月報「コイノニア」
2001年10月号 No.218


イスラームをめぐって(一)

司祭ヨハネ

 サラは、エジプトの女ハガルがアブラハムとの間に産んだ子が、イサクをからかっているのを見て、アブラハムに訴えた。
 「あの女とあの子を追い出してください。あの女の息子は、わたしの子イサクと同じ跡継ぎとなるべきではありません。」
 このことはアブラハムを非常に苦しめた。その子も自分の子であったからである。神はアブラハムに言われた。
 「あの子供とあの女のことで苦しまなくてもよい。すべてサラが言うことに聞き従いなさい。あなたの子孫はイサクによって伝えられる。しかし、あの女の息子も一つの国民の父とする。彼もあなたの子であるからだ。(創世記第21章9―13節)

 テロ事件が起こるたびにイスラムがクローズアップされます。日本人にとって一般にイスラムは遠い世界です。彼らが何を信じ、どんな価値観をもっているのか、その内面生活についてほとんど知りません。わずかの断片的知識も欧米人の目から見たものに基づき、著しくゆがめられています。イスラム教徒は今世界中で増え続けていると言われます。イスラムの何が人々の心を捉えるのか。偏見を持たずにイスラムを知ることは、私たちの信仰生活を省みる上でも大きな意味があります。そのような視点からイスラムについて考えていきたいと思います。
冒頭の聖句は、女奴隷ハガルから産まれたイシュマエルをサラが追い出そうとしている場面です。イシュマエルはアブラハムの最初の子です。13歳のとき父アブラハムと共に割礼を受け、アブラハムと同じ神との契約に入りました。その後サラに息子イサクが産まれ、イシュマエルは荒野に住んで弓を射る者となりました。イサクの子孫がイスラエル人であり、イシュマエルの子孫がアラブ人だとイスラームでは教えています。ただしハガルの方がアブラハムの正妻で、イシュマエルこそアブラハムの正統な後継者だとされます。
イスラームは神の教え、唯一の神アッラーへの絶対服従を意味します。その教えは西暦六一四年、ムハンマド(「マホメット」は欧米なまり)が四十歳の頃、アラビア半島のオアシス都市メッカで説き始めました。ヒラーの洞窟で瞑想にふけっていたムハンマドがアッラー(「神」の意)の啓示を最初に受けたのは610年と言われます。
イスラームはムハンマドが創ったものでなく世の初めからあった。神が天地を創造されたとき、人類を天国に至らせるために、生きる規範(シャリーア=イスラーム法)を与えられた。このシャリーアに従って生きることがイスラームである。神は人々をイスラームに導くためにアダムやノアやアブラハムなどの預言者を遣わされた。またモーセを通して律法(旧約聖書)を与えられ、さらに預言者イエスを通して福音(新約聖書)を与えられた。そして今や、ムハンマドを最後の預言者として立てられ、最終的な啓示を与えられた。その預言を後に弟子たちが書き記したものがクルアーン(コーラン)です。だから、ユダヤ教・キリスト教・イスラームは同じ唯一の神を礼拝し、同じ神から啓示の書を与えられた「啓典の民」であって、元来互いに近い間柄にあるものとして捉えられています。礼拝の規定や断食など、その信仰生活は先行する一神教特にユダヤ教から大きな影響を受けました。
メッカはイェーメンからシリアに至る隊商路の要衝であり(地図参照)、多神教アラブの偶像礼拝の本山カーバ神殿があって、各地から巡礼を集めていました。このカーバ神殿が後にイスラームの聖地となります。
ムハンマドと弟子たちはメッカの多神教徒の迫害を受け、622年にメディナへ移ります。この「メディナ遷都」がイスラーム暦の元年です。


2001年度バザー開催

今年も11月3日午前10時より午後3時まで、京都聖マリア教会・ボーイスカウト京都第24団共催(聖マリア幼稚園協力)によるバザーが開催されます。
 今年のバザーは、昨年の成果と反省を踏まえて、過度な負担にならず楽しいバザーを目指して企画しました。バザーの目的は礼拝堂建築献金(忘れていませんかまだ1000万円借入金あり)ですが、日曜学校から婦人会までの教会内各部門と、幼稚園、ボーイスカウトが共通の目標のために共に働き、交流を深める数少ない機会でもあります。ご近所の皆さん、お友達にも声をかけていただき、一人でも多くの方に教会や幼稚園、ボーイスカウトを知ってもらいいたと思っています。ご協力を!

