月報「コイノニア」
2006年9月号 No.277


「私たちは寂しい」と眼が語っていた。

〜「野のユリ」1964年、アメリカ映画(白黒映画)〜

司祭 ミカエル 藤原健久

「主はたくましい男を遣わされた。」
「神様は関係ない。通りすがりだ。」
「違います。」

「彼は偉大なる私たちの神によって遣わされた人です。彼が教会を建ててくれます。本当です。皆さんは奇蹟を見るでしょう。」

 気ままな放浪の旅を続ける黒人青年スミスが、偶然荒れ野の一軒家に立ち寄ると、そこには旧東ドイツからやってきたシスターたちがすんでいました。彼女たちはこの荒れ地に教会を建てるという使命を帯びて、命がけでやって来たのです。院長のマザー・マリアはスミスを神から遣わされた者と思いこみ、強引に教会建築を命じます…。
 黒人俳優として初のアカデミー賞主演男優賞をシドニー・ポアチエにもたらした 、すぐれたドラマです。劇中に何度も登場する「エイメン=AMEN」と繰り返すゴスペルも、覚えやすいメロディーと簡潔で的確なメッセージで、物語を盛り上げるだけでなく、見ている私たちの心も力づけてくれます。(この歌が、幼稚園でクリスマスに用いられる「アーメン五唱」の原曲と思われます。)
 院長はいつも強気で強引です。それは彼女の祈りの力強さに裏打ちされています。教会建築のために修道院に寄付された土地は、荒れ果てており、自給自足を旨とする修道院でも、畑を耕しても収穫はわずかで、シスターたちは貧しい食事に甘んじています。日曜日のミサは、何キロも離れた所まで歩いて行かねばならず、しかも、駐車場での野外ミサです。司祭はワゴン車に移動祭壇と身の回りの物を積んで、週に何百キロも移動しながらいくつかの会衆を司牧しています。集まる信徒=地域住民は、スペイン語系の貧しい農民ばかりです。皆、信仰を失ったわけではありません。けれども余りに厳しい現実に、くじけそうになっています。院長は皆の心を奮い立たさんばかりに、熱心に祈ります。その祈りはスミスの心を変え、教会建築によって住民の心を変えてゆきます。司祭も最初は否定的でした。日に焼けた肌にローションを塗り、タバコを吸い、院長の祈りに皮肉を言っていたこの司祭は、完成された教会を目の前にし、神の奇跡を実感し、祭壇の前で懺悔の祈りを捧げたのでした。
 この作品を味わい深い物にしているのは、ユーモラスでコミカルな物語のなかに、時に漂う「寂しさ」でしょう。シスターたちは、神の使命のみを頼りに、故国を捨ててやってきましたが、英語も満足に話せず、心細い境遇でした。冒頭で、スミスが修道院を去ろうとするときに、シスターたちが実に寂しそうに、彼を見つめ、二、三歩後を追います。その様子に、スミスはその場を離れられなくなってしまいました。定まった礼拝の場を持たない住民たちは、寂しそうな、疲れたような様子です。そして、主人公のスミスも、黒人であるが故に、教育の機会を奪われ、白人中心社会から虐げられてきたのでした。教会が完成に近づき、人々は喜びに満たされてゆきます。けれども、院長とスミスの間には、言葉には出さなくとも、寂しさが高まってゆきます。旅を続けるスミスにとって、教会の完成は、この場を去ることでした。この映画は「出会いと別れ」という、普遍的なテーマを、見事に描いています。
 イエス様は人々の寂しさに敏感な方でした。イエス様に出会った人々は、一度、十字架によって最大の別れのつらさを味わいました。しかし、そのつらさは、イエス様のご復活によって最大の喜びへと変えられました。その喜びは消えることなく、現在の我々にまで伝えられているのです。

(上映会は10月8日、午後一時半から、幼稚園ホールにて。入場無料。)


2年ぶりのバザー開催!

今年のバザーは
  主日礼拝後です!

