月報「コイノニア」
2003年1月号 No.233


律法の下に生まれ

司祭ヨハネ

さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。
そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。シメオンが霊に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れてきた。シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。
「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり
この僕を安らかに去らせてくださいます。
わたしはこの目であなたの救いを見たからです。
これは万民のために整えてくださった救いで、
異邦人を照らす啓示の光、
あなたの民イスラエルの誉れです。」
(ルカによる福音書2・22―32)

2月2日、被献日(主の奉献)の福音書の一部です。この後、シメオンは彼らを祝福し、幼子とマリアの将来を予見します。また、年老いた女預言者アンナも近づいてきて神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話したと記されています。
この物語は初子の奉献と産婦の清めと解され、「マリアの清めの祝日」とも呼ばれます。また、シメオンとアンナが代表する旧約の民が救い主と出会った日として「出会いの祭り」とか「迎接祭」とも呼ばれます。また、イエスが異邦人を照らす光と言い表されたことから、ローソク一年分を婦人たちが奉献し、「聖燭祭」と呼んでキャンドル・サービスを行いました。被献日はこのように重層的な祝日として守られてきました。
左の絵はジオットがイエスの生涯を描いたパドヴァの壁画からのものです。イエスを抱く老シメオンと、預言者を象徴する巻物を手にするアンナ、それと向かい合うマリアといけにえを携えたヨセフ。この祝日に与えられたさまざまな名称を考えさせます。
福音書にある「彼らの清めの期間」や「幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして」という表現から、清めはマリアの清めだけでなく、主の奉献は単に初子の奉献だけではないことがうかがえます。受胎告知におけるガブリエルの言葉「生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」に照らして、「主のために聖別される」ナジル人としてのイエスの清めと聖別が語られていると解することもできますが、今はこれ以上立ち入りません。
重要なのは彼らの行動がすべてモーセの律法に従ってなされていることです。「親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った」という言葉でこの物語は結ばれます。「わたしが来たのは・・・(律法を)完成するためである」(マタイ5・17)と主は言われました。また、「神は、その御子を・・・律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました」(ガラテヤ4・4)とパウロは言います。主がユダヤ人として来られ、全くユダヤ人の一人として生涯を送られたことを改めて思います。


新教会委員の
  抱負とひとこと

昨年12月25日、2003年度の教会委員・信徒代議員選挙の即日開票が行なわれました。指名された二名の開票委員による開票の結果、12名の教会委員および二名の信徒代議員が選出されました。
新しい年の教会委員さんにひとことお願いしました。


会計担当
芦生キャンプ場管理担当

ダビデ 佐々木 亨

 お金に縁遠い私がまたまた会計担当に任ぜられました。不景気と物騒な話題ばかりのこの頃、主の御業にあずかる私たちこそ、明るく楽しく、主を賛美しつつ、創造の道を歩んで行きましょう。
芦生キャンプ場は他の教会にはない独自のものです。こちらも有意義に利用し、」大切にしていきたいものです。

書記担当
幼稚園・日曜学校連絡担当

ルデア 菅原さと子

 2003年度も昨年同様、書記の南さんのお手伝い、そして幼稚園とSSからの報告をさせて頂きます。教会における幼稚園の立場は、皆様からの物心両面のご理解をもって、私達も心して頑張らねばならないと考えております。様々な事で、できるだけの協力体制は取りたいと思っています。が、SSが気になります。今、小学校低学年の子供達が少ないということです。これは取りも直さず幼稚園の卒園生が少なかった事に比例していると思うからです。やはり、幼稚園の人数に影響される事は否めません。この教会に交わる一番小さき者との出会いをしっかり受け止めていかねば、と考える昨今です。ひいてはこの教会全体にも繋がる事ではないのでしょうか。今の子供達にとって楽しむ選択肢は山とあります。でも、教会はちょっと違うはずです。「きてみなさい」と子供達を誘えるように、どうぞ、この一年も神様が一番愛された幼い者への・・・かつて皆さんがそうであったように・・・ 皆様のご協力を宜しくお願い致します。

墓地・納骨堂管理担当
教区神学生後援会担当

ヨシュア 立石昭三

 いつも教会をサボっていたので、私なぞ委員になるはずはない、と思ってましたのに,又、末席を汚すことになりました。なったからには、出来ることでお役に立ちたいと思います。特に病気の方の相談に乗ります。共に悩むだけに終わるかも知れませんがーー

礼拝(宣教、宣教百年)担当

デボラ 辻 法子

 教会の全構成員が心を一つにして、それぞれが与えられた賜物を活かして、できることをするというあり方が生き生きとした教会を創るのだろうなといつも思っております。いつまでも、新しい礼拝堂を作り上げたときのあの気持ちと意気込みをを忘れないでいたいと思っております。
 主のみ心のまま。なんでも一生懸命やりたいと思っております。気持ちは十分すぎるほどあるのですが、仕事の関係などで時間を取れないことが多くて、ちょっと、心苦しいところもあります。
今年も皆さん、よろしくお願いいたします。

