月報「コイノニア」
2008年9月号 No.301


《シリーズ・色々な礼拝》
手で祈る

司祭 ミカエル 藤原健久

だから、あなたがたが祈るときは、奥まった自分の部屋に入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたことを見ておられるあなたの父が報いてくださる。        (マタイ六・六)

 私たちはお祈りするとき、何よりも「心」でお祈りします。けれども、祈りにおいては、体の動きも決して軽視されてはいけません。祈祷書には「立つ」「座る」「ひざまずく」の指示があります。礼拝にはそれにふさわしい姿勢がある、ということを祈祷書は教えてくれます。適切な体の動きは、私たちの内面のお祈りを深めてくれます。今回は、「手」に注目したいと思います。私たちは、手をどのように用いて、毎日のお祈りを行っているか、少し振り返ってみたいと思います。

(一)手を合わせる。
 最も一般的な祈りの姿です。誰が始めたのでしょうか、手のひらを合わせ、心を静めるというのは。キリスト教だけでなく、世界中の祈りで用いられている姿だと思います。「祈りの心になったから、手を合わせる」のか、「手を合わせれば、自然と心が静まる」のか、どちらが先か知りませんが、最も祈りにふさわしい姿だと思います。指を組み合わせる、手のひらを交差させて握る、というのも、同様の祈りの姿だと思われます。

(二)顔を覆う。
 礼拝堂でひざまずいて肘を前の椅子に乗せて祈っているとき、知らず知らずに手のひらで顔を覆っていることはありませんか。祈りの時以外にも、何かの拍子に私たちは顔に手を当てることがあります。例えば驚いたときに口、考えるときに頬、困ったときに額、というように。これは、何かに意識を集中するときのポーズと言えるでしょう。修道士の着る服には、よくフード・頭巾が付いているものがありますが、これは黙想するときに用います。顔に手を当てるのは、静かに黙想するのに適しています。

(三)手のひらを上に。
 私たちは余りしませんが、それでも昔から行われている伝統的な祈りに、手のひらを上に向ける祈りがあります。実践してみましょう。まず、立って、顔を上に向けてください。そして手を肩の高さくらいまで上げてみましょう。これは、「代祷」・とりなしの祈りに適しています。お祈りを天の神様の元まで届けようという思いを表したものです。今度は座って(出来ればあぐらを組んで)顔を下に向け、手を膝の上に乗せてください。これは、聖霊を求める祈りです。思いを自分の内面に深く沈めるのに適しています。座禅によく似た形です。

(四)平和のあいさつ。
 手でする祈りで忘れてはならないのが、平和のあいさつです。礼拝の中で唯一、他人と触れあう祈りです。私は礼拝の中で、平和のあいさつをとても大切にしています。いつも「ようこそ」「お元気ですか」「ありがとう」の思いを込めて、握手しています。互いに触れ合いながら、口には神様のみ名を唱える、これは、隣人との交わりと神様との交わりを同時に示すものであり、このことは礼拝の本質です。意外と、一般の方や子どもたちも喜んで握手してくれます。平和のあいさつは、大切なお祈りです。

 以上の他にも、手でする祈りとしてロザリオの祈り等がありますが、それはまた稿を改めたいと思います。
 (今回は、婦人会七月例会のお話を修正、加筆いたしました。)



笑顔と共に!敬老の集い開催!

 去る9月15日(日)、今年も『敬老感謝の集い』を開きました。75歳以上の方々は、求道中の方も含めて22名が礼拝に参加されました。シニ
ア聖歌隊は、若い方々や神学生も混じって18名。
 礼拝後、祭壇をバックに、記念撮影。今年は、いつも撮影してくださる宇野さんが敬老感謝「される」年齢に入られ、セッティングの後大急ぎでみんなの中に入り、シャッターは佐々木亨さんが押してくださいました。
 祝会は、末松玲子さんの司会でスタート。聖歌、幼稚園、日曜学校の子どもたちのリードの食前の祈りで婦人会の皆さんがご用意下さったちらし寿司とお吸い物、デザートを頂きました。
 「ニューフェイスさんご紹介」では、今年75歳を迎えられた方を代表して宇野さんがご挨拶。新實康男さんの独唱、ゲストコーナー・浦地洪一司祭の「退職司祭のハッピーな毎日」と題する講義、ゲームコーナー浦地愛さん、高瀬佳子さん指導の懐かしい歌と楽しい時を過ごしました。会の終わりに、婦人会長・浦地恭子さんより、敬老のプレゼントが手渡されました。これは例年と違い、「うどん会計」からの捻出という説明がありました。最後は、礼拝で美しい歌声を聞かせてくださった「シニア聖歌隊」の方々が前に集まり、リードしてくださいながら、みんなで聖歌、主の祈りの後、藤原司祭から祝祷を頂きました。

