月報「マリアコイノニア」
1998年8月号 No.180



「主の祈り」

牧師 司祭 イザヤ 浦地洪一

 イエスはある所で祈っておられた。祈りが終わると、弟子の一人が イエスに、「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」と言った。
 そこで、イエスは言われた。
「祈るときには、こう言いなさい。『父よ、御名が崇められますように。御国が来ますように。わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。わたしたちの罪を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。わたしたちを誘惑に遭わせないでください。』」
         (ルカによる福音書11章2節〜4節)

1.主の祈りの意味

 弟子の一人がイエスのところへ来て、「祈りを教えて下さい」とお願いしました。これに対してイエスは、「祈るときには、こう祈りなさい」と教えたのが、「主の祈り」です。わたしたちはいつも主の祈りを唱えていますし、暗記もしていますが、その内容や意味について、考えてみたことがあるでしょうか。 主イエスが教えた「主の祈り」は、マタイ福音書の6章9節から13節と、ルカ福音書11章2節から4節までの二ケ所に記されています。この二つの記事を比較してみますと、少しずつ違いがあります。それぞれに伝承の仕方が違ったと思われますが、いずれも、イエスが教えた祈りにさかのぼることができると言われています。
 さらに、このイエスが教えた祈りは、旧約聖書の時代からユダヤ人たちが持っていた祈りを受け継いでいますが、同時に、イエス独特の祈りでもあります。

2.子が父に呼びかける

 それは、先ず、「父よ」という最初の呼びかけにあります。神に対して、「父よ」と呼びかけることができる方は、そのひとり子であるイエス以外にありません。ただ、神と人間の関係を擬人化して、人間の父子の関係に当てはめたというだけではありません。父である神の、実子として、当然のこととして、「お父さん」と呼びかけているのです。そして、わたしたちが洗礼によって、キリストに繋がる時、わたしたちも、また、実子に対して養子として、「父よ」と呼ぶことが許されているのです。

3.神さまとの関係が正されることを祈る

 「御名が崇められますように。御国が来ますように」と、神とわたしたちの関係が正しくされることのために祈れと教えます。マタイでは「御心が行われますように、天におけるように地の上にも」という言葉がありますが、ルカではこれが抜けています。
 「聖名が崇められますように」は、神が人々によって正しく礼拝されますようにという意味です。礼拝をするということは、ほんとう価値あるものを価値あるものとするということです。たとえば、オリンピック競技において優勝した者は、表彰台の一番高い所に立たされて、競技場に溢れる観衆から賛美を受け、栄光が讃えられます。二番目の人が一番上に上がったり、敗者が表彰台に上がったりすると観衆は落ち着きません。それは、価値ある者が価値あるものとされていないからです。
 世界中のすべての人々から、神は神として崇められ、賛美され、礼拝されることを、そして、わたしたちは、正しく礼拝する者となることを願わねばなりません。
 次の「御国が来ますように」と言う祈りは、神の支配が、世界中に行き渡りますようにという願いです。神は宇宙のすべてを創造された創造主です。わたしたち自身を含めて、この世のものは、すべて神によって造られた被造物です。ところが、被造物は、創造者の意志を無視し、創造主の支配を拒んでいます。
 「ピノキオの冒険」というイタリアのお話をご存知だと思います。人形作りのおじいさんジェッペットに作られた操り人形はピノキオと名付けられ、心を持ったとたんに、自分を作ってくれたジェッペットじいさんの注意や心配を無視して飛び出してしまいます。そして、たびたび危険な目に会うという物語です。
 わたしたちも神によって造られ、創造者の御心に従って生きることが求められていますが、自分で考え、判断し、自由が与えられたために、神のもとから飛び出し、わがまま勝手な生活をしています。神は、神の支配のもとに「帰れ、帰って来い」と呼びかけ続けています。わたしたちを造り、愛し、生かして下さる神支配がこの世の隅々まで徹底しますようにと祈りなさいと教えられます。
 この二つの願いが実現された時、わたしたちに本当の幸せがもたらされます。

