月報「コイノニア」
2006年1月号 No.269


ないしょ

司祭 ミカエル 藤原健久

イエス・キリスト
キリストの12歳と30歳の間には、深い沈黙があります。
どこで なにを しておられたのでしょう。
荒野で聞き、はるかな雪の山で語っておられたのでしょうか
他の人々の知恵に、耳傾けておられたのでしょうか
ご自身の知恵の力を重ねて、成長されたのでしょうか
この一八年間には、深い沈黙があります
けれどもその沈黙のうちに、創造の始まりがあったのです。

 今月も三度、ナリニ・ジャヤスリヤ著『サッテヤ…言葉と絵による黙想』(日本基督教団出版局)の中から引用しました。「顔」という題名が付いています。題名の通り、イエス様のお顔が真ん中に描かれています。その周りには、きれいな色彩が渦のように回っています。頭上は赤、下半分は青です。赤は聖霊の炎のように、または太陽の日差しのように見えます。青は、さわやかな風が吹いているように見えます。その中で、イエス様が女の子のように端正なお顔をこちらに向けています。目は伏し目がちで、口元は穏やかにほほえんでいます。この表情は、まるで仏像のようで、アジアでのキリスト教絵画を意識した作者ならではのものと言えます。お日様に照らされ、風に吹かれて瞑想しているイエス様は、人の目には見えない神様を目の当たりにし、人の耳には聞こえない神様の声を聞き、神様との対話を楽しんでいるように見えます。
 預言者エリヤは神の山ホレブに着いたとき、まず激しい風が起こりました。次に地震が、そして火が起こりました。しかしそれらの中には神様はおられませんでした。そして最後に静かにささやく声を聞きました。それこそが、神様との出会いでした(列王記上19:11―13)。神様は、少年サムエルを預言者としてお召しになるとき、少年が寝ている間に、そっと彼の名前を呼ばれました(サムエル記上3:1―10)。どうも神様は、大事なお話をするときには、そっと語りかけてこられるようです。神様の声はあまりに静かなので、他の人には聞こえません。だから神様との会話は、いつも「ないしょ話」です。先日、息子に「これは、ないしょだよ」と言ってお話をしました。内容は、ないしょなので教えられませんが、たいしたことのない小さな話です。けれども、息子は目をきらきらさせて言いました。「ないしょだから、誰にも言わないよ。」ないしょ話は、心がドキドキワクワクするものなのかもしれません。
 神様からないしょ話を聞いた人々も、わくわくしたことでしょう。話の内容は、いつも楽しいものばかりとは限りません。時には厳しくつらいメッセージを聞かねばならないときもあります。けれども、神様とつながっている喜びはそれらを越えるものです。
 神様の声はとても静かなので、私たちは沈黙しなければなりません。沈黙は、外から見ると何もしていないように見えます。でもこの世的には何もない、何も動いてないように見える、正にその時に、神様の御業は動いているのです。沈黙している人の顔が喜びに輝いているなら、その人は神様とのないしょ話を楽しんでいるのです。
 イエス様はいつ、「あなたは神の子だよ」という声を聞いたのでしょうか。いつ「あなたは救い主だよ」と聞いたのでしょうか。穏やかにほほえんでらっしゃるイエス様は、神様とのないしょ話の中で、もう既に十字架の運命を聞いてらっしゃるのでしょうか。


新教会委員の抱負とひとこと

1月15日、教会委員任命式が行われました。恒例により12名の委員さんにひとことお願いしています。今年は紙面の都合で数号にわたり順次掲載していきたいと思います。
新しい委員の役割は三面教会委員会報告にあるとおりです。


営繕・墓地・納骨堂担当
教区神学生後援会担当
シニア担当

ヨシュア 立石昭三

 身の程を知る、ということは大切で、国立病院を定年退職しても、他県の友人の病院を丸五年、手伝っていましたがこれもややしんどくなり、今年から国外、県外の仕事は控えようと思いました。それで教会活動に全力投球が出来るかといえば、そうでもなく、徒に委員の末席を汚すことになりそうです。シルヴァー年齢への連絡のお役目は今年から出来た役ですが、これに何とかお役に立ちたいと存じます。2006年正月。


礼拝(宣教)担当
幼稚園委員会担当

マルコ 新實康男

ここ数年教会委員の中では私が最年長になって何かと祭り上げられることが多く感じられます。あまりうれしくないことで困惑いたします。
 新しい委員の選挙開票に立ち会いましたが40代を中心に比較的若い方々に票が多く集まっていたようでよい傾向ではないかと思います。更に女性の委員が多くなれば教会のより良い刷新が進むのではないでしょうか。
 私の新年度に対する抱負とは言えませんが、このような方向が望ましいと考えております。


営繕・墓地・納骨堂担当
渉外(信伝協)担当

サムエル 服部卓爾

教会委員会今昔

 初めて教会委員に選ばれたのが1960年。学生でした。当時の委員会は九人で議題は何時も伝道方策と赤字対策。年間予算が70万程で、牧師館を直すお金が無く素人の大工仕事。清貧の教会でした。
 ほぼ半世紀が過ぎて新礼拝堂が出来た今、新世紀だなあと痛感している古い人間です。
暖かく明るい礼拝が出来て有り難いと感謝しつつ「あの寒い礼拝堂で祈った頃の求道の姿勢と、宣教の意欲を失ってているのでは」と自省中です。
 今年は教区のお仕事も一段落、教会委員も世代交代と思いますが、あと少しのご奉仕は可能でしょうか。高齢化社会、今年誕生のシニアの働きに期待しています。


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