月報「マリアコイノニア」
1998年7月号 No.179


「 主 の 平 和 」

牧師 司祭 イザヤ 浦地洪一

 第102回京都教区婦人会大会の主題は、「主の平和」であります。
 今日は、一日中、このテーマについて考えて頂きたいと思いますし、来年の第103回婦人会大会まで、ずっと、このテーマについて考え続けていただきたいと思います。
 みなさんは、「平和」という言葉を聞くと、一番先に何を思い出すでしょうか。
どういうことを頭に想い描くでしょうか。一度、目をつぶって考えてみてください。
 戦争のない社会、みんな仲良く、争いごとがない、すべての人々が愛し合って生きる、などなど、そういう言葉や姿を思うのではないでしょうか。 しかし、ほんとうに、平和とは何でしょうか。人間にとって、本当の平和というものがあるのでしょうか。
 人間の歴史の中で、戦争については、いっぱい、語られたり、書かれたりしています。そこには、悲惨、残酷、恐怖、絶望、苦悩など追いつめられた人間の姿がありますから、詩や歌、文学、絵画、映画などでいつも取り上げられてきましたが、これに比べて、平和については、あまり取り上げられていません。人類の歴史は、戦争の歴史だといいますが、平和の歴史だとはいいません。
平和とは、失われて初めてその尊さがわかるというようなものであって、平和に暮らしているときには、人は、ことさらにそれに思いを馳せることはなく、せいぜいが、平和でない、戦争の中で苦しんでいる人々を見て、他者の不幸との比較で、自分の平和を自覚するようなものです。
 ジャック・プレベールという人は、「真実の平和、それは他のところで戦争が起こっているときのことである」と言っています。皮肉っぽいこの言葉の中に真理が含まれています。
 わたしは、かつて、日本聖公会法憲法規という、わたしたちの教会の規定を改正する委員をやったことがあります。ある委員会の席で、一人の委員が質問しました。この法規の中にある「教会の平安進歩のため」という言葉は、どういう意味なのですかと。かつての法規の中には、この言葉がたくさん使われていました。「教会委員の職務は、これこれ、これこれ、そして最後に、その他、教会の平安進歩に関すること」というふうに書かれていました。教区会の職務にも、これこれ、これこれ、その他教区の平安と進歩に関すること、というふうに。それだけではなく、教会用語として、聖公会の性格をもっともよく表している言葉として、会話のなかでの使われる便利ないい言葉でした。
 ところが、その委員の人が言うのには、「意味がよくわからない。平安があるところには進歩がない、進歩があるところには平安がない、どちらか一方ならわかるが、平安と進歩を同時に得ることはできないのではないか。」と問われて、この言葉の矛盾に気がつきました。意味のないあいまいなところが聖公会らしいのだとかなんとか言っていましたが、法規の改正ではこの言葉は使わなくなりました。
 さて、イエスさまは、平和に対して、どうだったのでしょうか。イエスさまは、そんな、あいまいな、漠然とした、絵に描いた餅のような「平和」や「平安」を求められたのでしょうか、わたしたちに与えようとなさったのでしょうか。
 マタイ福音書の10章34節以下にこのように記されています。
 「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和 ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは敵対させるために来たから である。
  人をその父に、
  娘を母に
  嫁をしゅうとめに。
 こうして、自分の家族の者が敵となる。
 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息 子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担って わたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。
  自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、 かえってそれを得るのである。」(34-39)
 イエスさまは、わたしがこの世に来たのは、あなたがたに平和をもたらすためではないのだとおっしゃる。反対にあなたがたの中に剣を投げ込むためだと言われるのです。戦争や争いごと、いさかいを起こさせるために来たのだと言われる。 イエスさまと出会うことによって、息子と父親が対立し、母親と娘が、嫁と姑が、家族の者が敵となると、まことに恐ろしいことを言われます。
 わたしごとを言って申しわけありませんが、わたしはそのことを、そのまま体験したことがあります。