当教会員のうち満75歳以上でお祝いされた方は次の通りです。   (敬称略)
塩見英子、野嶋喜代子、木村忠一、山本進、中堀妙子、上野久子、望月満子、古和菊子、鎌田梅子、浅井みよ、松本時子、山岡和子、椹木信子、木元民、速水佳子、片岡霊恵、東清士、佐々木功、東セツ、有田信子、宗像康雄、石田阿以子、大岡みゆき、西岡正之、伊庭和子、青木節子、古館典子、熊谷京子、市井隆子、上阪京子、林悦子、宗像和子、安田文子、速水純子、山岡景一郎、續木智子、邨田志津子、中井康雄、佐々木富美子、久保田栄三、増井幸夫、藤木玲子、速水惠子、増井登喜子、新實康男、宇野祐次、星野謙、有田収


投稿
敬老の日に思うこと

マルコ 新實康男

 70歳になってからの五年間は時間の流れが早く、あっという間に75歳になって教会でお祝いをして頂く立場になり とまどう想いです。75歳は社会的にも節目のようで、後期高齢者の医療保険に否応なく入らねばならない事に本年四月からなりました。
 2月頃に京都府からその旨通知がありましたが、私は全く予備知識が無く驚きました。実は2006年に法律が成立していたのですが、小泉・阿部・福田と三度にわたる政変で取り紛れてしまいきちんとした周知徹底がされず突然の実施と感じました。府からの文書を読んで趣旨は理解しました。高齢者の医療費を分離して別個の制度に組み入れて独立採算にして国庫の医療費の負担増をおさえようとするものでした。私個人には更に驚く知らせがありました。府に支払う医療保険の負担額が従来の実に三倍近くに値上がりし、更に医療機関の窓口での支払いが従来二割であったものが三割にあがりました。75歳になっていない妻は私とは別個に従来の保険組合の中で別個に保険料を支払わねばなりません。殆ど健康寿命を過ぎた人たちばかりを集めて独立採算で保険制度を成り立たせるのは無理を押し通すものと思いました。
 今年になって社会保障の予算圧縮による社会的弱者への各種の制限が強まっています。生活保護の無理無体な給付停止によって餓死した人が出たり、母子手当の給付が廃止されたりしました。これは五年間で一兆一千億円の社会保障費を何がなんでも減額する政府の方針のためです。医療費は高齢人口増加が無くても医療の進歩により手技が複雑になったり新しい器械が必要になったりで増加するものです。政府の方針はそれを無視するものです。更に救急医療機関や産科医の減少など歪みが出てきています。これは社会保険医療制度が不備なアメリカの荒廃した医療の現状を追いかけているように思われます。
 更に雇用制度の規制緩和によってパートで働く人が増えて、不安定な雇用関係のなかで、働いても働いても生活が向上しない、いわゆるワーキングプアーと言われる人たちが増加し生活保護の対象者予備軍になっています。働いていてもその日暮らしの人は蓄えが出来ず、月極の家賃が払えずアパートに入居出来ずホームレスになり、住民登録がないので生活保護の受給者にもなれません。社会不安は治安の悪化に繋がるものです。
 福祉国家を目指しているはずの日本の現状はとても貧しいもので、なんとか安心できる社会保障を実現してほしいものです。国庫の大きな負債はなんとか解消しなければなりません。そのためには赤字国債の発行は禁忌で、近い将来の消費税アップを私は容認するものです。当面の景気対策は必要でしょうが、長期的になんとか国庫の歳入を豊かにして、国民の義務と権利の間のバランスのとれた社会になって欲しいものです。




10/26 バザー開催!

今年のバザーも
  主日礼拝後です!

 バザーが近づいてまいりました。今年も開催します。
 8月30日に2回目委員会を開催しました。昨年、一昨年と続いたおおよその形をベースに改良するところは改良を加え、順調に進んでおります。今年も主日礼拝後にすることにしました。京都聖マリア教会を中心に幼稚園、ボーイスカウトと日々の活動をする中で、一堂に集まって共に献げる礼拝を大切にしたいと思っています。
 バザーは参加していただく皆さんのお力で支えられているのです。どうかたくさんの方にバザーを楽しんでいただき、一人でもたくさんの人に関わっていただきたいと思います。
 また当日の金券となるチケットを先日皆様に送付させていたただきました。毎年好評の「おでん」「うどん」「喫茶セット」に今年新企画の「くじ引き」がついた連券で金額1050円が1000円でお求めいただけます。まだチケットをお受け取りいただけてない方がいらっしゃいましたら、是非お声をおかけ下さい。
 当日は楽しんでいただける事が重要ではありますが、その上で教会およびボーイスカウトを支えるための収益をあげる為により多くの方のチケットご購入をお願いいたします。

 10月日(日)からバザーの収益の大きな部分を占める寄贈品の受け付けを始めます。昨今、寄贈品の減少が収益の減少につながっており、バザー成功の大きな要因になっていることはご存じの通りです。
 寄贈品はそれぞれ教会会館二階和室にお持ち下さい。ジャンルをわけて置くスペースを作っています。お持ちになったジャンルごとに整理して置いて帰ってください。運ぶことが難しい方はご連絡いただきましたら引き取りにまいります。


