月報「コイノニア」
2006年8月号 No.276


世俗化、個人主義化の中で

〜「エクソシスト」1973年、アメリカ映画〜

司祭 ミカエル 藤原健久

「精神医学で信仰の悩みは解決しない。職業や生き方の悩み…私には無理だ…信仰さえ消えた。」

「なぜ、あんな良い子が選ばれた。」
「我々を絶望させるためだ。自分がまるで獣のようで、心が醜く、神の愛に値しないと思わせてな。」

 残暑お見舞い申し上げます。納涼・恐怖映画です。この映画の特徴は、優れた現実性・リアリティーです。少女にとりついた悪魔と、悪魔払い=『エクソシスト』の戦いという、荒唐無稽な話を、実にリアルに描いています。一つ一つの出来事に対して、現代人が納得できる解釈を含ませています。たとえば、少女の悪魔憑きは、両親の別居という不安からの心理的な異常だとか、悪魔との戦いに負けた老神父の死は、持病の心臓病の発作だとか。どこにでもありそうな平凡な出来事の中に、実は悪魔が潜んでいるかも知れないと言う恐怖感が、じわりと心に迫ってきます。(その点2000年の再編集版は、ショッキングな描写が増え、リアリティーが減りました。)この映画で最もリアルな描写は、世俗化と個人主義化です。主人公は、精神医学を学んだ優秀な神父です。現代では、「癒しの祈り」の代わりに精神医学の方が、人々の「救い」に有効と、教会が判断し彼を大学に派遣したのでした。けれども医学では解決できない悩みの相談に、神父は限界を感じます。また神父の母親は、下町の汚れたアパートに独りで生活しています。支えてくれる人のいない生活の中で、最後には孤独死を迎えます。神父は母親に何もできなかった思いを、深い罪悪感として抱えています。世俗化の象徴は酒とたばこのようです。同僚の神父は信徒のパーティーに出かけ、冗談を飛ばし、酒とたばこを楽しみます。また個人主義化の象徴は、家と部屋のドアで表現されます。イエス様は大勢の群衆の中で病人を癒されました。現代では、大きな家の、小さな一室のドアの向こうに悪魔がいて、神父は独りで立ち向かいます。そしてそのことを周りの人は何も知らないのです。
 悪魔との戦いの中で、神父は傷つき、悩みます。悪魔がいるとするなら、それは自分の罪深い魂ではないのか、そんな疑惑に襲われ身が入りません。そんな神父の魂を最後の最後で支えたのが、悪魔に憑かれた少女の体に浮かび上がった「助けて」のみみず腫れと、母親の「娘は死ぬんですか」の言葉でした。苦しむ者を助けたい、その一心が、神父の司祭としての使命感と力を呼び起こしたのでした。
 世俗化と個人主義化の中で、混乱し退廃した現代社会にあって、「命」への思いが人間の良心を奮い起こしました。この映画から30年以上たった現在、様々な事件の報道に接するたびに、このことすらも崩れてきてしまったのではないかと思わされます。「命は何より大切」という、最も大切な倫理を、私たちは今、満身の力を持って説き、広めなければならない時代に入ったように思います。

(この映画のDVDを貸し出しします。希望者は借用書に必要事項を記入し、牧師まで。)


マリアの夏
〜2006キャンプ・行事写真集

教会学校キャンプ
7/23(日)〜24(月)復活学園北小松キャンプ場

ジュニアチャーチキャンプ
8/12(土)〜14(月)聖マリア教会芦生キャンプサイト

京都教区小学生キャンプ
7/27(木)〜29(土)復活学園北小松キャンプ場

24団カブ隊夏季カブホリディ
「ダム湖・コード〜日吉の自然を守れ〜」
7/28(金)〜30(日)日吉山の家

24団ボーイ隊夏季キャンプ
「むしめがね」
8/13(日)〜15(火)大原学舎

24団ビーバー隊夏季キャンプ
「ビーバーパン対フツトい船長」
8/26(土)〜27(日)加茂青少年山の家

第14回日本ジャンボリー
8/2(水)〜8(火)石川県珠洲市りふれっしゅ村

金沢聖ヨハネ教会矢萩司祭の司式による
聖公会の野外礼拝も行われました。

第51回GFS全国大会
8/4(金)〜6(日)北海道・ニセコいこいの村


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