 大学を卒業する前の夏休みに、学校を卒業したらどうするのかと、父に聞かれました。神学校へ行きたいと思っていると言いますと、父は怒り、悲しみました。わたしの家族にはクリスチャンはいませんでしたし、父は小さな商売をしていて、貧乏でした。わたしは長男で、長男が学校を卒業すると少しは家計を助けてくれると思っていたのでしょう。牧師とか教師とか「師」のつく仕事にはつくな、平凡なサラリーマンがいいと言いました。その日から、親子でののしり合い、口をきかなくなり、親子の縁を切る、勘当だ、出ていけと言って、日を切られました。父は、わたしが通っている教会の牧師に会いに行き、うちの息子は、牧師になんかになれない、いかに悪やつかと6時間ねばって帰ったと後で聞きました。教区の主教さんの所へも出かけて行って、息子の悪口を一杯言って、神学校へ行くことを認めないようにと説得したそうです。うちは、仏教だと、毎朝、枕元で、般若心経を唱え始めますし、毎日、毎日、すごい努力をしていました。最後には、教会の牧師も、主教さんも、君のお父さんの気持ちもわかる、最後は、君次第だとか何とか言って、見放されてしまいました。怒鳴られたり、泣きつかれたりしている時は、じっと辛抱していられるのですが、夜中に目をさますと、隣の部屋で、父がやはり眠れないのか、真っ暗な中で、布団の上で、腕組みをして、いつまでも、考え込んでいる姿を見るのは、ほんとうにつらいことでした。なんでこんなにまでして、親を苦しめなければならないのか、家族を苦しめなければならないのか、そんなにまでして、神学校へ行かねばならないのかと、母や妹、弟たちの顔を見たことを覚えています。
 わたしが、神学校へ行きたいとねがうことは、静かな平凡な生活をしていた家族の生活に、剣が投げ込まれた。
 「わたしは敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁を しゅうとめに。こうして、自分の家族の者が敵となる。わたしよりも父や母を 愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、 わたしにふさわしくない。また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、 わたしにふさわしくない。」
 ずっと、後になって、この聖書の言葉を知りました。
 わたしが、神学校へ入ってから、しばらくして、父と母は洗礼を受け、クリスチャンになりました。妹たちも洗礼を受けました。司祭になって、父に初めて聖餐を授けたときの感動は、今も忘れることは出来ません。その父は10年前に亡くなりました。
 神さま、神さまと、言っていれば、平和になれるとか、絵に描いた餅式の平和がやってくるというようなものではないと思います。キリストに従う者、ほんとうのクリスチャンになろうとすればするほど、反対に、人々との関係は平和や平安ではなくなります。
 では、わたしたちにとって、平和とは何でしょうか。
 弟子たちがユダヤの役人たちの手を恐れて自分たちの家に隠れ、戸や窓の鍵をかけて、息をひそめて隠れている所へ、復活のキリストが現れて、弟子たちの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われました。ヨハネの福音書によると、二回も続けて言われました。そして、彼らに息を吹きかけ、「聖霊を受けなさい。そして、あなたがたを遣わす。」と言われました。
 この時に、キリストが言われた「平和」とはどういう平和なのでしょうか。
 もう一度最初の問いに戻りますが、「平和」というのは、どういう状態なのでしょうか。
 聖餐式の中で、平和の挨拶を交わします。司祭は、「主の平和が皆さんとともに」と呼びかけ、会衆は、「また、あなたとともに」と応え、さらに、司祭は「平和の挨拶を交わしましょう」と言います。すると会衆は、「主の平和」と言って、挨拶を交わします。口語の祈祷書になって初めて出てきたのではなく、実は、文語の祈祷書にもこの言葉はありました。主の祈りのあと、司祭は、パンを裂いて「主の平安つねになんじらとともにあらんことを」と言い、会衆は、「なんじの霊とともにあらんことを」と応えました。
 わたしは、「主の平和」という時の、「主の」という言葉が大切だと思うのです。「キリストの平和」と言う意味です。それは、わたしたちにとって、平和とは、キリストがともに居るということだというのです。まわりの状況どのよな状態であっても、キリストが共にいてくださるという状態が「主の平和」の姿だということです。
 反対に、どんなに穏やかで、仲良しの集まりで、争いのない姿であっても、キリストが共にいなければ、「主の平和」とはいえません。
 愛しい人が、かけがえのない大事な人が、心の中を占領し、わたしを支配する。寝ても、覚めても、あの方のため、あの方が、喜んでくれることなら何でもしたい、あの方のことを考えるとつい顔もほころびてしまう。あの方について語り出すと止まらない。あの方の息を感じる。顔に耳に、体中に息が吹きかけられるのを感じる。死んだようになっているわたしたちも、息を吹きかけられると生まれ変わる。
 わたしちの求める平和は、絵に描いた餅のような平和ではありません。もっともっと具体的な、内容を持ったものです。
 「主が、あなたと共に、いつも一緒にいてくださいますように」
 「あなたが、主とともに、いつも一緒にいてくださいますように」
これが、わたしたちの相言葉であり、平和を願うわたしたちの願いです。

