月報「コイノニア」
2012年7月号 No.347


《聖書を飛び出したイエス様・その44》
  神様を感じて

ベサニー・ハミルトン著『ソウル・サーファー』から

司祭 ミカエル 藤原健久

「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。」
                   (ヨハネ3・8)

 サーフィンをしている最中に、サメに左腕を肩から食いちぎられた、13歳の少女の自伝です。今年、俳優たちによって再現された映画も公開されました。
 今や、全国的に有名になった、わが教会の某青年信徒が、堅信を受けるきっかけになった本です。
 九死に一生を得、不屈の精神でサーフィンの世界に復帰し、活躍する彼女の姿は、高尚な人間性を讃える物語として、私たちに大きな感動をもたらします。けれども、この本は、実は高度にキリスト教の物語でもあるのです。熱心なクリスチャンである彼女と彼女の家族は、日々の生活に於いて、祈りと教会の交わりに支えられています。事故が起こったときには教会のメンバーにお祈りをお願いし、伝道師は聖書のメッセージを通して家族を慰めました。彼女がこれからの生き方に悩んだ時には、教会のボランティアに参加し、そこでの出会いによって力付けられました。「なぜこのようなことが自分の身に起こったのか」と、神様の意志が分からなくて悩むときもありましたが、今ではすべてが「平和の計画」(エレミヤ29・11)であると受け入れ、そして、次のような言葉で本を締めくくっています。「私は、神様のプランの一部であることを誇りに思う。そして、このサーファー少女に、ささやかではあるけれども、神様に誇りに思ってもらえる行いが出来ればと願っている。」
 さて、前述の某名物信徒に、この本を読んだ感想を聞いてみました。それは、「キリスト教って格好いいー(正確には『かっけー』)!」でした。確かに彼女が語る信仰の姿勢は、とても前向きです。映画にも出てきましたが、彼女の属する教会の礼拝は、バンドが演奏し、会衆は手拍子で賛美する、華やかなものです。日本における私たちの礼拝とは、少々趣が違います。日本では、もっと内省が重んじられ、罪の懺悔が大切にされるように思います。日本人は、様々な課題に対して、じっくりと思い巡らす傾向が強いような気がします。「考える」ことは大切ですが、それだけだと、どうも内向きで、うつむき加減になってしまいがちです。お坊さんの小池龍之介さんは『考えない練習』という本の中で、考えてばかりで思考が暴走してしまうときには、五感を積極的に働かせると良い、と言っておられます。頬にあたる風を感じる、暖かい日差しを感じる、小鳥のさえずりに耳を傾ける、美しい花を見つめる、このように「感じる」ことは、「考える」ことによって内向きになった心を、外向きに、前向きに、上向きにしてくれるものなのかもしれません。
 この本の作者、ベサニーは、毎日のようにサーフィンをしています。家族からは「人魚のようだ」と言われるほど、水の中で活き活きと動いています。彼女はいつも、体全体で水を感じているのです。彼女は、自分を包む水の中に、神様を感じていたのではないでしょうか。体で神様を感じているからこそ、彼女の信仰はあれだけ前向きで、積極的なのかも知れまい、と思いました。
 私たちの信仰は、ついつい「頭でっかち」になりがちです。頭を使って学び、考えることはとても大事ですが、同時に、神様を感じることにも、努めたいと思います。 


ヨシュア岩本翔太

被災地より現地レポートC

 7月も終わりにさしかかり梅雨も明けた仙台は京都ほど湿度は多く無いですが日差しが暑い日々が続きますが、夜は風も出て過ごしやすいです。
被災地の学校は夏休みにも入り様々な子どもプログラムを予定しています。
 そのうちの一つである「小学生夏休み宿題お手伝いプログラム」が夏休みに入ってすぐの7月21日にカトリック教会カリタスジャパン石巻ベースの一室をお借りして開催しました。
 このプログラムは地域の子ども達を集め、プログラム名の通り夏休みの宿題をお手伝いするプログラムです。春休みにも同じような企画をしましたが、今回は外国人の子どもに限らず地域の子ども達も大勢来てくれ、終始にぎやかな勉強会となりました。はじめ、いろんな学校のいろんな年齢の子ども達が同じ部屋で勉強をするというのは恥ずかしがっていましたが、勉強だけではなく休憩時間のお菓子タイムや外での遊びを通してみんな仲良くなり、帰る頃には「次はいつやってくれるの?」などという質問も飛び交うまででした。
 このプログラムは仙台を含め地域の方を中心に続けて行くべきものだと感じ、またプログラムを継続させる為にもまずは定期的にこれをプロジェクトでオーガナイズする必要があると感じました。


7月号その2へ