月報「コイノニア」
2008年3月号 No.295


《シリーズ・色々な礼拝》
祈りの中心
主の祈りを暗記する。(4-6月)

司祭 ミカエル 藤原健久

もし人の過ちを赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたの過ちをお赦しになる。しかし、もし人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しにならない。
               (マタイ6・14-15)


 私が、礼拝に於いて皆様にお勧めすることとして、「福音書の方を向いて聴く」、「感謝聖別では祭壇を見る」に続き、三番目の、最後の項目となりました。「主の祈りを暗記する。」これをかつて、「針の穴」の一つの案として教会委員会で提案したところ、「そんな簡単なことを」というご意見を頂きました。確かにそうだとおもいますが…、ところが恥ずかしながら、私にとって、まだ完璧に暗記しているとは言えない状態なのです。実は私は今も、少し油断をすると、主の祈りを忘れてしまうことがあるのです。礼拝中にふと別のことを考えていると、主の祈りの次の言葉が出なくなってしまうことがあります。年に最低一度は、そのようなことがあり、周りの方々のお祈りによって支えて頂いています。私は教会での礼拝や家での決まった祈りを会わせると、毎日最低四回は主の祈りを唱えています。それでもこの有様なのです。礼拝で主の祈りを唱えるときには、未だに少し緊張が走ります。
 私が幼稚園の頃から大学生までは、「天にまします…」で始まる、文語訳でした。祈祷書が口語体に変わり、それと同時に主の祈りも「天にいます…」と口語訳に変わりました。この変化は丁度神学校に入学した頃に重なったため、生活の変化と共に、主の祈りを暗記することに努めました。毎日の礼拝と、寝る前の自室での祈りによって、それでも暗記するのに約一ヶ月掛かりました。そして現在の「天におられる…」で始まる主の祈りです。これが前の口語訳とよく混同してしまうのです。かといって小さい頃から慣れ親しんだ文語訳も、今ではすらすらと出てこなくなってしまい、結構大変です。
 私が暗記のために用いている手段が、「歌にして覚える」です。橋本にいるとき、礼拝で新しい主の祈りを導入する際、同時に歌になったものも導入しました。マリアの式文に載せている塩田泉神父さん作曲のものの、もう一つのバージョンです。今、「黙想と祈りの集い」で用いています。抑揚なくまっすぐに言葉だけを唱えるよりは、メロディーに合わせて覚えた方が暗記しやすいと思ったのです。信徒の方々への配慮として行ったのですが、私が一番助けられました。私は今も、主の祈りを唱えるときは、頭の中で歌を歌いながら唱えています。
 それともう一つ気を付けているのが、「周りの人の声を聞く」です。私は多くの礼拝で、司式する立場にありますから、ついつい「みんなをリードしなければ」という意識になってしまいます。そしてできるだけ大きな声で唱えようとします。そのこと自身は決して悪いことではないと思うのですが、それが独善的になり、「周りを従わせよう」という意識で唱え出すと、よく主の祈りを忘れてしまうのです。自分の声ばかりが自分の耳に入るのではなく、できるだけ周りの人の声を聞いて、みんなと一緒にお祈りをお捧げしようとするとき、主の祈りは穏やかに自分の口を吐いて出てきます。
 何でここまで苦労して、主の祈りを暗記しようとしているのでしょうか。それは、主の祈りがそれだけ大事なものだからです。主の祈りの「主」は、「主イエス・キリスト」を指します。イエス様が弟子たちに教えられた祈り、そして多分、イエス様ご自身も祈られた祈り、それが主の祈りです。この祈りは全ての礼拝の中心になります。祈祷書には多くの礼拝式文が収められていますが、殆ど全ての礼拝に主の祈りが用いられます。私たちが神様にお祈りすることの中心になるものが、この短い祈りの中には込められています。私たちが神様にお祈りしようとしても、上手く言葉にならないとき、また素直にまとまらないとき、そのようなときには、主の祈りを心を込めて祈るだけで、十分立派な祈りになります。主の祈りが身近にあること、それは私たちにとって、人生の道のりを歩む足取りを強めてくれるものであり、大きなお恵みなのです。


祝 ご復活!

