月報「コイノニア」
2001年11月号 No.219


イスラームをめぐって(二)

司祭ヨハネ

慈悲ぶかく慈愛あつき神の御名において。
神に讃えあれ、万有の主、
慈悲ぶかく慈愛あつきお方、
審判の日の主宰者に。
あなたをこそわれわれは崇めまつる、あなたにこそ助けを求めまつる。
われわれを正しい道に導きたまえ、あなたがみ恵みをお下しになった人々の道に、
お怒りにふれた者やさまよう者のではなくて。
 (開巻の章1―7節)

 クルアーン(以下コーランと記す)の冒頭の句です。キリスト教の祈りだと言われてもあまり違和感はないでしょう。ただし、これには日本語表現の問題がからみます。コーランはアラビア語で書かれており、右の句で「神」と訳されている語は「アッラー」です。もしも日本語訳に「アッラー」という語が使われたならば、まぎれもなくイスラームの文書とわかります。
聖典としてのコーランは、唯一アラビア語のものだけです。ムスリム(イスラーム教徒)の礼拝では、世界中どこでもアラビア語のコーランが読誦されます。他の言語に翻訳されたものは聖典でなく、あくまでもコーランの一つの「解釈」として扱われます。日本語訳の冒頭の句をキリスト教文書と見まがうのも、イスラーム固有の概念が、キリスト教でも使われている用語で解釈され、表現されているからにほかなりません。
わたしたちの聖書の場合、日本語に翻訳されたものが教会の公認によって聖典とされます(日本聖公会法規第171条)。しかし、複数の公認聖書を並べて見ると、全く異なる意味に訳されている箇所があって戸惑うこともあるでしょう。翻訳は解釈であるという認識が希薄なために聖書が相対化され、何が神のみ言葉かがあいまいになりがちなことが、わたしたちの聖典観の弱点であると言えましょう。ちなみに、ヘブライ語聖書を唯一の聖典とするユダヤ教にはこのような問題は起こりません。翻訳が一つの解釈にすぎないことを明確にし、聖典はただ一つとするイスラームの聖典観も単純明快です。
「アリフ・ラーム・ミーム。これこそ疑う余地なき天啓の書、神を畏れかしこむ人々の導きの書」(2・1―2)。
「アリフ・ラーム・ラー。これは明白な啓典のしるし。われらはおまえたちが悟ってくれるようにと思って、これをアラビア語のコーランとして下した」(12・1―2)。
「神は真理にもとづいて天と地を創造したもうた。まことに、その中には、信仰する者へのみしるしがある。汝に啓示された啓典を読誦し、礼拝を守れ。礼拝は、みだらなことや悪事を避けるもの。神の御名を唱えることこそ最大の務め。神はおまえたちの所業をよく知りたもう」(29・44―45)。
コーランは天上にある真の聖典のしるしであり、最後の預言者ムハンマドにアラビア語で啓示された導きの書である。ムスリムはひたすらコーランを読み、礼拝を守ってひたすら神の御名を唱えます。
コーランの句はムハンマドから口伝えに教えられて暗誦されましたが、ムハンマドの死後、第二代カリフ、ウマルの時代に、それらが集められて文書化されました(第一次結集)。ただし、聖書のように整然と編集されることなく、配列も体裁も雑然としています。各地で読まれるコーランに差異が生じたため、第三代カリフ、オスマンの時代の第二次結集で統一されました(651年)。ムハンマドの言葉であったメッカ方言を基本にしたほかは、内容的に第一次結集と大きな変化はありません。これが今もコーランの原典とされています。

(図は右側の天使ガブリエルから神の啓示を受けるムハンマド)


諸魂日逝去者記念聖餐式に
 聖歌隊・ハンドベルCが奉仕

10月28日(日)、諸魂日逝去者記念聖餐式が行われました。聖歌隊&ハンドベルクワイヤーの奉仕も四度目を数えます。より高度なテクニックも交え、音楽的にも飛躍的にレベルをあげてきており、大礼拝でのハンドベルが定着しつつあります。リンガーは中学生から80歳代の方まで、毎週昼組と夜組に別れ、一生懸命練習を続けています。今号は、そのご指導を熱心にしてくださっている林悦子さんにお話をおうかがいしました。

