京都聖マリア教会 月報「コイノニア」
1997年2月号


私たちは主にあって一つの体
     We are One Body in Christ.

司祭 浦 地 洪 一

「わたしたちは、キリストの体であり、また、一人一人はその部分です。
皆一つとなるために洗礼を受け、皆一つの霊を飲ませてもらったのです。」
         (第一コリント十二章二七、一三節)

 主にある兄弟姉妹へ
 二月十二日から、大斎節に入りました。大斎節とは、復活日(今年は三
月三十日)の前、日曜日を除く四十日間を言います。この期間は、主イエ
スが宣教活動に入られる前、四十日四十夜、荒野において断食をし、悪魔
に試みられ、誘惑に打ち克たれたことを記念します。私たちは、この四十
日間を祈りと克己の時として有意義に過ごしたいと思います。毎日、少し
でも聖書を読み、神さまと主イエスのことを想い、そして、祈りの時を少し
でも多く持つように努めたいと思います。
 去る二月十六日開かれた京都聖マリア教会受聖餐者総会において、一
九九七年度の目標として、「心を一つにする」というテーマが掲げられまし
た。この一年間、冒頭に挙げた聖書のみ言葉を標語として、心にとめなが
ら歩むことになりました。
 「心を一つにする」ということは、すばらしいことですが、ひとつ間違えると
恐ろしいことになります。一致を強調しすぎると、いつも同じ考え、同じ思想
でなければならないということになり、一致を乱すものを排除してしまう全
体主義や統制主義になってしまいます。
 教会とは何かということについて、パウロは、次のように教えています。
 「神は、またすべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべて
のものの上にある頭として教会にお与えになりました。教会はキリストの体
であり、すべてにおいて満たしている方の満ちておられる場です。」(エフェ
ソ書一章二二、二三節)
「体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くて
も、体は一つであるようにキリストの場合も同様である。‥‥‥‥あなたが
たは、キリストの体であり、また、一人一人はこの部分です。」(第一コリント
一二章十二、二七節)
教会は、神がお立てになったもので、人間が集まって勝手に作ったもの
ではありません。教会は、キリストの体です。キリストはその頭です。そし
て、私たちは、洗礼を受けることによって、キリストの体につながります。一
人一人が、その体につながっている肢体です。手や足、耳や目、鼻や口で
す。それぞれが、大切な部分であって、あなたは要らないという部分は一
つもありません。むしろ、弱い所を補い合い、痛む所を助け合って、体の各
部分は構成されているのです。
 人はそれぞれに神さまから頂いた賜物を預かっています。その賜物は一
人一人皆違っています。これを生かしながら、キリストの体につながってい
て一つなのです。教会が心を一つにするというのは、このようにキリストに
あって、多様性を持った一致を求めていくことだと思います。
 教会は、生きて働く生命体です。み言葉と聖餐によって魂が養われ、心
の栄養が補給され、成長し続けます。パウロの言葉をもう少し引用しましょう。
「キリストにより、体全体は、あらゆる節々が補い合うことによって、しっか
り組み合わされ、結び合わされて、おのおのの部分は分に応じて働いて体
を成長させ、自ら愛によって造りあげられていくのです。」(エフェソ四章一
六節)
私たちの教会にとって、今年は、本当に大切な一年になります。キリスト
の体である教会が見える形で表わされる「礼拝堂」を建てるために、いろ
いろなことをみんなで決めていかねばなりません。そして、私たちの手で
建築資金をささげていかねばなりません。このことを通して、私たち一人一
人の信仰が証しされることになります。
 今こそ、教会とは何か、信仰とは何かをしっかり学び、それぞれが賜物を
十分に生かし、感じたことや考えたことを徹底的に話し合い、また他を理
解することに努め、赦し合い、愛し合い、そして、成長しようではありません
か。どんなことがあってもキリストの体にしっかりと結びついて、主のみ栄
えをあらわす教会になりたいと心から願います。
 ハレルヤ、主とともに行きましょう!


速報
信徒総会開催
礼拝堂建築に熱い議論!

