月報「コイノニア」
2005年1月号 No.257


主がお入り用なのです

司祭ヨハネ

一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山沿いのベトファゲに来たとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、言われた。「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。それをほどいて、わたしのところに引いて来なさい。もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐ渡してくれる。」それは預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
「シオンの娘に告げよ。『見よ、お前の王がお前のところにおいでになる、柔和な方でろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って。』」
弟子たちは行って、イエスが命じられたとおりにし、ろばと子ろばを引いて来て、その上に服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。大勢の群衆が自分の服を道に敷き、また、他の人々は木の枝を切って道に敷いた。そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。
「ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。」
      マタイによる福音書21・1−9

 四つの福音書すべてが記しているエルサレム入城の場面。ジオット描く下図にはろばに乗ったイエスの脇に子ろばの頭が見えます。ろばと子ろばが一緒に登場するのはマタイ福音書だけですが、イエスがどちらに乗られたかははっきりしません。
マルコとルカでは、「まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる」とイエスは言われ、子ろばに乗られます。旧約では人が乗ったことのない家畜は汚れていないことを意味し、またろばをつなぐことがメシアの到来と結びつけて解釈されていました。そのような子ろばは、イエスが汚れなきメシアとしてエルサレムに入ることの象徴と考えられます。ジオットが子ろばを添えたのも同じ理由かもしれません。
一方、ヨハネは、イエスご自身が途上でろばの子を見つけてお乗りになったと記しています。彼が引用した預言者の言葉「シオンの娘よ、恐れるな。見よ、お前の王がおいでになる、ろばの子に乗って」に合わせたのでしょう。マタイとヨハネの引用の元になったと思われるゼカリヤ書九・九では「娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者。高ぶることなく、ろばに乗って来る。雌ろばの子であるろばに乗って」となっています。弟子たちは最初これらのことが分からなかったが、イエスが栄光を受けられたとき、それがイエスについて書かれたものであることを悟ったと、ヨハネは記しています。
ろばに乗ってエルサレムに入ることがイエスの意志であったことは四つの福音書を通じて明らかです。ろばは犠牲として捧げられる清い動物でなく、馬のように俊足でもありません。しかし粗食に耐え、荷や人を運ぶ大切な家畜として古くから聖書に登場します―時には御し難く愚鈍な生き物として軽蔑されながら。平和の君として来られたイエスは、ご自分の乗り物としてこれを用いられました。使徒たちがそうであったように主の選びは不可思議です。あなたも私も「主がお入り用なのです」と名指された者であることを思いましょう。


新教会委員の
  抱負とひとこと

1月9日の教会委員任命式において日本聖公会法憲法規を受け取った12名の委員さんにひとことお願いしました。


書記担当・広報担当
日曜学校連絡担当

マーガレット 浦地 愛

 去年一月、初めての教会委員会の場で書記担当と決まり、教会委員会用のファイルを作りました。去年の十月頃には、そのファイルに綴じられている資料等も分厚くなり、ファイルの表紙が割れてきました。「教会委員も、あと二ヶ月!」と割れたファイルのまま頑張りました。「あと二ヶ月!」・・・の筈が! 今年も教会委員をさせて頂くことに・・・。去年と変わらず、書記担当と日曜学校とのパイプ役です。去年と同じように、また教会委員会用のファイルを買いに行って来ようと思います。そして、去年同様(?)この一年間、頑張り過ぎずに頑張りたいと思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。

書記担当・広報担当
GFS・幼稚園連絡担当

ルデア 菅原さと子

 2005年度も引き続き、書記、幼稚園からの報告、コイノニアへの関わり、そしてGFSとの連絡係りをさせて頂く事になりました。書記は私の強い見方である相棒の愛ちゃんと楽しく、そしてしっかり責任を果すべく頑張らせて頂きます。幼稚園は社会や制度の変化多き流れに添い、教会の皆様方のご支援を頂き乍ら、満3歳児の途中入園児が控える中、まずは新学期六一人で出発することになっています。その子供達の動向を教会委員会を通じ、また、コイノニアを通じてお知らせできます事を感謝致します。GFSは今年度婦人会々長をされる佐々木冨美子お母様から情報を頂き乍ら、その連絡係として勤めさせて頂きます。力及ばずの私ですが今年もよろしくお願い致します。神様の御心に適って与えられた働きが出来ますように。

