。当番の皆さんと一緒に汗を流しながらご奉仕し、終了後にお茶とお菓子の交わりに加えて頂く事がとても楽しいからです。奉仕の機会、交わりの機会が多いという事は京都聖マリア教会にとって大切な宝物の一つだと思います。神様から優れた賜物を与えられた方々が大勢いらっしゃる京都聖マリア教会ですから、尚更その様に言えるのではないかと思います。「鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。」(新改訳 箴言27―17)という聖書の言葉を思い出しました。その様に心を合わせ、力を合わせていらっしゃる京都聖マリア教会の兄弟姉妹の皆さんに主の祝福が益々豊かにありますようにお祈り致します。


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