月報「コイノニア」
2005年3月号 No.259


隠された神

司祭ヨハネ

その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。そこへ、かつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香を混ぜた物を百リトラばかり持って来た。彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた。
       ヨハネによる福音書19・38―42

 赤は赤みを失い、青は青みを失い、黄金色は輝きを失い、イエスの遺体に同化するかのように、すべてがくすんだ色調に沈んでいます。イエスの頭を抱きかかえる聖母マリア、足を支えるマグダラのマリア、両手を支える婦人、それを取り巻く弟子たち、すべてが悲嘆の色に包まれています。天使たちもただ嘆くのみであり、奇跡は遂に起こりませんでした。
「他人は救ったのに、自分は救えない。イスラエルの王だ。今すぐ十字架から降りるがいい。そうすれば、信じてやろう。神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。『わたしは神の子だ』と言っていたのだから」(マタイ27・42、43)という嘲りの声は、すでに荒野におけるサタンの誘惑に際してイエスが断固として斥けたものであるとはいえ、十字架上の死はあまりにも人間的であって、神の子らしくありません。イエスご自身、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれたように、神の臨在を見ることなく、捨てられ、無力で、敗北のうちに息を引き取られたかのようです。
愛する者が失われようとしている時、わたしたちは同じ思いに捕らわれます。神は救ってくださらないのか、神はお見捨てになったのか、神はおられないのか。
キリスト教は、ほかならぬ十字架の死と復活において神の決定的な啓示がなされたことを教えます。聖金曜日の敗北は復活日の勝利の光に照らして見るべきものです。復活は神が十字架の敗北を覆して勝利に変えたことを確証するものであり、それによって十字架と死の暗黒の中に隠されていた神が逆説的に臨在しておられたことが明らかにされます。
自然の美しさや合理性の中に神がご自身を啓示してくださるのであれば、わたしたち人間にとってわかりやすい神となります。あるいは、めざましい奇跡を通してご自身を示されるのであれば、誰もが納得し受け入れられる神となるでしょう。しかし神はこのような道ではなく、十字架の死と復活という、きわめてわかりにくい出来事を通してご自身を決定的に啓示されました。それは大いなる神秘であって、人間が神を造り出すのではないことを比類ない仕方で示すものです。「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です」(Tコリ1・18)
行きづまり、見捨てられ、無力で、希望なく、敗北の道を歩む時、あるいは愛する者を失う悲しみを存分に味わうとき、わたしたちにも十字架の神秘に隠された神の臨在という逆説的真理が示されるのです。


祝 ご復活!

3月27日の復活日大礼拝。下田屋司祭、大塚司祭の当教会最後の礼拝ということもあって150名近くの会衆が集まりました。聖歌隊とハンドベルクワイアのご奉仕も加わり荘厳で活気に満ちた礼拝が捧げられました。それに先立つ聖週は大斎節のしめくくり。主イエスがエルサレムに入城され、苦難を受け、十字架上でご自身を献げ、死んで葬られ、陰府に降り、三日目に復活されるまでの激動の日々を記念する一週間として特に大切にし、様々な礼拝が行われて来ました。

以下、聖週から復活節にかけて行われた主な礼拝をご紹介します。


20日(日) 10時45分
復活前主日(しゅろの主日)

 復活前主日は聖週の初日で、主のエルサレム入城を記念します。「柔和な王」の姿でろばに乗ってエルサレムに入られる主を、群衆は自分の服を道に敷き、なつめやしの枝を手に歓呼して迎えます。「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に」。この日は全員が聖堂前室に集まり、しゅろの枝を手に、聖歌七四番を歌いながら聖堂内を巡る入堂行列で礼拝が始まりました。福音書はルカによる長い受難物語です。中世の時代に行われた受難物語朗読に倣い、複数の朗読者によって、福音史家、イエス、ペトロ、ピラト、女中、罪人、百人隊長などの役割を分担して朗読を行いました。