それではコイノニア名物「コーナー紹介」です。

受 付

 丸太町通から礼拝堂に入ると、前室に受付ブースがあります。前売りチケットの精算がまだの方はここでお支払いください。また、チケットをお持ちでない方は、この受付で購入できます。
 チケットはおでん400円、うどん400円、喫茶セット300円が連なったもので、額面1100円を1000円で販売します。バラ売りも可能です。この三種以外の出し物については現金でお買い求めください。
なお、当日券は園庭のサブ受付でも販売しています。
 自転車は教会西隣の玄部寮の前に置いてください。当日は乗用車の来場はできませんので、ご注意ください。
 今年は昨年と同じく会場が園庭、幼稚園ホール、屋上、会館ホールに分かれています。礼拝堂入口、幼稚園南玄関で靴袋を渡しますので、靴は各自でお持ちください。

飲食コーナー

*おでん
 婦人会のおでんはいつも大人気。長年鍛え上げられた味付けはおふくろの味を越えた、プロの味。

*うどん
 「キャンプの味」ボーイカレーに代わり、うどんが二年ぶりに復活します。おでんや干物との相性もぴったり。

*喫茶セット
 ジュニアチャーチ恒例のシフォンケーキと飲物のセット。一昨年から好評の生オケ喫茶はマリアならではのバザーの顔となりました。カラオケ得意のお父さんお母さん、どうぞステージで生オケを!

*ハニーポテト
 青年会が贈る新製品。薩摩芋と蜂蜜とバターのハーモニーは、青年会のそれぞれの個性を表現しているとか。誰が甘く、誰がちょっぴりバタ臭く、誰が芋なのかは決して想像しないでください。

*綿菓子
バザーといえばお祭り、お祭りといえば綿菓子。砂糖の甘いにおいは懐かしい縁日の記憶を呼び覚まします。昨年一人で綿菓子を作り続けた担当者は、飛び散る綿菓子でホワイトアフロヘアーになってしまったとか。

*生ビール・ジュース
 買い物をして一段落、やはり生ビールです。今年もたくさん飲んでもらいます。
 ビール券差し入れも大歓迎。

*居酒屋「チュ〜ねん」
昨年生ビールの横で売り物の干物を試食用に焼いたところ、園庭が一瞬にして居酒屋状態になってしまいました。これに目をつけた某仕掛け人が、教会のバザーのタブーに挑戦します。グラマラスなママの魅力に惹かれて入り浸らないよう、ご利用は計画的に。

物販コーナー

*寄贈品
 バザーの核である寄贈品。お目当ての掘り出し物を手に入れるため、目を皿にして、手をパワーシャベルにして、心を****にして頑張りましょう。

*萬古焼
 萬古焼コーナーが登場して早五年。今年で最後になるとの噂さもあり、これが最後のチャンスかも。

*野菜
 ボーイスカウト三輪団委員の奥様の実家より朝どりの野菜を産地直送。土の匂いのする野菜を!

*干物
 昨年好評について再度登場。ジュニアOBの中央市場コウジ商店自慢の品々。スパーの特売品とは一味違います。

*お総菜
 京都聖マリア教会婦人会が腕によりをかけて造ったお総菜。毎年、昼前には売り切れる人気コーナー。

*甘納豆
 ボーイスカウトの元団委員、遠藤さんの甘納豆。これもマリアのバザー名物です。

*雑貨
 ユニクロよりもユニーク、無印よりも良品、ダイソーよりも高価?

*手芸品
 幼稚園のお母さん方、手作りのテディベアーが新登場。もちろん、マリア教会婦人会も技のさえを見せます。

*ホーリーコーナー
旧礼拝堂腰板でつくった
十字架、新礼拝堂完成記念写真立てなど、マニア垂涎のマリアグッズを販売。

*プリクラ
昨年喫茶コーナーの隅で、店主の性格?を反映したのか、控えめにデビューしたプリクラ。好評につき今年は正式出店を果たします。マリアならではのフレームにご期待ください。

子供コーナー

 幼稚園屋上はボーイスカウトと日曜学校による子供コーナー。昨年は場所が分かりにくかったため来場者は少なかったのですが、今年は子供が一度は屋上へ行きたくなる秘策を考えているとか。子供たちが安心して遊べる場にしたいとスタッフは張り切っています。


10月28日(日)礼拝後、および11月2日(木)にバザー準備を行います。特に前日準備には、午後四時より幼稚園の床の養生、教会会館二階に保管している寄贈品の移動、午後六時から寄贈品陳列、午後7時から園庭の会場設営等、多くの労力が必要になります。
また、バザー当日の会場運営にも、ご協力をお願いすることになります。共に汗を流し、共に笑ってバザーを楽しみましょう。