(6月6日、聖アグネス教会において行われた第102回京都教区婦人会大会聖餐式説教から)


宮西良子先生を偲んで その3

京都教区教区報「つのぶえ」(5月号)に掲載された宮西良子先生の逝去の報を読まれた東京教区の前田良彦司祭(東京教区)から次のようなメールが寄せられました。

京都教区報を読んで

 昨日常置委員会があり、教区事務所で京都教区報を読んでいましたら「宮西良子先生さようなら」の記事があり、亡くなられたことは聞いていたのですが、改めて残念な思いにかられました。今から十年前に英国でGFSの世界大会があり宮西先生と一緒に参加したのですが、会場のウェールズに行くバスの中で作務衣風の衣装を纏った先生は、アフリカから参加した女性と一所懸命京都弁で話し合っておられました。私は内心「日本語じゃ通じないのに!」と思って見ていたのですが、何とそのアフリカの女性の家族構成から、今抱えていることまで私に解説して下さったのです。私は拙い英語でその女性に質問したら大体宮西先生のお話とあっていました。いや、驚きました。先生は国際会議の期間中、ずっと京都弁でした。何の不自由もないように。私は聖霊の導きだと本当に思っていました。何とも不思議なことでした。宮西先生の解説は時には外れもありましたが、楽しい旅になったと今でも思っています。「つのぶえ」の今西先生の御写真はちょっとすましていらっしゃいますが、私にはお顔いっぱいに笑っていらっしゃるお顔を思い出します。お葬式ににも出られないことは残念でしたが、改めて「先生さようなら」と思いました。不思議な人でした。


お詫びと訂正

コイノニア六月号に掲載させていただいた、外部募金にご協力いただいた方の名簿が手違いにより誤っておりました。お詫びして訂正いたします。改めてここに礼拝堂建築にご協力いただいた方のご芳名を掲載させていただきます。