24日(木)聖木曜日 19時
洗足式・聖餐制定記念聖餐式

 最後の晩餐の夜、主は弟子たちの足を洗って互いに愛し合うべきことを教えられました。それにならって司祭が会衆の足を洗うのが洗足式です。今年は教会委員代表3名、会衆代表2名の足が洗われました。6回目になる洗足式はすっかり定着し、洗足式は初めてという他教会や神学生の出席もあって、例年よりかなり多くの人々が出席しました。

 それに引き続き、主が「わたしを記念してこのように行いなさい」と言われた聖餐制定聖餐式が行われました。礼拝の後、祭壇の飾りがすべて取り外し(ストリッピング)、聖金曜日を迎えます。



25日(金)聖金曜日 12時
京都伝道区合同受苦日礼拝
(主教座聖堂にて)

 聖金曜日正午からの受苦日礼拝は、京都伝道区の習慣により主教座聖堂で合同で行われますので、教会での礼拝は朝と夜だけになります。



25日(金)聖金曜日 19時
聖金曜日夕の礼拝
    (十字架の主に対する崇敬と賛美)

夜の礼拝では、主の御受難について黙想し、十字架の主に対する崇敬と賛美の礼拝が行われます。



26日(土)聖土曜日 23時
イースター・ヴィジル
復活のろうそくの祝福・
洗礼の約束の更新・復活の聖餐式

 古来の復活徹夜祭(ヴィジル)です。文字通りの徹夜とは行かないまでも、夜半過ぎに復活日最初の聖餐式となります。非常に豊かな内容を持つ礼拝です。@復活前夕の黙想。主は陰府に下り、アダムをはじめすべての死者を引き上げられます。A復活のろうそくの祝福。真っ暗な聖堂に復活のろうそくが入堂し、各自の持つろうそくに点火していきます。「キリストの光」「神に感謝」の唱和が繰り返される荘厳な礼拝です。B洗礼の約束の更新。C復活日聖餐式。他教会の方も含め、今年は特に多くの出席者がありました。



27日(日)復活日 4時30分 (教会発)
早天礼拝(大文字山にて)

「朝まだ暗いうちに」墓へと急いだマリアたちに思いを馳せながら、ジュニアチャーチを中心に行われる恒例の復活日早天礼拝です。今年は11名の参加者が山上で礼拝を献げました。



27日(日)復活日10時45分
主要聖餐式

 聖歌隊・ハンドベルクワイアの奉仕も定番となり、音楽いっぱいの荘厳な礼拝となりました。約150名の出席で、礼拝用書が足りなくなるほどのうれしい悲鳴でした。



27日(日)復活日 13時
イースター祝会

 記念写真撮影の後、幼稚園ホールで祝会。今年は下田屋司祭定年・大塚司祭転任の感謝の集いを兼ねました(別項記事参照)。



二八日(月)〜四月三日(日)
オクターブの聖餐式、晩祷

 連日、小聖堂に入りきれないほどの盛況で、主聖堂に式場を移して行われています。


下田屋司祭・大塚司祭
感謝の集い!

 イースター祝会は<下田屋司祭定年・大塚司祭転任>感謝の集いを兼ねて、幼稚園ホールで行われました。立石・続木泰子教会委員の司会により、楽しいひとときを過ごしました。
 下田屋司祭の礼拝についてのお考えを再度じっくりとお聞かせいただき、信徒それぞれの胸にしまい、新しい牧師様をお迎えして新しい教会を共に造っていく決心を新たにしました。
 両司祭を交えた楽しい寸劇や、奥様方に司祭に内緒でお聞きする「本音トーク」と、マリア教会ならではの企画で盛り上がりました。
 下田屋司祭は定年後、草津のマンションにお住まい、大塚司祭は新赴任地の聖ヨハネ教会牧師館にお住まいになります。

下田屋洋子姉は引っ越しに伴い最寄りの大津聖マリア教会に、大塚美智子姉は赴任地の聖ヨハネ教会に4月1日付で教籍を遷されます。本当にお世話になりました。


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