月報「コイノニア」
2009年10月号 No.314


《聖書を飛び出したイエス様・その11》
          一人じゃ生きていけない。

白土三平「カムイ外伝」から

司祭 ミカエル 藤原健久

 イエスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まってきた。そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。こうして十二人を任命された。シモンにはペトロという名を付けられた。…それに、イスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。
  (マルコ3・13-19)

 「サスケ」「忍者武芸帳」など、忍者を中心にした作品を数多く生みだしている劇画家、白土三平の代表作の一つです。私が子供の頃には、テレビアニメになっており、大人っぽい独特の雰囲気を、子供ながらに楽しんでいました。今回、実写で映画化されると聞いて、大変驚きました。けれども主演の松山ケンイチの演技は素晴らしく、作品の雰囲気を醸し出しており、また血湧き胸躍る忍術合戦も、激しいアクションと高度な特撮技術で再現し、見事に「カムイ外伝」の世界を作り出していました。
 カムイは、貧しく、差別されてきた出自から、強くなり、自由を得るため忍者になります。けれども冷酷非道な「忍び」の世界が嫌になり、忍者を辞めようとします。けれどもそれは、厳しい忍者の掟を破ることでした。カムイは「抜け忍」として、追っ手の忍者に絶えず命を狙われ、生き残るために、追っ手と闘い、相手の命を奪う日々を過ごさなければならないのです。カムイの超絶的な強さも見物ですが、それよりも、カムイの孤独さ、寂しさが、読む者の胸に迫ります。
 カムイは旅を続ける中で、二人の、同じような「抜け忍」と出会います。彼らも同じように追っ手に負われています。カムイは彼らに次のように語り掛けます。「おのれ自身に破れるな。追う敵より、おのれに打ち勝つことの方がむずかしいのだ…。」追われ続けていると、絶えざる緊張により、周りの人々が信じられなくなり、疑心暗鬼になります。そのため、人との出会いを恐れ、過剰に自分を防衛し、故なく相手を攻撃してしまいます。そしてその結果、自分を滅ぼしてしまうのです。カムイは、誰にも負けない強さを持っています。誰にも頼らず、一人で生きてゆけるだけの強さを持っています。けれどもカムイは、仲間を作ろうとします。人を信じようとします。時には仲間と思っていた人に裏切られたり、攻撃されたりします。その時にはやむなく闘い、別れてゆきます。けれどもカムイはその後も、仲間を求め、人を信じることを辞めようとしないのです。カムイの旅は、仲間を探し出し、愛と信頼の輪を作り出すための旅であるように思われます。
 イエス様は「救い主」であり「神の子」です。一人で生きてゆけるだけの強さを十分持っておられます。けれどもイエス様は、弟子たちの集団を求められました。弟子たちは決して「優秀」な人々ではありません。すぐにトラブルを起こし、イエス様の手を患わせます。極めつけは、その中の一人がイエス様を裏切り、十字架につけることまでしたのです。イエス様はそのような弟子たちの弱さを知らなかったわけではありません。けれどもイエス様は、弟子たちを求められました。仲間の交わりを求められました。
 イエス様はその身を以て、私たちに、「人は一人では生きてゆけない」ということを教えようとされたのではないでしょうか。人と一緒にいることは大変です。トラブルも起きます。けれども、やはり人は一人では生きていけないのです。助け合い、支え合いながらでないと生きていけないのです。ネットやメールではない、生身の交わりがどうしても必要なのです。
 人との交わりで傷つくこともあります。けれども、私たちは人との交わりの場で鍛えられて、苦しみに負けない強さを手に入れることもできます。強さも喜びも知恵も、交わりの中で深められてゆきます。私たちは一人じゃない、一人じゃ生きていけないのです。