 二月一六日、一九九七年度の受聖餐者
総会が開催されました。議案七件の内六
件は、総会資料に基づく報告と誤植等の訂
正でほぼ終わりましたが、議案Oの新礼拝
堂の建築については、議論が交わされた
結果、この議案を建築委員会の努力目標
として取り扱うことになりました。議案提案
に至った経過を含め概要をお知らせします。

経過

建築委員会は、「考える会」での議論を集約し、建築要項をまとめました。
一読されるとおわかりなように、礼拝堂の在り方・基本について述べた「は
じめに」にはいわば理念であり、続く「礼拝堂」、「玄関および前室」、「小礼
拝堂」、「納骨堂」についても、その意味や構造、設備、役割、使途などが
抽象的に述べてあります。これは、叩き台とはいえ建築委員会の具体案
が先行して、できるだけ多くの信徒のコンセンサスを得る妨げになっては
という配慮によるものです。もっと卑近にいえば「私達の知らない所ですべ
て決まってしまっている」という、誤解を生まないようにしたい建築委員会
の基本姿勢の表れでした。

理念から基本設計へ

 この理念を具体化するためには、信頼できる設計者を選び協議を重ねな
ければなりません。幸い、複数の設計者から礼拝堂建設の設計の原案を
無償で書かせてほしいという申し出がありますので、建設要項に敷地面積
や建築費などを加えた最低限のガイドラインを提示し、各社から外観のラ
フスケッチと構造や配置が分かる簡単な図面を提案してもらい、各設計者
の実績を勘案しながら、外観のイメージや配置に対する教会員のコンセン
サスが得られる設計者を、選定したいとおもいます。そして、設計者が決ま
れば、具体的な要望について協議を重ねながら、最終案を総会に諮って
決定することになります。このようなコンペ方式採用の背景には、教会内に
は礼拝堂に対する多様な意見があり、これを建築委員会が具体案という
形で集約するのは困難、施主と設計者という関係で割り切って議論を重ね
る方が、意見の集約が容易ではないかという判断もありました。また、外観
のデザインや大まかな配置についても、複数の建築家のアイデアを比較
する方が分かりやすいのではないかと、教会委員会では判断し、礼拝堂
建設に向けての建築委員会の活動方針を次の議案としてまとめました。

議案O 
新礼拝堂の建築について

 建築委員会は、「礼拝堂建築について話し合う会」から集約した「礼拝堂
建築要項」を基に、建築条件および資金計画等を勘案しながらさらにこれ
を煮詰め、設計事務所の選定を行う。さらに具体的な建築計画案が出来
上がるまでの各段階で、教会員の意見を聞く機会を多く設け、最終的な決
定は、受聖餐者総会で行う。

総会では、建築委員会の経過報告、議案及び建築要項の説明が新実委
員長から行われました。この原案に対して、*「設計事務所の選定を行う」
となると、この要項が具体的な原案となってしまう。*設計事務所の選定
についてはコンセンサスが得られていないので、この議案は努力目標とし
たい。*建築委員会内でさえ意見が分かれている。議案及び建築要項は
時期尚早などの意見が出されました。
以上のような議論を経て、1、この議案は建築委員会の努力目標とする。
2、「設計事務所の選定を行う」を削除する。3、要項を原案通り承認 4、
要項そのものに反対 で裁決にはいりました。その結果1、三六票 2、一
三票 3、〇票 4、については裁決当時六〇人の出席総数から判断して
一、を上回る可能性がないため挙手を求められませんでした。
 以上が総会の要旨です。紙面との関係で議事録を全てそのまま掲載で
きなかったことをご了承ください。建築委員会ニュースに代わりコイノニア
で建築関係のお知らせをすることになっていますので、総会での問題点に
ついては、建築委員会で検討を加え、出来るだけ早い時期に見解を出し、
掲載したいと思います。


公演間近
成功させよう!
京都聖マリア教会
礼拝堂建築のための
クラウス・オッカー
バリトンリサイタル

日時=三月六日(木)      午後七時開演
場所=京都市北文化会館
(地下鉄北大路駅すぐ、
  キタオオジタウン内ビブレ北側)
出演=クラウス・オッカー(バリトン)
  西谷(末松)玲子(ピアノ)
入場券=前売三五〇〇円、
     当日四〇〇〇円
世界的に有名なバリトン=クラウス・オッカーの帰国前最終公演です。そ
の世界的に有名な方が、わが聖マリア教会礼拝堂建築のためにひとはだ
脱いでくださるのです。なんとかお客さんを満員にして成功させましょう。チ
ケットがお手元にあった方が販売しやすい方、お申し出ください。十枚以内
でお預けします。
浦地恭子さんまで。