3月23日の復活日大礼拝では、聖歌隊とハンドベルクワイアのご奉仕のもと、荘厳かつ活気に満ちた礼拝が捧げられました。今号では、それに先立つ聖週に行なわれた様々な礼拝の中から主なものをいくつかご紹介します。


●聖週について

 聖週は復活日の前の一週間です。大斎節のしめくくりとして、主イエスがエルサレムに入城されてから、十字架上でご自身を献げ、死んで葬られ、黄泉に降り、三日目に復活されるまでの激動の日々を記念します。この世に来られた主イエスのご生涯の目的が凝縮した形で示される一週間であり、毎日朝晩それぞれ固有の意味を持つ礼拝が行なわれますが、特にしゅろの主日と、聖木曜日から聖土曜日までの「聖なる三日間」は古来大切に守られてきました。


●16日(日)10時45分 復活前主日(しゅろの主日)

  この日から今年の「聖週」は始まりました。大斎節の締めくくりです。心が引き締まります。前日に作ったしゅろの十字架と、数本のしゅろの枝を手に、最初に礼拝堂前室でお祈りをし、聖歌137「ユダのわらべの」を歌いながら聖堂内を巡り歩きました。福音書は例年同様、教会委員さんによる役割分担による朗読です。「十字架につけろ」などの群衆の言葉は、会衆席の全員で叫びます。朗読の合間に、續木創さんの演奏により、バッハの「マタイ受難曲」から、その場面にふさわしい曲が五曲演奏されました。この日は特別ゲストとして大津聖マリア教会日曜学校の子どもたちとスタッフ方が参加して下さいました。「大斎の旅」として、大津から京都まで、それぞれのマリア教会を結んで、子どもたちだけでやってくるというものです。途中少し遠回りをしたそうですが、無事礼拝前に到着し、聖餐式に参加されました。後日、丁寧なイースターカードが届きました。子どもたちの当教会の印象としては「礼拝中、私語もなく、オルガンの音がきれいやった。聖書朗読、自分の所間違わず言えた。活き活き言っていて驚いた。昼食、うどん・そば、大・小、トッピング、リクエストできるって良いなぁ」等だそうです。約70名参加。


●20日(木)聖木曜日 19時  洗足式・聖餐制定記念聖餐式・聖木曜日の黙想

 イエス様による最後の晩餐と、弟子たちの足を洗われた出来事を思い起こす日です。今年は二人の方が洗足されました。この日だけ、久し振りに「白」の祭色が用いられ、「大栄校の歌」が歌われます。けれどもこの喜びはほんの束の間です。最後の晩餐の後に、十字架があるように、聖餐式の後には、祭壇上の飾りを全て取り除きます。祭壇はイエス様の象徴です。むき出しにされた祭壇を眺めると、何とも言えない寂しい、悲しい気持ちが湧き上がります。5名参加。

 聖餐式後、休憩の後に、長い黙想が行われます。詩編交唱、福音書朗読、黙想、このセットが10回繰り返されます。ヨハネによる福音書13・16-から18・11まで、約五章分読まれることになります。大変長い箇所です。ただこの長い朗読は、同じく長い、受苦日の聖書朗読につながるものですので、イエス様の十字架への理解、黙想がより深まるように思われます。今度結婚式を挙げられる二人を含む3名が参加されました。


●21日(金)聖金曜日 7時  早朝聖餐式

 この日だけは、前日の聖餐式で聖別されたパンとぶどう酒を、保存して用います。聖体保存を示す赤いろうそくの炎が、むき出しになった祭壇上に美しく揺らいでいました。二名参加。


●21日(金)聖金曜日 正午 京都伝道区合同受苦日礼拝(主教座聖堂)

 京都伝道区11教会から集まった数十名の兄弟姉妹とともにお祈りしました。今年は新たに式文が作り替えられ、今までにない、様々な工夫がされていました。聖書朗読の箇所や方法も何カ所も選択できるようになっていたり、役割分担で、よりドラマのように朗読できるものも用意されていました。聖書朗読には当教会から福原さんが参加されていました。当教会からは信徒だけでなく、例年通り、聖マリア幼稚園の教職員の先生方も、地域の小学校の卒業式に参列しなけらばならない先生をのぞいて全員が参加されました。