2006年度バザー委員長
ヨセフ 前田 潤

10/29 11時スタート

 皆さん、こんにちは。暑かった夏が終わり過ごしやすい秋となりましたね。
 さてマリアの秋といえば何といってもバザーでしょう。そうです、二年ぶりにバザーを開催します。
 ただ心配なのは私が委員長をしているという事です。バザー実行委員長なんて大役、自分に巡ってくることは無いと安心してました。私は日曜日の礼拝にはよくきて皆さんともお目にかかる機会は多かったのですが、マリア教会での行事の日は仕事をしていることが多く、恒例になっているバザーも参加した記憶が無い程なんです。しかし大役を任せて頂いたからにはたくさんの方のご協力を頂きながら大成功に納めたいと思っていおります。しかしながら、皆さん心配ご無用です。なぜなら委員長には頼りになる副委員長(南寛さんです)がついてるから。
 バザーまで一ヶ月を切り、着々と準備は進んでおります。バザーは参加して頂く皆さんのお力で支えられているのです。どうかたくさんの方にバザーを楽しんで頂きたいと思います。
 また当日の金券となるチケットを皆様に送付させていたただきました。(ご興味をお持ちいただけた方の中でまだチケットをお受け取りいただけてない方がいらっしゃいましたら、是非お声をおかけ下さい。)当日は楽しんでいただける事が重要ではありますが、その上で教会およびボーイスカウトを支えるための収益をあげる為により多くの方のチケットご購入をお願いする次第でございます 
 どうか宜しくお願いいたします。


GFS全国大会に参加して

リベカ 森田みどり

 8月4日(金)〜6日(日)の三日間、北海道はニセコ、いこいの村に於いておおよそ百名の参加を得て、第51回GFS全国大会が催されました。京都聖マリア教会からは速水純子と森田みどり、そして、しおり、いずみ、ひかりの姉妹が参加させて頂きました。『つながれーみんな神様の子どもだからー』、(主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。<ネヘミヤ記8章10節>)のテーマのもと、子どもを中心としたプログラムに沿っての活動、また札幌キリスト教会の大友司祭様の「子どもと教会」のお話はまさに今、子育て中の私にとってタイムリーでした。第一日目夕食後に行われた北海道子ども聖歌隊ミニコンサートでは子どもたちの天使の歌声が心に沁みました。同時にこれがマリア会の先輩でいらっしゃる松崎美幸先生の熱心で暖かいご指導の賜であることを知り、先生がこの地になくてはならない存在になっていらっしゃる事実に感銘を受けました。二日目は世代別の活動、作業をいたしました。その世代だからこそ、何を奉献できるか、また何をすべきかを話し合い、夫々の思いを木のプレートに書きました。翌、聖餐式の祭壇に飾り、証しするためです。また、それに必要なものを各グループで分担して製作しました。そして最終日、屋外に手作りのチャペルが設置されたのです。オールター、聖書、説教台、十字架、献金袋、司式者のストールにいたるまで、当敷地内で集めた自然のものを用いて行われた聖餐式は圧巻でした。三女ひかりが奉献の大役を仰せつかり無事、果たせたことは私にとって大きな喜びの一つとなりました。
マリア幼稚園の教諭時代からGFSに熱心にお誘いくださった宮西良子先生、片岡先生や諸先輩のおかげでGFSとの関わりが出来ました。フィリッピンに行って共に活動をした仲間との再会も本当に嬉しいものでした。けれど母親になった今だからこそ痛感した「子どもと教会」の在り方、天の国で受け入れられる小さきもの、次世代へ伝えることの大切さを認識出来ました。出席者の中で最長老の伯母から4ヶ月の赤ちゃんまで、世代を越えてつながれた今回の研修でした。この会に参加する機会を与えて下さり、お祈りくださった皆様に心から感謝申し上げます。

追記 : 神学生の時、マリアで実習をされた木村夕子先生がカラーをつけて立派な司祭様になっておられました。


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