墓地・納骨堂担当
教区神学生後援会担当

ヨシュア 立石昭三

 一年、休ませて戴きました。抱負と言ってももう老人ですし、皆様の邪魔にならないようにしたいと思ってます。マリア教会百年史の皆様の原稿の提出をお願いし、何とかまとめたいと思ってます。 

礼拝(宣教)担当

モーセ 續木 創

 ちょっと最近「教会疲れ」気味です。自分の持っている総エネルギー量のなかで教会に向けるべき部分が枯渇しているという感じでしょうか。正直言って何も考えずに教会に行って、ただただ礼拝のお恵みを受けて帰ってくるという教会生活にあこがれています。
 昔のコイノニアを読むと教会委員の抱負でえらいカッコイイことを書いていて、そのころの自分がマブシイばかりで、何とも今の自分が情けないです。泰子さんが頑張ってるから自分はもう教会委員は無罪放免と信じきっていたのが悪かったのかなぁ。
 でも今年はマリアにとって司祭様が変わるという大切な年。逃げたい気持ちを克服して体制を立て直すよう努力してみるつもりです。
 それにしても、あぁナサケナイ・・・。

会計担当
婦人会連絡担当
教区日曜学校賛助会担当

リベカ 續木泰子

 沢山の出会いに恵まれているマリア教会。そしてその誰もがイエス様に出会い、愛されていることを知ったのですね…。
 会計という窓口からも教会と新たに出会うことになるでしょう。学びながら、歩んで行きたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

礼拝(宣教)担当
幼稚園委員会担当

マルコ 新實康男

昨年一年間 教会委員はお休みさせていただきました。自由に気持ちよく教会での時間が過ごせた一年でした。今年はちょっとしばられたような感じがしますが新しく委員に選ばれた気持ちで考え、仕事をしなければとおもいなおしています。
礼拝と宣教担当です。この一年例年以上に多くのかたが洗礼、堅信を受けて教会に加わってくださいました。礼拝出席者、受聖餐者の増えることこそが教会の前進です。この流れがより大きくなりますように、願うものです。

営繕担当
渉外(信伝協)担当

ピリポ 野嶋久暉

・・・六〇歳以上の男性の皆様へ・・・
 現役時代、私たちは、社会であらゆる困難を乗り越えて色んな経験をしてまいりました。今は、家庭内に、各々の課題を抱えながらも一応安定した境地にあり、六〇にして耳順の心境と言いたいところです。
 主日礼拝には、これまでの生活のため(給料を得るため)仕事に無我夢中の余り、見過ごし、足りなかった点を反省して、連なっておりますが、これからは、もっと教会のお役に立たなければと思っています。
 この教会には二十数名の六〇歳以上の男性がおられますが、もし皆様が『壮年会』を作り、今までの専門的な知識や経験を生かすならば、教会の働きにかなり役立つのではないでしょうか。また人生の四分の三を過ぎた我々にとって、良き親睦の場になると思います。
 今年は皆様に『壮年会』の結成を再度呼びかけ、実現の年にしたいと思います。
 どうぞよろしくお願いいたします。

会計担当
礼拝(宣教)担当
幼稚園委員会担当

マルコ 野本 武

 最近のマリア教会は、若い世代の信徒の増加と活躍に目を見張る、著しいものがあります。その一方、信徒の加齢化が進み、社会一般を支える中心でもある、四〇歳代・五〇歳代の層が相対的に減少して(陪餐者の減少、信徒が増えない)、信徒年齢層の二極化(若年、高年の二分化)が進んでいるように感じられます。この年齢層の二極化は、教会委員の年齢構成を見ても明らかです。
 私も自分の歳を思い浮かべた場合、気持ちはまだまだ若いつもりですが、年齢層としては、高年者の部類に確実に入りつつある現状について、自覚せざるを得ません。
 若い信徒の皆様方の活動に多くの喜び、期待、頼もしさを感じる一方、それを自分が100%共有できるかどうか仄かな危惧を覚えるものでもあります。
 以上のことを踏まえつつ、一体、如何なる奉仕ができるのか、これからの一年間、常に自分自身に問い尋ね、試行錯誤を繰返しながらも、最善を尽くして行きたいと心しているしだいです。
 宜しくお願い申し上げます。


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