礼拝(宣教、宣教百年)担当

モーセ 続木 創

「マリア教会の信徒数が増えない原因は主日礼拝に魅力が足りないからである」という仮説はいかがでしょう。結構説得力ありません?自分たちにとっては永年慣れ親しんだ礼拝ですが、はたしてマリア教会に初めて(おそらく勇気をふりしぼって)来た人たちが、「あぁ、また来週もここに来たい・・・」と思って下さるような時間の流れがそこにあるのかどうかということ。じゃあ「魅力的な礼拝ってどんな礼拝なの?」というのが次の問いですが、ここらのところを一度みんなでディスカッションしてみるのもおもしろいかもしれませんね。

礼拝(宣教、宣教百年)担当
幼稚園委員会担当

マルコ 新實康男

 元日に教会委員最長老とのことで挨拶をしましたが、かなりとまどいました。
 そして1月23日に誕生日をむかえて70才になり、更にとまどいました。自分ではそんなつもりはなかったのに、否応なく年は追いかけてきます。これからは人さまにいたわられたり、気にかけて頂いたりするたびにとまどうことでしょう。委員としての抱負はまだ考えられません。
 今のうろたえが少し収まらないとどうも考えが浮かびません。自分自身の今生きていく上での目標を新しく立て直さなければ、どうにもならない状態です。でも教会委員としては責任を果たしたいと思っています。

会計担当

パウロ 西 逸郎

 毎週の献金の整理、それに基づく月次収支報告書の作成という仕事があるため、特に所用がない限り日曜日に教会には来ておりますが、実を言うと昨年6月以降聖餐式には出ておりません。信徒としてあるまじき行動と思われる方もいらっしゃるでしょうが、私自身の心の中にある種のバリアーが立ちはだかっており、受け入れる状態が続いているのです。
 しかし、未来永劫というわけではありません。いずれまた聖餐式に出られる状態に復するとかんがえておりますので、しばらくの猶予を戴きたいと考えております。
 こんな私でも、信徒の皆様から教会委員として投票してもらい、委員会で財政を委任されたことはやはり感謝であります。教会という組織の中にあって奉仕することと、聖餐式に出て陪餐にあずかることとは別次元の事象と自分なりに認識しておりますので、三年目の今年も頑張ってゆく所存であります。
 今年の教会委員のメンバーはそれぞれは社会的な地位もあり、学識・見識をお持ちの方々ばかりですが、教会委員会の今以上の活性化を将来的に展望すれば、もっと若い年齢層の人たちが委員会に入ってしかるべきと考えます。
 ちなみに私が初めて教会委員を仰せつかったのは、今から約一八年ほど前で、当時はまだ三〇歳になっていなかったと記憶しています。
 三年連続して教会委員に選任された場合、一年間は被選挙権を行使できると聞いておりますので、来年は休ませて頂きたく、代わりに若いメンバーへの投票をお願いいたします。
 ついでに申し上げるなら、「まりあ寄席実行委員会」についても、今後とも大いに盛り上げていきたいと考えております。過日の第一回はチケット販売枚数が合計一四七枚、来場者が一三〇名という結果で、桂出丸師をはじめ噺家さんも大熱演で盛況に終えられたこと、会場準備・来場者の送り迎え・後片付けにおいて多くの兄弟姉妹が協力してくださった事等々、大変感謝しており、この場を借りて御礼申し上げます。後でご出演三師ともお話しましたが、「良い雰囲気の会でした」という感想を述べられています。
 今年は、5月と9月の後二回の開催を予定しております。ご来場いただいた方々には大いに楽しんでもらい、併せて京都聖マリア教会をアピールしていきたく思っておりますので、ご協力をよろしくお願い申し上げます。
 以上、「お話の長い」西さんでした!

営繕担当

ピリポ 野嶋久暉

「礼拝の出席も高齢者がいなくなって減ってきましたネ」「マリア教会も牧師の給料が払えないほど献金が減ってきましたなァ」
「岩城くんがマリアの牧師で帰ってくるそうですが牧師館の修繕の費用はどうしましょう??」
「幼稚園の建物も限界らしいですよ。」
「増えるのは納骨箱だけですなァ」
……このようなことにならないように少し長期的なことを皆で考えていこうと思っています。

墓地・納骨堂管理担当
幼稚園委員会担当

マルコ 野本 武

 今、私たちは未体験ゾーンの大不況の渦中にあり、右肩下がりの勾配がますます強くなり、その将来が全く不透明と言えるでしょう。「行政」も恒常的な歳入不足に陥り、なりふりかまわず税収入の確保に走っています。今までは、安泰であった宗教法人、学校法人といった公益法人や特別法人にも、何とか課税できないものかと、目を向けてきています。宗教法人の会計基準の整備・適用と会計運用に慎重になる必要性を感じます。
 昨年「還暦」とかいう通過儀礼を経て、中高年の仲間入りをいたしました。定年というゴールも見え始め、そろそろ現役の集大成をはかり、フリーになった後の人生設計を考える世代に入りました。しかし、若い方々に囲まれているためか、気持ちはまだまだ青年です。これからは、あらゆる場において、中高年・熟年の世代と若い世代の架け橋になれるように、微力ながら尽くしていきたいと心しているしだいです。


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