●21日(金)聖金曜日 19時  聖金曜日夕の礼拝(十字架の主に対する崇敬と賛美)

 祭壇前に、等身大の木の十字架が設置されました。聖堂内に緊張感が満たされます。「見よ、主の十字架、世の救い。ともにあがめ、たたえよう。」ヨハネによる福音書18、19章のほぼ全てにわたる長い受難物語が朗読されます。又この日の代祷は大変詳しいもので、教会のため、苦難にある人々のため、人類の和解と一致のために、捧げられます。2名参加。

●22日(土)聖土曜日 7時  朝の礼拝・嘆願

 一年のうちで唯一。早朝聖餐式のできない日です。イエス様は今、お墓に収められている、つまり、今、私たちの世界には何処を探してもイエス様はおられない、その寂しさと静けさを思いながら礼拝を捧げました。2名参加。


●22日(土)聖土曜日 9時30分  イースター・エッグ作り

 200個の卵をゆでて、日曜学校の子どもたちがクレヨンで絵を描き、食紅で色を付けます。今年は23人の子どもたちが集まってくれました。予想よりも早く作業が終わり、イエス様のご復活のアニメ・ビデオを見た後、あまりのいい天気に我慢できず、園庭で元気に遊びました。この日は、二日前に幼稚園を卒園したばかりの子どもたちを含め、聖マリア幼稚園の卒園児たちがたくさん来るため、幼稚園の先生方が全員出席でご奉仕下さいます。教会からは浦地婦人会長がご奉仕下さいました。やはり教会からの参加者が少ないのが残念です。これはあくまで教会のための作業ですので、来年からは是非、教会信徒の中から奉仕者が多数出ることを願います。

●22日(土)聖土曜日 19時 夕の礼拝

 ようやく、飾り付けられ、お花が活けられた祭壇を前に、間もなく始まる復活日の喜びと期待を胸に、通常通りの夕の礼拝をお捧げしました。3名参加。礼拝後、聖歌隊の練習が行われました。


●22日(土)聖土曜日23時 イースター・ヴィジル
復活のろうそくの祝福・洗礼の約束の更新・復活の聖餐式

 復活日の最初の聖餐式です。最初に聖書のみ言葉と詩編による黙想を行った後、聖堂内を暗くして、復活のろうそくの祝福と点火を行いました。ろうそくに照らされて、力強く主のご復活を賛美しました。「ハレルヤ、キリストはよみがえられた!キリストは本当によみがえられた!」洗礼の約束の後、聖餐式を行いました。復活徹夜祭は大変喜ばしい、また伝統的な礼拝です。ただ今年は、この辺りから司祭の風邪が悪化しだし、礼拝中にどんどん声が出なくなり、ハスキーボイスのまま大礼拝へと突入することになります。他教会、他教派の方も含め9名参加。


●23日(日)復活日 4時30分 ジュニアチャーチ大文字山早天礼拝

 「朝まだ暗いうちに」墓へと急いだマリアたちに思いを馳せながら、ジュニアチャーチを中心に行われる恒例の復活日早天礼拝は今年は13名の参加で少々こじんまりでした。例年なら桜の咲く夜明けの薄明かり道を行くのですが、今年のイースターは時期が早く、蕾の固い真っ暗な道を歩きました。山上で朝の礼拝を献げ、その後楽しく朝ご飯をいただきました。


●23日(日)復活日 7時 早朝聖餐式

 参加者は3名でした。


●23日(日)復活日 8時 英語聖餐式

 いつもはごく少数で守っている英語聖餐式ですが、やはりイースターは、参加者が増えます。外国から3組、7名のゲストが参加してくださいました。京都市内のホテルに置かせて頂いた英語の案内(小林格子さん作成)やホームページの英語案内が功を奏したようです。礼拝後は楽しい朝食会です。この朝食会は毎週行っています。日曜日に朝ご飯を用意する余裕のない方、少し早めに教会にいらっしゃいませんか。英語ができなくても大丈夫です。(司祭もしゃべれません。)8名参加。




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