雨の
野外礼拝開催

 10月21日(日)、京都大学農学部上賀茂試験地にて野外礼拝が行われました。参加者は、大人子供合わせて31名。朝8時30分に教会に集合し、5台の乗用車に分乗して現地へ。また一方、日曜学校の一行も秋の遠足をかねて、こちらは叡山電鉄を利用し、精華大学駅から徒歩で現地へ。先発組が聖餐式のセッティングをしている途中からポツリポツリと小雨が落ちてきました。聖餐式と日曜学校礼拝に分かれてそれぞれが始まる頃には、写真のように傘の花が咲く状況になってしまいましたが、浦地洪一司祭司式のもと、無事聖餐式を終えました。
 聖餐式後は、大きな木の下に場所を移動して、今回の場所をお借りするためお世話になった佐々木功先生のお話をお聞きし、近年の自然の状況を教えていただきました。その後楽しくお弁当タイム、散策タイムと、秋の自然を満喫できました。
 一方、教会でも下田屋司祭司式による聖餐式が行われましたが、雨のせいもあってこちらも四十人近くの会衆が出席されました。


「中秋の名月、鑑賞会」

               ヨシュア 立石昭三
 2001年9月30日、宇治川畔の観月橋にある月見館でお月見をした。発起人は辻淳一、法子夫妻、立石夫婦である。立石がこの六年、毎年気候のよいこの時期に中国河南省に出張して、本家中国の中秋の名月を鑑賞していたが、今年はそれも引退したので、日本でそれをやりたい、と言うのが本音であった。宇治川河畔にお住まいの岩城夫妻も乗り気で「しよう、しよう」と言ってくださった。聖書研究会、聖歌隊、建築基金のための音楽会、ハンドベル練習やヘブライ語学習、物品共同購入などヤングパウワーに押されっぱなしの老人達も、何か集まってしたい、と言うささやかな主張でもある。それもその週の聖句、ルカによる14=12―14がやや良心に引っかかっていて、ポスターやお知らせで全部の方にお誘いすることはしなかった。六十才以上でもお誘いできなかった方はごめんなさい。
 大体、京都では古くからの所謂「いい衆」はマリア周辺の北の方に住む。医学部でも助手、講師は南の山科区、伏見区に住み、教授になると北区や北白川に住まわれる。宇治の御蔵山に住む友人など「都落ちですよ」なんて自嘲的に言う位である。「南にもいい所もあります」と言う宣伝でもある。本当は10月1日が中秋の名月の夜であったが、その日の月見館の三十石船は八艘とも俳人の予約で一杯であったし、いつもお忙しい下田屋先生がその日しか空いてなかったので、その日に決めた次第である。日を決めてからは台風情報に一喜一憂し、台風一六号が遂にやってきて、大雨が降り出したときにはどうしようか、と思ったが思い切って決行する事にした。果たしてその日は大雨で、傘をさしても下から濡れるような日であった。それでもこんなことはそう再々あるものでもないので二十九名の方々が参加された。月が出なければ「無月の会」でもいいや、とも思ったがそのような時に備えて山本天文台長の山本進兄に「中秋の名月の由来やそれに纏わるお話しでもーーー」とお願いはしていた。山本兄は遠く滋賀、桐生辻町から来て下さり、最近の本「我が道は京都・岡崎近辺から」という本のコピーまで用意して下さった。この本にはマリア教会やマリア幼稚園、その周辺の方々が実名で出ている。
 まあ、結果から言いますととてもよい会でした。浦地先生の退院祝い、浅井さんのお誕生祝いも兼ねました。雨で増水した宇治川を、落語でおなじみの三十石船で淀まで下り、條つく雨に窓を閉め、本物の月こそ出なかったものの、船尾のケント紙には辻法子姉制作の中秋の名月が出たし、箸袋は月見館女将の手書きのお月さんとススキの墨絵であったし、ワカサギの天麩羅も伏見の銘酒も山本兄の説明も、そして皆さんそれぞれのお話しがよかった。京都市建設局長さん自らの、地下鉄建設大赤字の弁明も京都市民に了承された。会費制のお勘定もぴったりで船頭衆、仲居さん達にチップもあげられた。
 「時にはこんなアソビもいいね」と言いつつ別れたあとの雲間に中秋の名月がぽっかり。

船室に満月の出る月見かな
        杏子


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