投稿
奏楽ご奉仕の喜び

セシリア・末松玲子

 40歳になった1994年に洗礼・堅信を受ける恵みにあずかり、その年の秋から奏楽のご奉仕をさせていただくようになり15年が経ちました。
わからないことだらけのまま始まった奏楽奉仕は、それこそ「緊張」の二文字の上に、
まだ一文字つきそうなほど。でも終えた後の、それまでに味わったことのない、暖かな幸せな気持が又次のご奉仕へと気持ちを向けさせたと思います。
毎回ドキドキしながらオルガンに向かった小谷司祭時代、礼拝堂取り壊しで幼稚園ホー
ルのピアノでご奉仕させていただいた浦地司祭時代、新しい礼拝堂で色々と充実した中、たくさん学ばせていただいた下田屋司祭時代、そして五年前、若い世代の藤原司祭が来られた時、「よその教会」のお手伝いに伺う機会が訪れました。
 実際に京都聖マリア教会、という大きな教会にいると考えてもみなかった事でしたが、「奏楽奉仕者が足りない、おられない」教会があり、聖餐式の奏楽を信徒ではない、併設幼稚園の先生方のご協力やヒム・プレイヤー、または司祭様やどなたかに録音していただいたカセットテープの音にあわせて聖歌を歌っておられたり、祭壇に置かれた鍵盤ハーモニカで音を取って聖歌を歌っておられたり、話には聞いていたものの「マリアしか知らなかった」私にとって、大きな驚きでありショックでした。
現在、京都聖三一教会の毎月の逝去者記念聖餐式と不定期で主日礼拝、下鴨基督教会に各月に一度お邪魔してご奉仕をさせていただいています。
いずれの教会も時代を刻み込んだリードオルガンを大切に使っておられ、そのオルガン
を弾かせていただき、「やはり生のオルガンで聖歌を歌うと気持ちよいですね」と言ってくださることで、皆様とご一緒に主に向かう事の喜び、幸せを感じさせていただいていることを実感しています。
感謝。


ボーイスカウト活動にご協力を

 1907年、イギリスのベーデン・パウエル卿が自らが隊長となって、イギリスのブラウンシー島で20人の少年たちとともに実験キャンプを行い、この結果と自らの体験を基に「スカウティング・フォア・ボーイズ」という本を発行しました。
 ベーデン・パウエル卿は軍人時代に優秀なスカウト(斥候)であり、自らが体験したキャンプ生活や自然観察、自然体験を少年たちの旺盛な冒険心や好奇心と結びつけ、そこから開発したゲームや活動を通じて少年たちに自立心や協調性、リーダーシップを身につけさせ、社会に役立つ人材の育成することを目指しました。
 スカウトとは軍隊での「斥候」という意味でしたが、ベーデン・パウエル卿は「平和のスカウト」として、「自ら率先して幸福な人生を切り開き、社会の発展に貢献する人」を少年たちが目指すことを説きました。ですから、「斥候」というよりは「先駆者」という意味に重きをおきました。 そして、この本が出版されるとまたたく間に少年たちに読まれ、読んだ少年たちはそれを実行しはじめました。少年たちは周囲の大人たちに「僕たちはボーイスカウトになりたいから、隊長になってください」と申し出るようになり、それはやがて海を超え、現在では世界の二一六の国と地域でスカウトの活動が行われるようになりました。
 創始者ベーデン・パウエル郷は聖公会の司祭の子息ときいています。聖公会の教会がこの活動を支持していくのは自然の流れです。三年前、日本中のボーイスカウトが集まった第14回日本ジャンボリー(石川県玉洲市)では金沢の矢萩司祭が、世界の聖公会スカウトを集めて野外礼拝をしたほど密着しているのです。
 我が教会を本部に置く、京都第24団は京都で一、二を争う大きな団です。バザーをはじめ、共に協力し合うシーンも年に何度かあります。どうか活動にご協力お願いします。現在の子ども達は、学校で同学年、そのあと夜遅くまで塾で同学年と、昔のように近所の「ガキ大将」と遊び、その中で上下関係を上手くこなしていくことが出来なくなっているような気がします。ボーイスカウトの縦割りの中でのリーダーシップが将来の人間形成にいかに大きなポイントになるか!お知り合いに該当年齢のお子さんがいらっしゃる方は是非ご相談ください。(組拡担当団委員 吉村 伸)


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