4.今日一日の食料を

 次に、わたしたち自身のことを祈ります。
 「わたしたちに必要な糧を毎日与えて下さい」と祈れと教えられます。マタイでは、「わたしたちに必要な糧を今日与えてください」となっています。わたしたちが生きていくのに必要な食べ物、食べ物だけではなく、衣食住を今日一日の足りる分を与えて下さいと祈りなさいと教えられます。イエスが教える祈りの中には、明日の分も、明後日の分も、一ケ月先の分も、一年先の分も、一生涯心配のいらない衣食住を保証して下さいと祈れというようには読めません。今日一日、日毎、日毎必要な分を願いなさいと教えています。現在の地球上では、一部の人々によって食料やエネルギーが消費蓄積され、一方では、一日一食の食事さえ得られない飢餓と貧困に苦しむ人々がいることをもこの祈りの中にいつも覚えなければなりません。

5.罪を赦してください

 さらに、「わたしたちの罪を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから」と祈れと教えられます。
 ある時、イエスは、弟子たちに、このようなたとえを語られました。
「あるところに王様がいました。その王様は、家来たちに貸したお金の清算をしようとしました。会計係の家来たちに命じました。ところが一万タラントンもの借金をしている家来が王様のところに連れてこられました。一タラントンは、六千ドラクメ、一ドラクメは一デナリオンと同じで、一デナリオンは、労働者の一日の日給にあたります。一万タラントンが、現在ではどれくらいになるか、計算してみて下さい。積もり積もった借金ですが、家屋敷、持ち物全部を売って、自分も妻も子どもも、奴隷に売ったとしても王様にこの借金は払えません。この家来は、王様の前に「何とかして払いますから、どうか待って下さい」と泣いて頼みました。王様は、憐れに思って、この家来を赦し、さらに一万タラントンの借金を帳消しにしてやりました。この家来は喜んで家に帰りました。
 その途中で、その家来は、一人の友だちに会いました。そして、この友だちに百デナリオンのお金を貸していることを思いだしました。そこでその家来は、友だちの首を締め、「さあ、借金を返せ、今すぐ返せ」と迫りました。その友だちは、「もうちょっと待ってくれ、すぐに返すから」と言って頼みました。ところが、この家来は、これを承知しないで、この友だちを連れて行って、牢屋に入れてしまいました。その仲間たちは、あまりにもひどい仕打ちに心を痛め、王様に報告しました。すると、その王様は、「とんでもない家来だ。お前が借金を赦してくれと涙を流して頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのではないか。わたしがお前を憐れんでやったように、お前も友だちを憐れんでやるべきではなかったのかと言い、王様は怒って、この家来を牢役人に引き渡しました。」(マタイ18章21節-35節)
 わたしたちは、神さまに対して、数えきれないほどの罪を犯し、六千デナリオンの一万倍以上の負債を負っています。わたしたちは清算を迫られると、何をもってしてもこれを償うことができません。このようなわたしたちは、神さまにお願いして憐れみを乞うばかりです。にもかかわらず、ちょっと負債を持つ隣人に対して絶対にゆるせないと息巻いています。
 まず、神に赦されている罪(負債)の大きさを知らなければなりません。わたしたちが神によって、赦されていることを知ったならば、自分に対して隣人が負っている負債を赦すことができる。神さまとの関係と隣人との関係が、わたしたち一人一人の上で交差するのです。

6.誘惑に勝たせてください

 最後に、「わたしたちを誘惑に合わせないで下さい」と祈ります。これは、誘惑が来ないようにと祈るのではなく、誘惑が来ても負けないようにと祈ります。荒れ野において、主イエスが40日40夜、サタンと闘い、誘惑に打ち勝たれた姿を思い出して下さい。

7.祈りに生き方を合わせる

 さて、主の祈りの解説が長くなりましたが、主の祈りの意味をよく理解し、心を込めて、この祈りを唱えたいと思います。主の祈りは、呪文でもなければ、言葉そのものに御利益があるわけでもありません。主イエスが、弟子たちに、そして、わたしたちに教えられたこの「主の祈り」には、祈りの神髄がすべて含まれ、完成された祈りだと言われています。この祈りには、非常に高い水準の信仰が求められています。そんな祈りにはついていけない、祈れないというのではなく、わたしたち自身の祈りを主の祈りにまで高めたいという願いが大切です。また、日常の生活も、主の祈りに適うよう少しでも近づきたいと思います。
(7月26日 聖霊降臨後第8主日 聖餐式説教から)