演奏曲目決定

演奏会の曲目が決定いたしました。
次のようなバリエーション豊かな曲目です。ご期待ください。

W・A・モーツァルト
「すみれ」
「クローエに」
「春への憧れ」
L・v・ベートーヴェン
「はるかな恋人に」
F・シューベルト
「春の信仰」
「野ばら」
「幸福」
「楽に寄す」
R・シューマン
「詩人の恋」全曲
 1・美しき五月に
 2・涙から
 3・ばらに はとに ゆりに
 4・君の目に見入る時
 5・わが魂をひたそう
 6・神聖なラインの
 7・嘆くまい
 8・この胸の痛手を
 9・鳴るはフルート、バイオリン
 10・恋人が歌った歌を
 11・純な若者をすてて
 12・あかるい夏の朝
 13・夢で私は泣いた
 14・夜ごとに見る面影
 15・昔話の中から
 16・古い歌くず
山田耕筰
「多磨風体歌」第一
「鐘が鳴ります」
石渡日出夫
「汚れちまった悲しみに」
石桁眞禮生
「みぞれのする小さな町」


投稿
悩める新米母!?

ロダ 吉村由理

 一ヶ月ほど前から長男和馬(二歳)と一緒にできるだけ長い時間礼拝に
出ようと試み、ここ何回か一番前の席に陣取り、礼拝に出席しています。た
だ、なかなか始めから終わりまでというわけにはいかず、途中でゴソゴソと
前の方へ出ていったり、息子が奇声を発したりと、皆さまには大変ご迷惑
をおかけして申し訳なく思っています。
昨年の終わりの「礼拝堂を考える会」で、『親子室』のことが話題に上りま
した。私はかねてから、小さい子供をもつ母親として、親子室はやはりあっ
た方がいいという考えをもってきました。親子室があれば多少子どもが騒
いでいても礼拝に出席できるし、周りの人に迷惑をかけることもありませ
ん。けれども、親子室がない今までの状況では、礼拝中子どもがぐずり出
せば外に出るしかなく、ずっと会館で子どもを遊ばせているという状態を経
験し、これではなんのために教会へ来ているのかわからないという思いが
ずっとあったからです。実際、そのために教会へ来にくくなっている方もい
らっしゃると思います。基本的にその考えは変わってはいないのですが、
主人の、「親子室を作ってしまうと、中は井戸端会議の場になってしまう。
前の礼拝堂のチルドレンズコーナーでさえそうだったのに、隔離されて声
が外に漏れないとなるとなおさら『たまり場』のようになるのは目に見えて
いる。それに本来子供は親と一緒に席に座らせ、ちゃんと礼拝に出席させ
るべき。」という意見を聞くにつけ、最初は真っ向から反対していた私も最
近少し考えるようになりました。教会へ行ってもそのまま会館へ行ってしま
うのではなく、まず礼拝に出席する。ずっと座っているのは無理にしても、
少しでも長い時間一緒に礼拝に出ることによって、日曜日は礼拝に出るた
めに教会へ来ているのだということや、礼拝は厳粛な場であるということを
息子も少しずつ受け入れていってくれるのではないかと思うようになった
のです。
 前述しましたように、親子室が必要という意見は基本的に変わっていま
せん。けれども、子どもの状態の良いときにはできるだけ一緒に礼拝に出
席させるようにし、それを少しずつ習慣づけていければ・・・と思っていま
す。礼拝中にウロウロしたり大きな声を出したり、ご迷惑をおかけします
が、どうか暖かい目で見守ってくださいますよう、よろしくお願いいたします。


=お詫びと訂正=
マリアコイノニア1月号の文中の、建築委員紹介の中で、津田繁さんのお
名前が欠落しておりました。建築委員第一線で頑張っていただいている津
田さん。失礼いたしました。お詫びして訂正いたします。


2月号次ページへ