(敬称略)青木健次、青木鈴子、秋浜友子、浅井邦茂、浅尾美都子、阿佐ヶ谷聖ペテロ教会、芦田恵一、芦屋聖マルコ教会、東康代、阿部正敏、天野和幸、荒井俊之、荒川昌佳、有江道、有田みち子、粟津二郎、飯尾潤、飯田筑紫、猪飼史・良子、石黒媛子、石黒美知子、石田麻里子、石田康直、石野真、市川信也、居附邦一、伊藤信義、井上公人、井上大介、井上哲士、井上博之、稲生耕一、いのちの電話、祈りの家教会、今井秀典、ユキ子、岩佐昴、岩野洋、植田直行、上田英子、上西艶子、上西啓之、上西泰之、上羽たつえ、上原博史、上原真人、上総宜高、紫香子、植良子、内田望、智子、内宮美都子、江川、大倉彰、大倉治彦、大倉博、大倉嘉伸、大阪聖三一教会、大角正幸、大谷寿子、大槻敦子、大槻宏規、大阪聖ヨハネ教会、大津聖マリア教会、岡清史、岡田、岡田高、智子、紗知、緒方伝治、岡田正男、尾上、岡村恭之、岡村信夫、小川恵子、奥谷務、奥村浩之、育子、奥本香、C・オッカー、恩田一男、香澄、香西朗、香西和久、笠井高士、香西洋、梶田香寿子、柏聖アンデレ教会伝導所、風英子、片岡霊恵、片山敬子、葛飾茨十字教会、勝田亨、桂久夫、金井秀子、金山輝次、可児千代子、金田正信、、Dr.H.P.Kamerling、樺島麻歩子、神谷澄江、神谷尚孝、神谷淑子、萱野今日子、軽井沢ショー記念堂、河合輝哉、河合雅哉、川口 弘二、河崎素江、川島弘治、川島松男、川野辺裕之、河村隆行、河本茂樹、キープ協会理事長・小林茂、貴志真一、木島睦子、岸本弘子、北出充由、北川香、北野千恵子、中尾恒康、谷口芳枝、北村サチ子、北村泰一、初枝、北村ヨシ子、木戸精一、木下修臣、木村育三、芳子、木村智昭、清瀬浩子、睦、由紀子、京都朝祷会、窪田洋子、小方泰子、窪田洋子、黒田一郎、河野恭子、河野通吉、河野泰子、神戸聖ミカエル教会、小島敏夫、後藤信男、小林久志、小林義典、駒田泰生、小夜子、小谷春夫、幹子、小山裕、財満千弓、酒井栄三、堺澄子、坂口芳、佐上善和、坂本敬、坂本誠、笹井芳樹、笹井百合子、佐々木茂、佐々木義親、佐竹力総、札幌キリスト教会、佐藤瑛治、佐藤千代子、佐藤博、沢田和子、澤田 良忠、沢辺朱美子、沢辺信之、芝野哲郎、克美、美代子、重則、社会福祉法人・博愛社、新納克廣、G.Swellen、杉下安雄、杉本美代子、杉森葉子、鈴木寿枝、ステンドグラス工房、隅田恵一、聖アグネス教会、聖心幼稚園、聖ヒルダ礼拝堂、聖マッテヤ子供の家、聖ルシヤ教会、聖ルシヤ教会・点字の会、曽我洋士、平勲之輔、高井曜子、高岡博史、高木暢子、高橋シュン、高橋文彦、高橋正人、高橋裕、高森庸江、田口桂子、竹内信義、竹中慎一、竹中万貴、竹中万智、竹中万里、田中明子、田中絵美、田中美魚、谷川久子、谷昌二、谷正幸、田村兼一、栂野充慧、次田幸司、辻賢一、津田泰造、寺島ユリ子、寺本真紀、徳山聖公会、徳山泰子、冨井隆、仲秋晴美、ナカイイクオ、永井みや子、永井モモ、中川武志、中田一久、中谷達雄、永田博嗣、中津一男、仲知子、中野耕太郎、中野泰孝、中林富雄、中堀一郎、中村栄美子、中村富雄、中山文香、中山真、波岡茂郎、並河正晃、福井、西川好子、西川嘉武、千嘉子、嘉世子、西田研、西田裕典、西村和美、西村美禮子、西脇洗一、日本聖公会島田伝導所、練馬区聖ガブリエル教会、野津ヨネ、社会福祉法人・博愛社、羽島典枝・黒田伊佐子、長谷川千里、長谷川倫、畑山博、畑野栄一、初島聖十字教会、花登光子、馬場伸子、濱本多佳子、有佳子、速水經明、彩子、林克子、林妙子、林利彦、林泰宏、林若希、祐希、原和男、原山信子、福田睦、藤井義澄、藤田太寅、藤野善臣、藤村俊一、藤本貴男、藤本圭哉、藤原勝人、淵敏一、古川潤児、古山、法用修、完子、法用祥子、細田泰子、堀江正典、堀恵美子、聡子、二三男、堀村・田鶴、松山聖ルカ幼稚園、前川四郎、前田美貴子、正井裕子、正井良和、裕子、俣野華子、町田恭子、松井隆子、松江キリスト教会、松尾アイ、松島美代子、松田朋子、松本将美、松山公三、松山聖アンデレ教会、的場光子、丸太町教会、丸山了一、三上加代、三上大貴、雄大、水野雅信、溝尻久司、三田村万美、三田村陽、マリア幼稚園緑組、皆川雅代、南紀子、箕浦真佐子、三原宏之、三宅和子、宮本信一、宮脇泰高、宗像和雄、村島文二、目白聖公会、桃山キリスト教会、森井次郎、森木滋、森田康代、森木滋、森紀旦、敦子、森山治夫、安水安子、柳井一朗、藪田定男、矢渕多佳子、山内義彦・亀山ミチ子、山岡静雄、山上操、山口知也、山崎攻一、山下和子、山田哲、山田進一、山村佳子、山本孝四郎、山本富美子、山本寿弥、三緒、山本義代子、弓削達哉、由谷文乃、マリア幼稚園母の会、横山啓信、吉野敦子、古野毅、美那子、吉村元子・中川倫子、吉村元子、米澤久仁子、和歌山聖救主教会、和歌山広基督教会、渡辺喜一郎
・・・・・・・・・・感謝!