「主教会教書」

「キリストにあって親愛なる兄弟姉妹に平和の挨拶を送ります。
 去る5月26日から28日まで、開催された日本聖公会第51(定期)総会において、女性にも司祭への道を開くという議案が上提され、これが可決されました。ここに至るまでには、十年以上にわたって公会の様々なレベルで、女性司祭に関する議論が、それぞれの信仰的良心にもとづいてなされてきました。そして、今回の決議がなされたとは言え、女性司祭について反対あるいは考えを決めかねている聖職・信徒はなお相当数あります。換言すれば、日本聖公会は女性司祭に関しても多様な考え方を内に抱えつつ、これからも歩みを続けることになるでしよう。しかしながら、私たち主教団は、このことによって分裂が生ずるようなことがあってはならないと心から願っています。一致こそ主キリストのみ心なのです。「父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。」(ヨハネ17章21節)
 女性司祭に賛成の人たちも反対の人たちも、聖公会の信仰にもとづいているのであって、これまでと同様、日本聖公会の中で共に神の宣教に召されている、公会(キリストの体)の大切な部分なのです(ローマ12章5節)。
 今総会は、この問題での日本聖公会の分裂を避けるため、「女性司祭実現に伴うガイドライン」を可決しました。このガイドラインは、女性司祭の問題に対して賛成の者にも反対の者にも等しくそれぞれの信仰の良心を保証し、自己の信仰の良心に反した行動を強制されないことをうたっています。また、このガイドラインによってもなお問題が生じた時に対処するようにと、「女性司祭按手に伴う諸問題を取り扱う調整委員会」をも立てました。
 しかし、女性司祭の誕生という日本聖公会始まって以来の、全く新しい事態の中で起こってくるであろう様々な問題を、この「ガイドライン」および「調整委員会」で完全に解決できるとは考えられません。意見の相違をこえて、なお一致を保っためには、最後は牧師と信徒との相互信頼関係が不可欠であり、ことに私たち主教団は、主教の牧会の職務の重要性を深く自覚しています。
 「一つのパンが裂かれ、皆がこれに ともにあずかることは、主キリストとの一致のしるしであるとともに、全公会の一致のしるしであり、また全人類の主にある一致への希望である。」(祈祷書160頁)
 私たち主教団は、日本聖公会に属する全ての人々が共に聖餐(サクラメント)にあずかり、聖霊の導きを求めつつ主にある一致を目指して歩むことを心からお勧めします。

救主降生1998年6月18日

日本聖公会主教会議長
東京教区主教 ヨハネ 竹田 眞
  (以下各教区主教署名)
        (省  略)  


七月度教会委員会報告

7月5日、礼拝後 7月定例教会委員会が開催され、次のようなことを協議しました。
@報告事項
・今年の敬老の日の集いは、9月20日礼拝後に行う。
・青年会では7月16日、吉村宅において「青年の集い」を行う。また、第二主日礼拝後の「聖書の集い」にできるだけ参加する。
・ジュニアチャーチでは、6月21日、ボーリング大会およびゲーム大会を行った。8月22日(土)〜23日(日) に芦生でキャンプを行う。
・日曜学校では、7月19日(日)〜20日(月)、北小松においてキャンプを行う。参加者は百人以上になる予定。
・マリアコイノニアは、外部献金にご協力いただいた方にも発送を始め、発行部数が大幅に増えたため、今月号から印刷を外注することにした。
A6月の会計報告
今年度の上半期を終え、年間予算に対する収入比は42%、支出比は38.6%。
B建築実行委員会報告
設計事務所2社から基本設計案が提出され、礼拝後信徒の方々に展示している。さらに1社に絞るため、7月11日に二社の担当者を招き、さらに説明を受けることにした。8月の教会委員会において結論を出し、9月の受聖餐者総会において承認を求める。建築会計は、6月献金額3,268,558円(内外部献金980,006円)、支出(通信事務費等)292,550円、6月末建築資金有高102,061,747円。
C臨時受聖餐者総会を招集
9月13日(日) 礼拝後、議題・「礼拝堂建築の基本計画(建築計画と資金計画)および設計事務所決定について承認する件」
D野外礼拝について
10月18日(日)に芦生キャンプ場において、野外礼拝を行う(予備日・10月25日(日))。貸切バスの手配が時期的に大変難しいので、自家用車に分乗して行く予定。
E日曜学校の校長について
宮西良子先生が逝去された後、空席になっていた日曜学校の校長について、菅原さと子さんに委嘱することにした。


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