ルツ 林 悦子

 宗教と結びついた鳴り物・楽器といえば、お寺の鐘・鉦・木魚、神社の笙・篳篥・太鼓、教会のオルガンとやはり鐘を思います。「夕やけこやけ」に歌われているように、山のお寺の鐘の音は人々の暮らしの中に溶け込んでいたのでしょう。写真や絵で見るヨーロッパの教会には高い塔がついていますが、その中にいくつかの鐘が下げられ、その一つ一つに輪と軸とロープがついており、下の方の鐘部屋の天井の穴を通って下がっているロープを、それぞれ受け持つ人が下から引いて鐘を鳴らすわけです。英国の地方では今でも、人の誕生・逝去を鐘の音色によって知ることが出来るようです。
ハンドベルのルーツはこの英国のタワーベルなのです。ベルが一つなら問題はありませんが、音程の異なる複数のベルとなると、音の組み合わせ方によって無数のメロデイが出来ます。塔が高くなり,ベルが大きくなり,数が多くなればなる程、練習が大変になります。そこで練習用に作られたものが、ハンドベルなのです。その後タワーベルの練習に限らず、メロデイやハーモニーを楽しめるように改良され今に至っています。日本には四百年ぐらい前に入ってきて、キリスト教の学校や教会を中心に様々な福祉施設から一般社会に広まっています。
 ベルの響きには心と共鳴するようなところがあって、どこで演奏しても喜ばれるのですが、やはり教会が一番ふさわしいと思います。かねてから、マリア教会の聖堂でベルによるアンセムを捧げたいと願っていましたが、今年のイースターに向けてベルクワイアが出来てとても幸せです。聖歌隊と共にイースターでご奉仕でき、聖霊降臨日と逝去者祈念礼拝にも、人数が少なくなって大分無理もしたのですが、みなさんのご協力でベルの捧げものをすることができました。
 教会のクワイアのいいところは、老若男女、いろいろな人たちと一緒に音楽が楽しめるところです。中学生から八十歳まで、仲良くやっています。
そしてハンドベルのいいところは、一人一人にふさわしい働きをしながら、全体の音楽を創りあげていくことが出来るということです。それぞれ体力も読譜力も経験もそして出席率も違いますから、それを曲の選び方や、ベルの持ち方などで工夫しています。
第一、第三火曜日10時半〜12時、第二、第四火曜日夜7時半〜9時に練習しています。現在朝が6名、夜が8名、重なりがあるので合計10名です。
三オクターヴのベルがあっても手の数が足りなくて使いこなせないことを、いつも残念に思っています。どなたでも、いつでも大歓迎です。この紙面をお借りして宣伝させて頂きました。願ってもない機会を与えていただいて感謝しております。


第7回SDGコンサート
 盛会のうちに終わる!

 第7回京都聖マリア教会SDGコンサートは去る11月23日(祝)、琵琶湖ブリリアントコンサーツの女声合唱団によるベンジャミン・ブリテンのキャロル集を中心としたプログラムで開催されました。
 ベンジャミン・ブリテンは近代イギリスの作曲家で、イギリス聖公会の教会音楽の発展にも多大な影響を与えたことで知られています。比較的珍しい曲ばかりを集めてのコンサートでしたが、紅葉の美しい秋の午後、集まった約百人のお客様には、ブリテンの不思議な響きを教会ならではの雰囲気の中で楽しんでいただけたと思います。


11月の教会委員会から

11月4日主日礼拝後

《報告事項》
▽礼拝(主日・週日礼拝以外)
10月17日逝去者記念聖餐式
10月21日ヴォーナド吉田篤史兄逝去記念式
▽結婚式予定=11月11日(日)水津雅幸・康子
▽聖書ヘブライ語夜間講座=
11月19日(月)開講、毎週月曜日19時半(第2を除く)
▽ジュニアチャーチ=11月11日秋の遠足
▽日曜学校=11月13日教師会、18日映画鑑賞、25日感謝祭・花友老人福祉センター訪問
▽幼稚園=6―8日市教委チャレンジ体験、12―14日自由保育参観、14日幼児祝福式、16日母の会親子陶芸、22日感謝祭
▽幼稚園委員会=10月12日
▽礼拝音楽委員会=第6回コンサート会計報告

《協議事項》
▽10月度会計報告承認
▽教会建築募金委員会報告
▽2002年度教会委員・代議員選挙=11月25日公示、12月25日開票。選挙人名簿委員菅原・吉村
▽教役者給与検討委員会第一次報告を受けて、教役者給与は教会が全額負担すべきことを確認。
▽教区宣教懇談会に新実委員が出席。
▽週報サイズ縮小(B4二折→A4二折、聖書日課分離)
▽クリスマス日程。祝会は持ち寄り方式で。
▽次回は12月2日(日)


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