月報「コイノニア」
2012年6月号 No.346


《聖書を飛び出したイエス様・その43》
   あぁ〜天国!

ヤマザキマリ著『テルマエ・ロマエ』から

司祭 ミカエル 藤原健久

イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている者はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。」
               (ヨハネ7・37-38)

 映画化もされたマンガ作品です。古代ローマには、「テルマエ」と呼ばれる公衆浴場がたくさんありました。主人公は浴場を作る技師。ローマ帝国のために少しでも良いお風呂を作ろうと、日夜努力しています。そんな彼がひょんなきっかけで現代の日本に瞬間移動してしまい、日本のお風呂に出会います。日本の高い技術に衝撃を受けた彼は、ローマに帰った後、その技術を活かしてローマで新しいお風呂を作ってゆきます。物語の面白さもさることながら、毎回紹介される日本のお風呂の豊かさに驚かされます。銭湯、温泉、家庭ぶろ、等々、それぞれに工夫が凝らされています。本当に私たちはお風呂好きなんですね。確かに私も、温泉と言わずとも、家庭のお風呂でも、ゆっくりと湯に浸かれば、「あぁ〜極楽」いやいやクリスチャンだから「あぁ〜天国!」となります。東北でボランティアをしているときも、毎日通った温泉が、毎日の活力源でした。
 聖書には、どうもお風呂は出てこないようです。乾燥した地域なので水は貴重なのでしょう。それでも、ユダヤの国には、川もあれば湖もあります。水がないわけではありません。何かお風呂に近い物はないかと考えてみました。まず思いついたのが洗礼。洗礼者ヨハネは言います。「わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」(マルコ1・8)洗礼は水を使いますが、けれども水が重要なのではなく、聖霊を受けることが重要なのです。
 また、ベトザタの池(ヨハネ5章)やシロアムの池(9章)など、病気を癒す池も出てきます。これなんかは湯治と似ています。けれどもこれも、病気を癒すのは池の水ではなく、イエス様への信仰であることが明らかになります。
 聖書の世界では、水を、体の外ではなく、体の内に、つまりは水を飲むと言うことの方がずっと重要なようです。冷やした水を一杯でも差し出すことは最高のおもてなしでしたし(マタイ10・42)、イエス様がサマリアの女と会話を始めたのは、井戸の水を求めたからでした(ヨハネ四章)。
 乾燥した国で美味しい水を飲む、ということと、湿度の高い国で気持ちの良いお風呂に入る、と言うのは、よく似た効用があるのかも知れません。両者とも、体の疲れを取り、心をリラックスさせ、明日への活力を沸き立たせます。イエス様は御自分を、生きた水の源と表現されました。そうすると、これを日本の国で表現すれば、イエス様はお風呂、と言うことになるのでしょうか。となると、教会の宣教は「お風呂宣教」となるのでしょうか。来た人がお風呂に浸かったように元気になる礼拝、とはどんな物でしょうか。そういえば、イエス様が弟子たちの足を洗ったお話は、「足湯」に似ているなぁ…なんて考えていると…あぁ、いかんいかん、あんまりお風呂が気持ちよくて、頭の中がボーっとしてきました。


6/10 伝道区合同礼拝!アグネス教会にて

 6月10日、時の記念日、曇り空のもと伝道区の合同礼拝は、主教座聖堂聖アグネス教会において執り行われた。
 毎主日、私共信徒は、各々の教会で神様を讃美し、感謝の礼拝を献げている。少人数で心を合わせて捧げる礼拝もあれば、大勢で捧げる礼拝もある。各々に大切な礼拝ではあるが、年に一度伝道区の信徒が集まり(今年は約200人)大きい声で讃美の歌を響かせ、大勢の声を一つにして礼拝を捧げる時が与えられた。
 司式・高地教区主教、説教者・大塚司祭、代祷では、世界の教会と私たちの教区のため/世界の国々と正義と平和のため/私たちの教会と地域社会のため/苦しみや悲しみの内にある人々のため/世を去った人びとのため/に共に祈り、聖餐では第一パテン・チャリスから第四パテン・チャリスまで四カ所に別れて陪餐した。聖職団と礼拝奉仕者によるプロセッションがあり、聖歌隊が奉仕。普段少人数で礼拝を捧げている方々にとって感慨深いものであったのではないだろうか。
 礼拝後、ミャンマー友の会のアピール、教区小学生・中学生各々の夏期キャンプのアピールがあり、散会した。
 今年は礼拝後、特別のプログラムは持たれなかった。
 個人的に少し残念に思ったことは、同じ丸太町通にある距離的には近くにある京都聖マリア教会からの出席が非常に少なかったこと、年に一度、少人数の教会の方々が共に大勢の礼拝を捧げられる機会。その構成する一員であることを一人ひとりの方が意識して集まって下さればもっと嬉しかっただろう。
   (マリア 浦地恭子)


ヨシュア岩本翔太

被災地より現地レポートB

 6月に入り仙台も梅雨入りが始まりました。東北の梅雨は京都と違い、肌寒くTシャツ一枚で過ごすにはすこし寒いです。
 そんな中、6月9日に「いっしょに歩こう!プロジェクトしんちベース」の開所式が行われました。あいにくの雨でしたが町議員、新地町仮設住宅の入居者、教会関係者など約50名もの人が参加されました。新地町は宮城県と福島県の県境に位置する海に面した町です。この町には東北教区磯山聖ヨハネ教会があり約10名の信徒さんで毎週礼拝が守られてきました。震災時、町の中心部が津波により甚大な被害を受けましたが、教会は高台にあったため津波の被害にあわず町の人が避難した場所ともあり教会と町の関係は密接にあります。
 このベースではオープンスペースとして毎日活動し、町の方の集会場のような場所として活用される予定です。


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