投稿
京都聖マリア教会とオリンピック

ヨハネ 木村忠一

 時は昭和10年頃のアメリカ、ロサンジェル・スオリンピックの時であったと記憶しています。京都聖マリア教会のSSに一人のスラリとした長身の生徒さんがおられました。彼の姓は「今井君」、京都市立第一商業学校三年または四年生であったと思います。彼は400mのランナーとしては中々立派な成績を上げていました。そのタイムは確か四六秒であった筈です。当時の400mランナーで46秒はバツグンの速さであった由です。このスピードをオリンピック関係者が注目しまして、年は若いでしたがオリンピック選手として登録された、と本人から聞きました。
 その後は、多分練習などのためでしょう、SSには現れませんでした。当時のオリンピックの報道は現在のように詳細ではありませんでしたので、その後の今井君の消息は不明です。或いは年齢的に戦争に引き込まれたかとも思います。結果的には如何でありましても京都聖マリア教会のSSの生徒さんがオリンピックに関係されたことは確かであります。
 今井君をご存知の方は多分もうおられないと思います。このことの報告もこれが最後となるでしょう。彼は多分、未受洗者でありました。大々的な北京オリンピックに比べ余りにもヒッソリした報告であります。




投稿
北海道、浦河という町とベテルの家

ヨシュア 立石昭三

 JCMA(Japan Christian Medical Association ---日本キリスト者医科連盟)という組織がある。日本の医師、看護師、技師、その他職種のクリスチャン医療関係者の集まりで、京都部会では毎月一回、土曜の夜に京大会館に集い講師を招いて、勉強をし、ともに祈る会である。その全国集会は昨年、京都市平安会館で三日間に亘って開かれたが、今年は東京、虎ノ門のパストラル・ホテルでやはり三日間、開かれた。同じような組織が台湾、韓国にもあり、夫々、TCMA(Taiwan--),KCMA(Korea--)と称する。この3つのCMA合同のACMA(Asian ---)学生部会が日本、韓国、台湾の三カ国が回り持ちで開いている。今年は日本が当番にあたり、八月六日から八日まで北海道の浦河という町で開かれた。(只今、ラジオでは浦河では南南東の風、風力三、天気は晴れ、などと言っています)天気は快晴でこれでは本州と変わらない、と思ったが北海道はさすがに広く、浦河は新千歳空港から南東へ海岸沿いにバスで三時間半のところにある小漁村であった。人口約一万四千人、新ひだか町と並んで競走馬の放牧地として知られるが、この所、統合失調症の患者さんをお世話している町として有名になった。ここでは統合失調症の方々を無投薬で受け入れ、そのご家族を入れると町民の約半数を占めるというユニークな町である。
 その中心となるところは「ベテルの家」と称し、初めは浦河の一キリスト教会が約四〇年前、一人の統合失調症患者のお世話をすることから始まった。そして浦河沖で採れる昆布を加工し、出汁やおつまみに加工することを教えた。この事業は成功し、この患者さんは今、この加工場の社長さんである。それからこの町を永住の地として、同病の患者、その家族が集まり始め、過疎化で出来た空き家も買い上げ、グループ・ホーム形式で患者さんは自活するようになった。赤字を出している公的介護施設も購入したと言う。
 私どもはバスで空港を出発したが、途中乗り込んだ女性が私どもに英語で、「私は統合失調症の患者です、これから浦河の町をご案内します」と述べたので先ず度胆を抜かれた。なるほどこの町では病名を隠すことはなく差別も無い事がよく判った。
 一方わが京都に目を向けると岩倉あたりから出るバスで如何にもこのあたりの病院に入っている患者さん風に見える乗客に乗合わすことがあるが、やはり正常人とは若干違うのか、皆さん、心なしがこれらの人とは距離を取り、接触を避けようとしているようにも見える。
 この町は過疎対策として彼らの受け入れを町の政策として掲げているのである。私どもは実習として市の図書館におけるスタンツを見せられた。そこでは本当の患者さんがソーシャル・ワーカーである大谷地先生や浦河日赤の精神科の医師に相談するところから始まる。患者さんは四、五人の「幻聴さん」を従えて登場する。この「幻聴さん」には私どもJCMAの会員が前もって台詞も教えられて扮したが、彼らは「お前なんか役に立たない存在だ」とか「早く死んでしまえ」などと囁きながら付いてくる。ワーカーや医師はそれを幻聴とは見なさず、それを肯定した上で「貴方には仲間がいるのだから、そんな幻聴などより仲間を信頼しなさい」という。患者は付いてくる幻聴を認められたことで安心し心を開く、というストーリーであった。
 道を歩く患者さんともじっくりと話し合ったが皆さん、ご自分の病名を隠さない。それらの人は大政治家であったり、もとパイロットであったり、世界的なジャクラーでその前夜にはNHKに出演したりした人だったりしたが、この町の中学生達は既に顔なじみであったらしく揶揄する様子もなくよく話を聞いてあげている様子はまるで「傾聴ヴォランティア」の訓練を受けた人たちのようであった。台湾、韓国の医師たちも感心しておられた。
 統合失調症の方が犯罪を起こす率は正常人より低いという。彼らと話していると彼らは人一倍感受性の鋭い人たちで、私ども、所謂、正常人が全く麻痺していた感覚に真面目に反応している人たちだ、とも思え、考えさせられる浦河訪問であった。



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