六月度教会委員会報告

6月7日(日)礼拝後、二階集会室において、6月の定例教会委員会が開催され、次のようなことが協議されました。
@牧師から日本聖公会第五一定期総会の結果について聞いた。特に日本聖公会法憲法規改正の報告を聞き、日本聖公会法規第二章第20条(司祭志願の要件)の(1)「満二四歳以上の男であること」という箇所の、「の男」という言葉を削除する議案が決議され、これによって、女性の司祭、主教が誕生することになった。
A各会、委員会の状況について近況を聞いた。
B今年の教会の大掃除は、バザーの後、11月8日に行う。
C5月の教会会計およびランベス会議の募金状況について報告を聞いた。
D建築実行委員会から、その後の進捗状況について報告を聞き、募金会計について協議した。
E宗教法人の報告義務について状況を聞き、協議した。
F5月に雨天のため中止になった野外礼拝を10月18日(予備日25日)に行うことに決定した。


建築実行委員会報告

 コイノニア6月号でもお知らせしましたように、こちらから出した条件に合った四社の設計事務所に教会からの質問に答えてもらい、寄せられた回答から二社に絞り、さらにその二社に対して、「礼拝堂建築要項案」を示して、簡単なアイデア図を6月中に提出して頂くよう依頼しました。アイデア図は実際の設計図面とは異なったものでありますので、まず実行委員会で吟味し、どちらの業者に本設計をお願いするかを、教会委員会で決めることになっています。この課程については、信徒の皆さまに詳しく情報をお知らせすることになっています。
 8月には臨時の受聖餐者総会を開き、基本設計と設計事務所の決定の承認ができるよう予定しています。
 建築実行委員会は現在、各専門部門を担当として割り当ています。各部門は次の通り。実行委員長=谷、建築=新実・服部、募金=谷・中野、事業=宗像・続木、広報=南・吉村、会計=辻・佐々木、書記=菅原。
 各部門委員が二名ずつですので、実際に活動して行くには手薄になる可能性があるので、その都度必要に応じて部門委員という形で協力していただく方を委嘱することになりました。早速、名簿整理に必要な人員が足りず、深見康弘、深見和宏、浦地愛、金沢薫各氏に建築実行委員会広報部門委員をお願いしました。
 また、外部募金にご協力いただいた方に6月号コイノニアより、お約束通り毎月送付させていただくことになりました。これについても、名簿の整理が手間取り、関係者に大変ご迷惑をおかけしましたことお詫びいたします。また、先月号で一部住所不備により戻ってきている分があります。こちらも、もう一度チェックし直し今月号より送付させていただきます。


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