月報「コイノニア」
2005年6月号 No.262


心を合わせて

司祭 ミカエル 藤原健久

わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。
                 (マタイ28・20)

 これは、6―7世紀頃に、北アフリカ、現在のエジプトあたりで描かれた「キリストと修道院長メナ」のイコンです。キリスト教絵画とは思えぬほどの明るい色彩と、まるでマンガのように短縮され、各部が強調された身体表現は、アフリカのキリスト教(コプト教会)美術の特徴を示しています。これは、私が実質的に初めて出会ったイコンです。神学生の頃、平日の晩に、ある信徒さんのお家の家庭集会に招かれました。お祈りの指導に来られたのは植松功さんでした。現在の北海道教区、植松誠主教の弟さんです。植松さんは、リュックの中から、風呂敷に包まれた一枚の板のようなものを、とても大切に取り出して、床の間に飾りました。そしてその前にろうそくを置き、その明かりを中心に、静かで美しい祈りの歌が始まったのです。そのとき、ろうそくに照らされていたのがこのイコンであり、またこれが「テゼ」の祈りとの出会いでもありました。
 このイコンの特徴は、何よりもその構図にあります。キリストが聖人と共に、並んで歩いておられます。しかも、右手を聖人の肩にまわしているのです。「キリストが共にいてくださる」、この私たちの信仰を、これ以上ないほどはっきりと表現しています。この構図は、四国遍路の人々が用いる「同行二人」に通じるように感じられます。また、「愛は、互いに見つめ合うことではなく、二人で同じ方向を向いて歩むこと」という、ある文学の言葉を思い起こさせます。また、有名な信仰の詩「あしあと――FOOT PRINT」を思い出させます。
 肩にまわされたキリストの手を見つめていると、心が温かくなります。また、まっすぐにこちらに向けられたキリストのまなざしを見つめていると、心が落ち着きます。このイコンを見つめているだけで、祈りに導かれるように思います。
 先日、幼稚園で、長年子供たちの発達に関わってこられた先生のお話を伺う機会がありました。先生が言われた言葉で私が一番印象に残っているのは、「心を合わせる」でした。こちらから、子供に心を合わせてゆくと、子供はこちらを信頼し、本当の姿を見せてくれる、と。心を合わせるとは、相手を理解しようと努めることであり、そのような思いから生まれるのは、慈しみと愛情の眼差しです。反対に、相手に心を合わせようとせずに、生まれてくるのは、相手を対象としてしか見ない眼差し、自分の欲望か評価の対象としてみる眼差しです。そしてそのような眼差しは、子供を傷つけます。
 「人の目を見て話しましょう」と教えられながらも、実行するのはなかなか緊張するものです。同様に、人からじっと見つめられるのも、緊張するものです。正教会の聖堂に入ると、まっすぐにこちらを見つめる多数のイコンがあります。けれども、イコンの眼差しは私たちの心を落ち着けてゆきます。キリストはその慈しみの眼差しを通して、私たちをご自分の御許に招き、同時にキリストご自身が私たちの心の中に入ってきてくださるのです。キリストは見えない手をいつも私たちの肩にまわしてくださいます。その手は、肩を押したり引っ張ったりするためのものではなく、私たちの心をキリストの心に、キリストの心を私たちの心に、引き寄せてくださるためのものなのです。


京都聖マリア教会
針の穴計画決定!

 2004年に京都教区全体が一つのテーマを意識するという初めての試みでもある「こどもといっしょキャンペーン」が行われ、各教会や教区の行事などでさまざまな取り組みがありました。
 2005年からは、また少し違った角度から、新しい動きを作っていくため、新しいテーマが主教様より提案されました。その名も「針の穴計画」。皆さまもご承知のとおり、今の時代の宣教は難しく、教会の礼拝に集まる人はだんだん少なくなり、年齢も高くなっています。それで、今のうちに何かあっと驚くような計画を立ててがんばるというのも一つの考え方だと思いますが、今いる私たちにとってあまり無理のないやり方でやらなければ、負担が大きいだけだろうと思います。当たり前のことですが、できることしかできないのです。そこで、一つのとっても小さなことから始めていく。そのことを通して神さまの恵みを世に伝え、また、神さまが世界に向けて働いておられるそのお手伝いをするという、教会の本来の使命をよりよく果たしたいということでこの「針の穴計画」が提唱されました。
 その提唱から既に半年過ぎてしまいましたが、京都聖マリア教会でも次のとおり、ようやくテーマが決定しました。

全体テーマ
「主日礼拝を守りましょう」
@ 聖餐式前に準備の時を持ちましょう。
A 聖歌を心をこめて大きな声で歌いましょう。
B 旅行先の教会に行ってみましょう。

 ここに至るまでには、昨年後半六回にわたって行われた将来計画懇談会をベースに、二月の受聖餐者総会での話し合い、そして新しい司祭を交えての教会委員会での話し合いと、じっくり時間をかけてきました。決定したテーマは、「主日礼拝」を守るという、私たちの原点に行き着きました。しかも、本当に「針の穴」の趣旨のごとく、目標としてわかりやすく、実践の価値あるテーマばかりです。
 目標は立てただけでは意味がなく、立てたことで満足するだけではなおさらです。皆で決めた針の穴計画、@からBまでのサブテーマについて、「自分だったら、まずこれを実践しよう」と、ぜひ自分の中の針の穴計画に落とし込んでみることから始めませんか。少しでも目標に近づこうとする「みみっちぃ実践」こそが、今回の針の穴計画の一番の趣旨です。そして針の穴も皆で実践すれば、その積み重ねが教会の大きな力となっていくことでしょう。
 ちなみに、この針の穴計画、既に京都教区のホームページには他の教会の目標が掲示されています。
(http://www.nskk.org/kyoto/harinoana/plan.html)
教会名ではなくイニシャルで表示されていますが、おおよそイニシャルでどの教会はどんな目標かわかります。他の教会の目標も参考になるものばかりです。ぜひご覧になって下さい。(キリル 森田朋宏)


予告!【何でも聞ける会】

しばらく静かだった『青年会』からのお知らせです。
 来月、【何でも聞ける会】をしよう!と青年会のミーティングで決まりました。
【何でも聞ける会】って? 何を聞くの? 本当に何を聞いても平気?・・・等々、思われるでしょうか。
 毎主日、教会に来て、聖餐式でいつもと同じように祈祷書を使ってお祈りをし、聖歌を歌い、陪餐に与り・・・そんな中でフッと疑問に思う事はありませんか?
 久し振りに聖餐式に出れた時、何となく新鮮な気持ちと同時に、「あれ?」と何かに違和感を感じたりした事はありませんか?
 他教会に行った時、いつもと違って「ん?」と思われた事はありませんか? 
そんな小さな(もしくは大きな?)疑問を消化しようよ!という会です。もちろん、青年会のメンバーだけでワイワイ言ってても正しい答えは出そうにありませんので、藤原司祭にお願いし、みんなで分かち合って行けたら・・・と思っています。「今更、こんな事訊けない」「恥ずかしい」「笑われない?」なんて心配しないで下さい。来月お配りする(予定)案内に[匿名希望さん用質問用紙]もご用意させて頂きます。ちっちゃな疑問から大きな疑問まで受け付けさせて頂きます(礼拝以外の事でも大歓迎!?)。暑い中でしょうが、ぜひ、今からご予定下さい!
■日時 7月31日(日) 午後1時頃〜
■場所 会館ホール(予定)
*お菓子を食べながらのザックバランな会です。
*青年会主催のどなたでもご参加いただける会です。


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